社会・経済: ずくなしの冷や水

2016年04月07日

円高進行は安倍内閣退陣の先取り?

円高が急激に進行している。
安倍内閣のアホノミクスが世界経済のリスク、日本発の経済恐慌もなどと言う人も出てきた。

2016/4/7、株価は下げ止まっているが、円高が止まらない。株は年金資金で買いを入れれば下落を止めることができるだろうが、為替は介入できる環境ではない。かくして、円高は口先介入だけとなる。



安倍内閣退陣先取りの動きだろう。

3/29 始値113.45円 から 4/7 午後11時半で108円ちょうど前後で推移。10日で5.5円動いている。

2013年07月10日 危うい相場 アベノミクスはどうなる 2
posted by ZUKUNASHI at 23:37| Comment(0) | 社会・経済

2016年03月09日

ぶうさんの教育論 6

コメントありがとうございます。こういう場を作っていただいたずくなしさんにも、感謝もうしあげます。

意識の拡大に関しては、私は『場の意識になる』という捉え方をしています。そういえば、『場所的個としての覚者』という本がありましたね。私とあなたの関わりを包む私として行動すると言いますか? 私を含めた全体の幸せを考えると言いますか? 利己的に生きるのでもなく、滅私奉公で自分を殺して我慢するでもなく、三方よしで、相手も自分も世間もよくなるような道を選択すると言いましょうか? 

シュタイナー教育は、おそらく現時点では、一番理想に近い教育実践体系と言えるでしょう。ただ、子供によって合う合わないがありますし、教師の資質に関しても、幅があるかもしれませんが。

もしかすると、前にキーワードで挙げているのですが、『共同学習』のコンセプトがヒントになるかもしれません。『学習の輪』という副題の本が出ていたような気がしますが、ある意味、現代の教育の在り方を根底から覆すような可能性を持っています。

理論書としては、『競争主義を超えて』という本と『報酬主義を超えて』という本があったような気がしますが、とても高価だったような記憶が!? 

教育や学習の動機づけに関する議論ですが、報酬を獲得することや競争で勝つことを抜きにした学習行動が成立するとしたら、それこそが本当の意味での学習なんじゃないか? みたいなことです。

共同学習というのは、仲間と協力しあって問題を解決したり、新しいものを創造したりする喜びや愉しみを動機付けにした学習ということになります。

そのために、グループのメンバーに学習課題を分けて与えて、課題をお互いに持ち寄らないと解決できないようなカリキュラムを組んだり、あるいはテストの点数を個人の点数ではなく、グループ全体の総合得点でカウントして、わかった子がまだわからない子に積極的に教えて助けるように仕向けたりします。

職場でも家庭でもそうだとおもいますが、会社の目標、家族の課題にお互いに協力しあって取り組んでいくわけですよね。私もサッカー部でディフェンスをしていましたが、フォワードみたいにゴールして注目を浴びることはないし、点を入れられるとお前が悪いみたいに言われるし、やってられんとはおもいましたが、でもディフェンス抜きではチームが成り立たないわけですよね。

シャドウ・ワークと言いますか? 自分がいつも主役で、周りはみんな競争相手という学習環境ではなくて、主役になったり脇役になったりエキストラになったりカメラマンになったり監督になったり、いろいろと選手交代しながら、みんなが適材適所で協力し合う仲間、という学習環境のなかで過ごすわけです。そういうなかで、場の意識を体現できるようになると、意識の深化や拡大にもつながると思います。

変な言い方なんですが、人生の課題というのは、たいていの場合、誰かと協力し合わないと超えられないようなものが多いと思います。誰かを蹴落としてとか、自分一人の努力でなんとかなるとか、そういうことは滅多にないような気がします。

だから、今の学校教育の制度のなかで、いくら優秀な成績をおさめても、社会では通用しないというか、むしろ社会にとっては迷惑な存在になってしまうかもしれません。 いやいや、このあたりも言うは易くで、私もかなり苦労したというか、周りの人達を苦労させました(ノ_・。) 

とにかく、2年間、組織のなかで働いてみたらいい! というのも、そういうことを体得するためだったりします。

共同学習あるいは場の意識という視点に立って、311以降の状況を見ますと、原発推進派と原発反対派の二項対立、笑っていれば放射能は来ない派と内部被曝&低線量被曝で大変なことになる派の二項対立の裏で、もっと大事なことが進行しているのではないか? という気がしています。

何か人類史的に重大な変化、おそらくは意識の変化から、日本人の注意を逸らそうとしているのではないか? という気がしてなりません。 一方で真剣に被曝回避に取り組みながら、まさにずくなしさんがやっておられるように、(日本のメディアによって隠された)世界の変化にも目を向けておく必要があるかもしれません。

原発推進派の人達や笑っていれ放射能は来ない派の人達を説得する必要も、暇も、エネルギーもないでしょう。いま起こっている事実をつたえたら、そこから先は、その人達の責任であり、自由意志でしょう。

むしろ、彼らの言動、彼らとの関わりから、私たちは何を学ぶか? そして、二項対立によって目を逸らされている大事なものは何か? を見抜き、また、そうやって、高見の見物を決め込んでいる誰かさんの正体と動機を見抜くこと。風評被害とか食べて応援というキャッチコピーを使って、人々の善意を悪用している存在の正体とその動機を見抜くこと。それも大事かな? と思いました。

意見の合わない人との関わり、(自分にとっての)敵役や悪役との関わりで学ぶことも多いものです。別に、無理して意見を合わせたり、仲良くしたりする必要はありませんが、そういった関わりさえも、『学者する組織』に転化しうるということです。

さらに、自分と敵役のやり取り、ドラマを場の視点から包み込むように眺めることができれば、その状況そのものが持っている意味を見出だすこともできるかもしれません。
posted by ZUKUNASHI at 23:43| Comment(1) | 社会・経済

whiteさんの教育論

2016/3/9のwhiteさんの投稿

学んだことから脱却できると、ほとんど不要だったことに気が付き、自分でできることは何なんだろうか、何をしたいのかの感覚が戻ると思います。

そして、したいことに集中して、実践するようになり、雑念から解放されていきます。

ある時点になると物事の本質が理解できるようになり、簡単な言葉で分かりやすく説明できるようになります。そう、難しい数式とか、文字とか、言葉なんていらないことに気が付きます。そうしたものが真実を偽装するために作り出されたことに気が付きます。

そもそも、ここの国の教育っていうものは、彼らが都合よく人縛り、使用人とするために作られたシステムであることにどの時点で気が付くかどうかです。

自分に染みついたものを取り払うことで、世界がかわり、道が開けます。

posted by ZUKUNASHI at 10:18| Comment(1) | 社会・経済

2016年03月08日

ぶうさんの教育論 5

2016/3/8のぶうさんの投稿。

いやいや、自分でもよくわからないこと、曖昧なところは、ついつい難しい言葉を使ってごまかしてしまうもので(^-^; 

あと、行者さんというのが苦手で、あっちの世界をよく知っている方に対して、あっちの世界(宗教的な世界)から語るべきなのか、こっちの世界(哲学的な世界)から語るべきなのか? 迷ってしまって、訳がわからなくなってしまうというのもあります。

個人的には、以前にも書いたような気がしますが、パソコンができて、インターネットが普及するなかで、それをアナロジー(類推)として人間存在を理解できるようになったと思っています。

昔、モーツァルトが一瞬で楽想を掴んで、あとはそれを楽譜に書き留めるだけだったという逸話を聞いて、???だったのですが、ネットで音楽をダウンロードして聴けるようになって、『これじゃ〜ん!』と思ったりとか。

個人的には、突然、論文のアイデアが下りてきて、三日三晩で書き上げて、ほとんどそのまま専門誌に載ったことがありますが、まさにダウンロードで、自分のなかで考えたこととは思えないし、書いた論文が自分のものという感覚もあまりないんですね。

ただ、モーツァルトが楽譜の書き方をしらなかったら、彼の作品が後生に残ることはなかったし、私にボキャブラリーとブラインド・タッチの技術がなかったら、あの論文も忘却の彼方だったでしょう。

学校教育に意味があるとしたら、直観を通じてつかまえた知恵、異なる次元の世界からダウンロードした情報を、現実的な世界で表現したり再現したりする技術や方法を身につけて、訓練することだと思います。

しかし、直観や創造性の開発を抜きにして、記憶術や形式論理ばかり磨くのでは、他の誰かのヴィジョンや欲望を実現するための道具にされてしまうだけです。

自分も被曝させられた被害者なのに、5億円の退職金をもらってドバイの超高級マンションに一族で避難し移住した加害責任者を守るために、命令と報酬に従って盲目的に行動してしまうロボットになりたかったら、ぜひ、東京大学を目指すべきです。まあ、誰かに脅されて、仕方なくそのように振る舞っている可能性もあるので、東大を目の敵にしても仕方がないのですが(^.^) 

開放系とか閉鎖系というのは、そういうことを言わんとしています。

ネットに接続していなくて与えられたプログラムに沿ってしか動かないパソコンと、ネット接続していて無限に近い情報にアクセスできるパソコンの違いと言いましょうか? 学校教育のなかでは、ネット接続の仕方も、良いサイトと悪いサイトの見分け方も、プログラム言語も教えてくれないので、ネット接続なしで死ぬまで頑張るか?(いや、USB(メディアや書籍)で情報を取り込むことはできますよね)、学校を出てから、独学でネット接続を学ぶか? どちらかということになります。

で、独学で学びを進め始めると、どうしても自分の好きなもの、興味のあるもの、受け入れられるものばかりを選んでしまうことになります。変な言い方なんですが、良くも悪くも、偏った妄想的な世界を構築してしまうのです。どこかで、自分の可能性や潜在性を閉じ込めている妄想をうちこわして、そこから出てくる必要があるのです。

その時に、師匠が必要になるという人もいますが、身の回りの人達との関わりや状況が、否応なしにその殻を破ってくれることもあります。端的に言うと、誰かに『こんなことをしてみたら?』と、思ってもないことを言われて、その誘いにふらふらと乗ってみると、新しい自分を創造できるかもしれません(失敗も多いけど)。

そういう意味で、何度かゼロリセットを経験して、独りよがりな殻を破ってはまた殻を作り、さらに脱皮すると、立派なモスラになって、宇宙に飛び立つことができるかもしれない、いや、そうなるといいなあ! みたいな。

自力から他力への位相転換という、良くわからない言葉を使いましたが、自力の努力や学習が極まった時に、他力(自分を超えた何かからの働きかけ)がタイミングよく加わって、そったく[管理人注:雛がかえろうとするとき、雛が内からつつくのを「啐」、母鳥が外からつつくのを「啄」という。大辞林から]のように、非連続的な(飛躍的な)成長が起こる、ということを言いたかったわけです。

まあ、名人級の教師は、このセンスを磨いているみたいですね。私は、どちらかと言うと、卵を温め過ぎて、ふ化を通り過ぎて、ゆで卵になっちゃった?!というタイプの教師だったので、さっさと自分の才に見切りをつけました(・_・、)

別に放射能のせいではないですが、みんながモスラになって宇宙に飛び立つ日が近づいているみたいなので、こんな話をしています。

学校教育は、自由意志をなくしたとはいいませんが、『仕組まれた自由』からいつまでも卒業できない子羊を育成するものであって、自由に飛翔するモスラを育てるものではありません。 いや、食って糞して寝るだけの巨大芋虫を養殖して、間違っても殻を破って脱皮して羽化したりしないように、エンターテイメントを提供して、そこそこ満足させて時間を浪費させる、開かれた牢獄と言いましょうか? 

教育や心理学、さらには宗教や修行というものが、刑務所から脱獄するための手段に違いない! と思って一生懸命に勉強したんですが、何のことはない、看守として生徒やクライアントを洗脳し、資本主義社会という監獄に適応したり復帰したりするように仕向けるためのスキルだったわけですね。

で、実は、看守こそが、刑務所というシステムに一番深く組み込まれていて、そこから脱獄しようというアイデアさえ浮かばない存在だったりするのです。

というわけで、最後は、ブラジルの教育学者、パウロ・フレイレの有名な言葉で〆ましょう。 『被抑圧者が自らを解放することによってしか、抑圧者を解放することはできない』
posted by ZUKUNASHI at 22:26| Comment(2) | 社会・経済

2016年03月07日

ぶうさんの教育論 4

2016/3/7のぶうさんの投稿。

個人的には、哲学は、閉鎖系としての人間存在を論じ、宗教は、開放系としての人間存在を論じていると捉えています。

最近、思ったことは、哲学が閉鎖系としての自己という概念に私たちを閉じ込めるトラップである一方で、宗教は開放系としての自己に目覚め始めたひとたちを、擬似開放系の自己に誘導するトラップなんじゃないかということ。

自分を超えた何かとつながって、自分の記憶や経験を超えた情報がダウンロードされはじめた時に、そのソースの真偽を確認する審神の作業が必要になります。それは、ソースの意識波動を確認すると同時に、下ろされた情報を哲学的あるいは論理的に検討することによって、なされるのではないかと思います。(ここは、自信がないです)

ただ、最近思うのは、私たちが自己をあらゆる瞬間に創造し続けている、ということの重要性です。私という確固としたものが存在し続けていると錯覚しがちですが、例えば、夜寝て、朝起きた時の自分は、昨日の自分とは違うかもしれない。あるいは、昨日までの自分を忘れて、新しい自分を生きることも可能かもしれない。

例えるなら、川の流れのなかにできる渦が『私』で、川の流れという開放系のなかにできた局所的な渦だけが『私』だと思い込んでいるけれど、実は流れの方が『私』で、水量の変化や底の石の移動で、自由に形を変えられるような存在なのかもしれない。

そのことをよく知っている誰かさんが、メディアや学校教育、慣習などを通じて、情報の流れと内容をコントロールすることによって、一定の形の渦にしかならないようにしている。そして、時々、渦の流れが崩れそうになると、同調圧力をかけて逸脱しないようにし、それでも逸脱しそうな渦には、『あなたは特別な選ばれた人間だ』とかなんとか言って、特別な形をした渦を与えて満足させる。

そうやって、私たちの本質が、渦の形ではなくて、流れそのものであり、流れを生み出しているエネルギーそのものである、という真理には行きつけないようにしている。

ある意味、勉強をすればするほど囚われていくし、修行を積めば積むほど囚われていく。どこかで、その囚われを自覚し、囚われから自らを解き放つ必要があるのだが、ここでどうしても自力から他力へという位相変換が必要になるのだろう。

個人的には、創造行為、特に人間に限らない他者との共同創造行為によって、こうした囚われを超えることができると考えています。

宗教的な言葉を使うと、菩薩行や奉仕行ということになるとおもいますが、私は、むしろ共同創造の方がしっくりくると思っています。 あらゆる問題、あらゆる課題を、原因追求して、悪いもの探しをして、そのうえで、それにあった処方箋を適用して解決する、治療するという道筋があって、それも一定の効果があるのですが、八方塞がりの現状においては、原因追求や因果関係の実証を行う前に、解決状態を創造あるいは共同創造してしまう方が早いような気がします。

そういう創造能力、他者との連携による共同創造能力を高めるような教育、修行が、普通になるといいですね。
posted by ZUKUNASHI at 21:46| Comment(2) | 社会・経済

2016年03月06日

ぶうさんの教育論 3  親は自分の力で覚醒し 子供を新時代に向けて鍛えていく 

2016/3/6にぶうさんから寄せられた投稿。

よく学生から、『先生の講義は、おもしろいんだけど、語り口が気持ちよくて、すぐに寝てしまう。ごめんなさい』といわれました。こちらの方こそごめんなさい? みたいな。

個人的には、野口晴哉さんとミルトン・エリクソンさんが、催眠療法の双璧と思っていますが、催眠を通り越して、睡眠学習に誘導していたようです。 催眠をかけることで、幻覚を生じさせることが可能だと言われていますが、催眠暗示によって存在しないものを見せたり聞かせたりする正の幻覚に対して、目の前にあるものを見えなくさせたり、聞こえるものを聞こえないようにすることを、負の幻覚と言います。催眠による麻酔なんかは、これにあたるわけです。

権威を利用して、ひたすら暗示を繰り返すことによって、放射能汚染とその被害をないことにしてしまう。何の価値もない変なおじさんのイラストと数字が描かれた紙切れに、絶対の価値があるかのように思い込ませてしまう。もっと言えば、私たちは、文明という名の幻覚を見せられながら、一方で文明の生み出した不都合な真実は見えていても見えないようにされてきたのではないでしょうか?

どんなに素晴らしいことを言っても、教育というのは、現代文明を盲目的に存続させるために、次世代の子供達に延々と暗示をかけ続けて、国や権力に従うしかないと洗脳する行為でしかありません。

教職の最後の頃には、教壇に立ちながら、『なんでこの人たちは、みんな黒板のある前の方を向いているのだろう?』と、気持ち悪く思ったのです。わかりますでしょうか? それこそが『暗示』なのです。

言葉の暗示もありますが、それ以上に周囲の環境のセッティングによる暗示、非言語的な暗示の方が深いところに入るのです。 それで、極力、教壇から離れて、学生たちの背後に回って話したり、グループ討論で机の配置を換えたり、面白い意見を言う学生がいたら、『ちょっと、先生の代わりに教壇に立って講義をしておくれ!』みたいなことも。まあ、結局、仕事をサボっていただけですが。

ゼロリセットという言葉を使いましたが、こういう非言語的なレベルの暗示も含めて、集団催眠から覚醒して、脱洗脳を図るには、どうしたらいいのか? 経験者として言わせていただくと、教師や専門家というのは、学生や一般の人たちを暗示にかけ続けているうちに、自己暗示にかかってしまうことが多いので、当てにはなりません。

最近、どこぞのジャーナリストさんが福一のメルトダウンを否定されていて、東電にも国にも梯子を外されているのに、気の毒なことだとおもいましたが、原発擁護の記事を書きつづけるうちに、自己暗示にかかってしまって、状況の変化を客観視できなくなってしまったのでしょう。

良い夢だ! 楽しい夢だ! しんどくても苦しくてもこれが唯一の夢だ! 他の夢など存在しないし、夢から覚めることもない! と、繰り返し暗示をかけられてきた夢(催眠)が、覚める時、私たちはどうするのか? 

もう一度、生暖かい布団のなかにもぐりこもうとするのか、布団から出て外の新鮮な空気を吸いに散歩に出かけるのか? 終戦直後、野口さんは、自分の足で立ち、新しい世界を空想できる子供を育てたい!? みたいなことを言っていました(うろ覚えですが)。

第二の終戦を迎えつつある現在の日本にも、その言葉は当てはまるのではないでしょうか? ただ、残念なことに、既存の教育システムには、期待できないでしょう。放射能被曝被害の隠蔽と復興のアピールのために、子供達を濫用する(child abuse)する文科省や教育委員会、それに対して一向に声を上げる気配のない教職員。いや、私でもそのなかにいたら動けなかったとおもいますから、責めるわけではないのですが、しかし、残念なことに、そこから新しい何か、文明の集団催眠を解いて、人類の新しい在り方を構想するような動きが生じることはないと思います。

教育という営みに、過大な期待を寄せていた身としては、非常に残念なのですが・・。でも、教師や専門家に頼らず、自分の力で覚醒し、新時代に向けて自分の子供を鍛えていく?! と、腹を括れば、こんなに面白い時代もないかもしれません。

自分が築き上げてきた砂上の楼閣が崩れ、足元の地面まで崩れて、まったく何もない透明な空間のなかで宙ぶらりん。上と下もわからない。そういうところにほうり出された時に、恐怖に襲われてパニックに陥るか? 無重力状態を楽しみながら、試行錯誤を始めてみるか? 
いや、もともとそういう場所で自由自在に遊泳していたのが、私たちの本質なのかもしれないんですが?!

posted by ZUKUNASHI at 23:47| Comment(1) | 社会・経済

ぶうさんの教育論 2

ぶうさんの教育論 1 の続き

もう時間がないので、自分のなかでも整理しておかないと。

教師をしていたときに、一番、印象に残ったこと。専門学校で、『これが一番大事なこと』と思いながら、何か非常に本質的なことをしゃべったときに、いつも机に突っ伏して寝ている学生が、突然、むっくりと起き上がって、『そう!先生、そうなんよ!』と言って、また、机に突っ伏して、夢の世界に帰っていかれたこと。

言葉を超えた何かが、伝わったという得難い経験でしたが、同時に教育の無力さを思い知ることに。真面目で熱心な学生でなく、常に寝ておられるこの方に、なぜ? みたいな。

後で聞くと、学費を稼ぐために、徹夜のバイトをしたその足で授業に出ていたそうで、何も言わずに寝かせておいてあげてよかった?! と思いました。

おそらく、ずくなしさんの言葉も、思ってもない人に、思ってもないタイミングで、思ってもないレベルで伝わるのではないかと思います。

教師生活の終わりの頃に、はたと気づいたことがあります。こちらが、考えて講義しているあいだは、学生たちは何も考えずに、ノートをとるか、聴いているか、ぼーっとしているか? で、何も考えていないんじゃないか? 自分で考える力をつけるのが教育の目的なら、教師がしゃべればしゃべるほど、その目的からとおざかってしまう。それなら、できるだけこちらはしゃべらず、学生たちが自分で考えるように、授業をデザインし直そう! とおもったわけです。

それで、何かテーマを与えたら、後は自分で考えて授業時間中にレポートを仕上げる、という授業形態を採るようになりました。で、何か質問があると、『先生もわからんから、隣の人に聴いてくれ!』って、仕事をサボってるだけじゃん?みたいな感じに。

『今まで、学校では、カンニングはだめ! 友達と相談するのもだめ! って言われてきたと思うけど、このレポート課題に関しては、カンニングも相談もOKだからね。社会に出たら、カンニングや相談をバンバンしないと、仕事がまわらないからね』みたいな適当なことを言って、とにかく、私の頭ではなく、学生の頭を稼動させるための工夫をしました。

まあ、理論的には、競争学習から個別学習へ移行させ、さらに協同学習に移行させる。そして、学習する組織を作る、ということだったのですが、やはり、自分がサボるための口実だったような気がしてなりません。

そんななか、珍しく黒板に板書しながら講義して、最後に、『黒板に書いた文字、コンテンツも大事だけどね、本当に皆さんに伝えたいのはね』と言いながら、黒板を消して、『ほら、文字は消えても、背景の黒板は在り続けているでしょう? 皆さんに伝えたいのは、文字の方ではなく、こちらなの! 分かるかなあ?』って、わかりゃしませんがな?!

なんか、最後の方は、中島敦の弓の名人みたいな感じですが、どうも名人のふりをしていただけという、嫌な予感が。 そんな私が、もし再び教壇に立つことがあれば、こう言うと思います。『答えは、あなた方のなかにあるのだから、誰かから答えを教えてもらう必要はありませんよ。もっと言えば、正しい答えなど存在しなくて、これからどんな答えを創造するか? こそが問題なんですよ! というわけで、授業は終わり。

何でもいいから、仕事をみつけて、最低2年間は続けなさい! そうすれば、分かるから』 放射能に関して、原子力に関して、被曝に関して、実はみんな自分のなかで答えを見つけている。国の言うことや原子力村の言うことに惑わされず、彼らが実際にやっていることを見ながら、自分のなかの答えに忠実に生きる。それだけのことのような気がします。

教育も、子供達が自分の魂の声に導かれるように見守ること以外のすべては、洗脳に過ぎません。知識を詰め込めば詰め込むほど、黒板に書き込まれた字数は増えますが、その知識を書き込んだり消したり自由自在にできる場、あるいは空間としての黒板=意識・存在性を自覚することからは、遠ざかってしまいます。

こうした意識の教育、存在性の教育が当たり前のように行われる日が、早く来ると良いですね。そして、そうした意識や存在性の協同を基礎にして、協力しながら何か新しいものを創造するような社会が実現すると良いですね。

・・・引用終わり・・・

ぶうさん 子供の教育や学習、能力開発に関して、親として学びたい時に勧められる本はありますか? あったら教えてください。

ぶうさんから回答をもらった。

山のなかに弓を全部置き忘れてしまって、分かりません、、、と言えたら格好いいんですが、実際には全部、古本屋に二束三文でうりはらってしまったので?!

文章のなかにキーワードが入っているので、それで検索していただければ良いかと思います。

それ以外のところであえてオススメするなら、野口晴哉さんの『育児の本』『躾の時期』『叱言以前』あたりでしょうか? 人間理解、子供理解の極致だと、個人的には思っています。

何しろ本を読む以前に、子供の言葉に惑わされずに、その行動を観察すること。さらに、親子の行動の相互作用というか、行動(言動)の連鎖を観察すること。そして、子供を変えようとする前に、自分の行動を変えることから始めること。そういう意味では、応用行動分析の入門書を読むと、参考になるかもしれません。

患者さんの自然治癒力やリソースを引きだそうとするように、子供の自己成長力や潜在能力を引きだそうとすることが大事なんですが、言うは易くなんですよね。

そういう視点から見ると、内部被曝はそうした根源的な生命力そのものを破壊してしまう意味で、NGなんですよね。医者や教師が放射線被曝の問題に対して声を上げないという、現在の状況は、非常にマズイというか、医療や教育という実践の根本を否定するような行為だと思います。

だから、専門家の言葉には惑わされずに、自分の思考と感覚と直感に従って、さっさと動かないといけない。というか、教師や専門家の言葉に依存するように教育されてきた洗脳を解いて、自分を取り戻さないといけない。 311以降、日本人が突きつけられている課題は、そこだと思うのです。

そして、多くの日本人が、高をくくって、うかうかと、5年間の潜伏期間を過ごしてしまいました。このまま、甘い夢のなかで滅びる方が、幸せなのかな? あ、自分の言うことを聞いてくれて、反抗したりしない素直な子供をそだてたいのなら、野口さんの本は読まない方がいいですよ! 

自分が親として子供に押し付けている理想や希望をもう一度吟味すること、自分が子供として親から押し付けられてきた理想や希望、レッテルを見直して、脱同一化するところから始めてみるとよいかもしれませんね。

自己否定のプロセスなので、非常にしんどいと思いますけど(^.^) すみません、長くなってしまいました。

『教えることを今すぐやめよう』も、必要かもしれませんね@(^^ )

老婆心ながら、追記です。野口さんの本は、古本でも出ていますが、全生社のホームページで購入するのが安上がりかと思います。ちなみに、『治療の書』という、終戦直後に書かれた本がありますが、これ以上の実践書は他に知りません。個人的には、日本文化の到達点の一つだと評価しています。

日本の文化は、気の文化だと言う人もいますが、成長や変化、治癒の背後にある力や働きそのものを見ようとし、その消長やリズムに合わせて働きかけようとする姿勢は、他ではあまり見られない特徴だと思います。

古来の日本の職人教育、というか徒弟奉公のなかには、仕事のコツあるいは秘伝?として、仕事の背後にある気働きのようなものまで伝える伝統があったのかもしれません。その伝統が消えてしまったのは、惜しいことですね。

・・・引用終わり・・・

ありがとうございます。
posted by ZUKUNASHI at 14:18| Comment(3) | 社会・経済

2016年03月04日

ぶうさんの教育論 1

2016/3/4、ぶうさんの投稿を掲載する。

今日は、朝から晩までユンボ作業で気が張っていたので、晩酌してほっこりしています。

まあ、ホラ話だと思っていただいて結構ですが、ある分野でトップの大学院にいましたが、やはり、教員も学生も優秀でした。しかも、オリジナリティがなければ、何の意味もない、伝統的というかオーソドックスな研究は、東大の奴らに任せておけ? みたいな雰囲気でしたから、非常に面白かったです。

で、当時の指導教官が行き着いたところは、その学問分野そのものの否定。学問としても、実践としても、論理を突き詰めると、破綻してしまう? ということを論証してしまったようです。

おかげで、助手の採用試験で、『おたくの先生は、我々の研究そのものを否定しておられるようだが、あんたはどうなんだ?』と問われて、もごもご言って答えに詰まったら、おとされました(∇⌒ヽ)。

『絶対矛盾の自己同一です』とでも言って、煙に巻いておけばなんとかなったかもしれませんが?

そういう立場から言わせていただくと、大学というのは、自分から動けばいくらでも好きなことが学べるが、高校までの受験勉強の条件付けで、口を開けて待っているだけでは、まったく意味がない。

ギアチェンジが必要なんだけど、残念なことにそのことを自覚している学生も、実践している学生も、日本の大学ではあまりいない。 海外に行ったことはないので、とやかくはいえませんが、特に人文科学の分野では、欧米の方が優れているとも思えません。日本と同じような問題を抱えて、しかも抜本的な解決もできていない。

いや、非常に感覚的な見方ですが、ものすごく浅いところがあって、そもそも日本人と理解を共有できない面もあるような気がしました。 欧米の人も、そして中国や韓国の人たちも、自我がきっちりと確立していて、それを超えたところになかなか行けないし、行こうとも思わない。

それに対して、日本人は、自我が曖昧で自他の区別がしっかりしていないのですが、そこからスルッと自我を超えた世界を掴んでしまうようなところがある。そんな議論を、20年前に日本でトップだった先生としていました。

そういうメンタリティーの弱点が、311であらわになっている感じもします。自他分離がはっきりしていないところに、『福島の仲間が風評被害で苦しんでいる』と言われると、『いや、自分と家族だけは助かりたいから、食べて応援なんかできません!』と言えずに、助けようとしてしまう。

それが、実は東電と原子力村の責任回避、賠償回避の応援なのに。 その点、『直ちに影響はありません』の人が、妻子をシンガポールに避難させたのも、福島前知事が山形から通勤したのも、福島現知事が娘を避難させていたのも、私人としての行動としては、非常に正しくて、公人としての言動とのあいだに矛盾があったことに問題があったということになります。

言い換えると、アイデンティティをきっちりと確立していて、自分の家族の命はしっかり守りつつ、社会的な行動としては、国体、県体を守るために、国民や県民に膨大な被曝をさせることを厭わなかったということでしょう。そして、その決断の間違いを隠蔽するための嘘が、いまだにメディアを通じて垂れ流されているわけですが。

つまり、自分さえ良ければいい、自分さえ成り立てればいい、というメンタリティーの人間の耳障りの良い嘘を、自分も相手も世間様も! という三方良しの精神の善人というか、その区別が曖昧ななかで、相手と世間の善意を信じて生きてきた人たちが、信じて従ってしまった、というのが現状かと?! 

学問の世界でも、自分の利得になれば嘘八百という一部の学者に対して、圧倒的多数の学者は、薄々か明白にかは分かりませんが、『やっぱりおかしい』と思いながら、『同僚や大学に迷惑をかけるわけにはいかないしなあ』という同調圧力で黙っているんじゃないかと思います。

何しろ、大学の予算を握っているのは文部科学省で、そこが、『子供達や学生、さらには学問の自由と開かれた議論を守るのではなく、原子力の利権を守るために、子供達や学問を利用する。原子力利権を守り、復興で被曝被害をごまかすためには、子供達の被曝も、学問の歪曲も厭わない』という政策決定を行い、そのために予算執行権を濫用している以上、大学の内部でごちゃごちゃ言うのは難しいということなのでしょう。

そうは言っても、現実において被曝症状が隠せなくなれば、戦後に戦争推進に走った知識人に対する批判が出たように、原子力村の走狗としておかしなことを言っていた学者やジャーナリストたちに対する批判が出ることでしょう。そして、戦後と同じく、『いや、実は戦争反対だったんだ!』などとごまかす輩もでるでしょう。そうなると、これまで長いものに巻かれていた人たちが、『騙された!』とか言いはじめて、被害者として原子力村の人たちを責めるようになるかもしれません。 いつかどこかで起こった情景が、また繰り返される。さすがに、うんざりですね。

そうそう、大学教育の一番の問題、もっと言えば義務教育制度の一番の問題は、社会に出て物を作ったことのない人たち、物を売ったことのない人たち、そのために力を合わせるという経験のない人たちが、教師になり、教育を行うということに尽きると思います。(資本主義)社会に出たことのない人間が、これから社会に出て働く人間に、何を教えられるでしょうか? そもそも何を教えたら、社会でチームとして働く時に役立つか? ということが分かるでしょうか?

低い次元での『教育の不可能性』は、このあたりにあります。深いレベルでは、そもそも誤解の多い言葉という手段で、本質を伝えることはできるのか? という問題があります。『絶対矛盾の自己同一』という言葉をおうむ返しできても、その言葉で伝えようとした感覚や意識を、その言葉だけで伝えるのは無理じゃないか? ということ。

なんか、ずくなしさんのブログの、本質的な課題というか、その限界を認識しながら『教育する勇気』という感じですね。

・・・・・

管理人は、遺棄老人ゆえ同調圧力からは完全自由。あれがおかしい、ここがおかしいとブツブツ言っているだけですね、結局のところ。教育的配慮はゼロ。とにかく自分の目で写し取った客観性が唯一の物差しです。自分で学んで気をつけーや、さもないと死ぬでー と叫んでいるだけですね、もう5年も。単なる老人性のバカですね。

教育関係や学校関係については、論者によりまったく視点が異なります。それだけ、多面的、深い問題ということでしょうか。既出記事です。

2016年02月07日 ハードルは高いが、そこで耐え、新天地でスキルを磨き、人間性を取り戻し、家族と自分を何とか長生き側に向けて行くのも1案 浮き船氏

2016年02月05日 若い人たちはしっかりと目を開き、自分の頭で物事を考え、自分の意志で生きていく道について熟考してください 投稿記事

2015年11月19日 学生さんは是非時間のある今の内にこのおかしな社会を生き抜く知恵と力と勇気と情熱を持って欲しい 投稿記事

2015年11月19日 今の日本社会のファシズムを 25年前に予見していた人もいた

2015年06月29日 放射能の害を知れば人生航路は変わらざるを得ない
posted by ZUKUNASHI at 22:38| Comment(0) | 社会・経済

日本の大学は利権追求者の巣窟です 少なくとも人道に反することなど意に介さないようです

福島第一原発事故から5年。原子力関係分野の学者、医学界の学者の発言を検証・記録する動きが出ています。

これらの者の発言、行動などをずっと見ていて、犯罪者の行為に近い人も少なくないと感じています。

原子力関係分野、医学界だけではありません。安保法制に関する学者の動きも筆者には不満です。小保方事件のあのゴタゴタ。

彼らは何のために長年、学問に携わってきたのか。

大学教員などの行動実態は、以前と何も変わっていないのかもしれません。それが福島第一原発事故を契機によく見えるようになっただけなのかもしれません。

そして、時間が経てば、また見えなくなるのかもしれません。

ですが、福島第一原発事故による悲惨な健康被害の現状が際立つに連れて、身を隠す人や行動や発言をなかったことにしようとする動きが強まるでしょう。

※ cyborg001@cyborg0012氏の2016/3/1のツイート
3年前に山下俊一が福島から消え、
1年前に鈴木眞一が辞任し雲隠れ
甲状腺評価部会は長期の凍結状態、今後の予定はなし
直近の健康検査発表では委員6人が欠席、
郡山在住の座長が「新幹線の時間がある」と途中退席
スティーブ・マックイーンも真っ青な「大脱走」が始まっています



日本の大学教育のレベルは低いです。学生に知的刺激を与える力も薄れています。

次は海外に移住した読者からの投稿の一部です。

「日本の大学を出てから移住先の大学に編入した子供も、こちらの大学の授業を受け交流関係が広がる中で「日本の大学の授業は全くの無駄だった。日本の大学の授業には知的刺激が無く、モチベーションが上がらない空虚な物だった、お互いのやる気や向上心を出させないよう牽制しあう雰囲気の学生達、変な気を使って表層的な関わりしかないのに『友達』を失うのを怖がってストレスを溜める友達付き合い、ああいう大学生活を送る為に受験勉強をしたのが馬鹿みたいだった。」と言うようになりました。」

日本の科学技術の水準は、国際的には高いものもあることは認めます。ですが、多くの場合、測定や実験などの機器に恵まれていることが大きな要因になっていて、それがどのような学問的なブレークスルーになっているかは、疑問なことも多いです。

他の先進諸国の大学での学術研究のレベルと比べて日本がどうかということは、筆者には分かりません。ですが、日本の大学の学問のレベルに惹かれて、研究者が、学生が集まると言うようなことにはなっていません。

日本の大学で、特に学部以上で学ぶと、犯罪者の素質十分な「柔軟な」学者、研究者になるような印象を強めています。

日本の大学で博士号を取っても、これからはマフィアの世界でしか評価されないことになるのかもしれません。
posted by ZUKUNASHI at 12:14| Comment(0) | 社会・経済

2016年03月03日

自衛隊も beheading? 



ISISが、サウジがやっています。モスクワで乳母が女の子の生首を手に街頭に現れ、世間を震え上がらせたばかりです。

このポスターは、国民の潜在意識に何を訴えようとしているのでしょう。狂っていませんか?
posted by ZUKUNASHI at 09:50| Comment(0) | 社会・経済

2016年03月01日

日本の大衆操作ほど面白いゲームはない

よんたさん こんばんは
管理人も「計画的にペコペコにつぶされていった」と思います。最大の「利権」を持つグループが仕掛けたとも言えますし、それ以上の力が働いているようにも思うんです。

「安倍も管も麻生も甘利もむろん官僚も、誰も危機管理能力を持っていません。むしろ危機拡大ツールを駆使する能力はあります。そういう連中が国家を担っているという悲劇が今の日本に充満しています。世界には喜劇に映るほどに愚かです。どこでこうなってしまったのか? どうも計画的にペコペコにつぶされていったのかも、と感じます。一体誰が計画してきたかというと、当然、今現在最大の利権を握っているグループだということになりますね。でも、そんな利権なんて本当はたかが知れているのに、人間って本当につまらん存在だなぁと悲しくなります。」

今、日本人と日本社会は、自由自在に操れる状態ですよね。「食べて応援」、「風評被害」、「被曝で死んだ人はいない」こんなとんでもない悪魔のささやきやウソがまかり通っています。

そういう悪意に満ちた風説や宣伝を流している側の人達は、人々が深刻な病に倒れ、ばたばた死んでいくのを見て、面白くて仕方がないのではないでしょうか。

テレビゲームで、悪疫を流行させ、毒物をばら撒き、人々を洗脳し、互いに反発させ、絶望に追い込み、殺し合うのを見ている。

これからは、もっと見物です。人々が真実を求めて事実を調べたり、その結果を公表すると自殺を装って殺されたり、投獄されたりします。

無実の罪で逮捕され、形式的な裁判にかけられて極刑に処せられる人も後を絶たないでしょう。

そして、世界の紛争地域に壮年や若者が送られます。日本人は、すでに被曝で体力が落ちていますから、厳しい環境ではバタバタと死ぬ人が増えるでしょう。南極観測船に乗り込んでいた自衛隊員の方が南極海で亡くなっています。戦地に送られるのは男だけではありません。今は女も同等です。

シリアの内戦を追っていて管理人の頭は少しおかしくなっているかも知れませんが、テロリストが空爆で何十人まとめて殺されるように日本人の兵士が吹き飛ばされる光景が頭に浮かびます。

このテレビゲームの勝敗は、何人殺したかになるのでしょう。米軍は中東であるいはアジアでドローンが送ってくる映像を見ながら地上の民間人を殺害しています。

このテレビゲームのプレイヤーは、研究所や教育機関、宣伝会社、マスメディア、政治家、警察、裁判所、自衛隊まで、自在に動かせるのです。

特に操作しやすいのは大衆です。識字率が高く、ほとんどの人々は毎日新聞を読むことが習慣となっています。新聞の伝える情報の多くは、バイアスがかかっています。おかしいと思っても確認する手段はまずありません。

読者の投稿にあったように、偏差値の低い学校の卒業生は分を弁えて権力サイドの言うことに従うのが賢明な処世術だと教えられています。

よく考えれば、操作しやすいのは大衆だけではありません。学者とか文化人と言われる人々は、世の中の大勢に順応するのが早いです。マスコミは、真実を書いていたら売れません。社会の様々な制度に組み込まれてそれなりのペイを得ている人はみな同じです。

そういうイスタブリッシュメントの側から見れば、大衆は学習機能の高いコマにしか過ぎません。消耗品です。

世の中のしがらみから離れたところにいる管理人は、現在日本で進行している政治、社会現象は、他人がやっているテレビゲームを見ているようなものです。すごい展開です。

憲法も変える動きがありますが、社会の倫理やルールは完全に変わってきています。証拠さえ残さなければ、相当因果関係の証明を困難にしておけば、ばんばん人を殺しても責任を問われることはない。

こんな社会はほかにもありそうですが、日本語でプレイできるのは日本だけです。

ウクライナ語のゲームもありますし、アラビア語のゲームも目下進行中です。トルコ語のゲームも始まっています。

すごいですね。まだまだ被曝で死にたくありません。よんたさん 一緒に頑張りましょう。
posted by ZUKUNASHI at 23:49| Comment(5) | 社会・経済

2016年02月09日

金融相場が荒れている 2016/2



ドル円は、2016/2/9正午前に114円台半ばになっています。114.3円は2014/11の水準。日本株も大幅下落。


為替が先行ですね。

共同2016/2/9
東京金融市場で9日、住宅ローンや企業向け融資の目安で長期金利の代表的な指標である10年国債の利回りが初めてマイナスとなった。日銀が追加金融緩和策としてマイナス金利の導入を決めたことを受けて、投資家が少しでも高い利回りの国債購入を加速させたため価格が上昇し、利回りが急低下した。最も安全な運用資産とされてきた国債だが、マイナスの利回りで購入して満期まで保有すれば損失が出る異常事態となった。

アベノミクスはメタメタです。

狂気の政権と常軌を逸した日銀、次はどんな手で来るか、警戒です。

アベノミクスの詐欺がばれれば、ドル円は100円??
自国通貨は、高いほうが良いです。


最近の動き
※ MKT-1138 ‏@mkitidon 氏の2016/2/9のツイート
米欧銀行株が急落 財務悪化懸念 ドイツ銀、一時11%強下落 :日本経済新聞 http://www.nikkei.com/article/DGKKASGM09H0K_Z00C16A2EAF000/
"ドイツ銀行は一時11%強下落し、リーマン危機直後の2009年1月につけたユーロ圏発足後の最安値に接近した"

※ 松藤民輔 ‏@tamimatsufuji 氏の2016/2/9のツイート
リーマン事件時のCDSを思い出す。現在、ドイツ銀行のCDSが3週間で2倍になる、CDSとは社債デフォルトに備える保証コスト、8日連続で上昇、この勢いはリーマン事件のメリルを彷彿させる。がしかし今度はリーマン事件より規模は大き以。明日の夜がポイントだ

※ 石油価格の低迷が続き、サウジの国家財政の準備金が年々大きく減少。このまま低迷が続けば国家財政破綻もありうるとされ、サウジはガソリン価格を2倍に引き上げるなどの措置。ロシアも財政悪化、ロシア、カナダの通貨安の主因。

※ 米国は、経済指標の改善が遅く、次回利上げは遠のいたとの見方が強い。

※ 中国の工業生産の減退に伴い、各種資源価格が下落。世界の資源関連企業で損失発生。住友商事は大きな損失が生じ決算見込みを未定としている。

※ 上海株価指数総合の推移、過去2年間


※ 中国やサウジ、ロシアは、株や米国財務省証券を売って現金を得ているとされています。

※ 米国を初めとする世界の株式市場の好調はバブル破裂で終焉するとの見方が強いです。銀行が破綻した場合に、日本では公的資金、つまり税金を投入します。これがベイルアウト。一方、株主は言うまでもなく債権保有者にも損を被ってもらうのがベイルインです。預金を預けている人は銀行にとっては債権者です、預金カットになりえます。
posted by ZUKUNASHI at 23:27| Comment(1) | 社会・経済

2016年01月24日

廃棄食品再販売の みのりフーズ「実質的な経営者」岡田正男氏はこんな人


がーるずチャンネル2016/1/24から

JCASTニュース2016/1/22から

みのりフーズの「実質的な経営者」とされる岡田正男氏(78)の発言
「違法性があるとは全然思っていない。タダでもらって売ったのならともかく・・・」
「私ら昔食べる物が無いもんだから腐ったご飯も洗って食べた。おかしなニオイがしてもこどもの頃は平気で食ってた人間ですから。何にも思わんけどね」
「ダイコーから(マルコメ)味噌を仕入れ、弁当屋に売った」
「(ニチレイの商品も)すべてダイコーから仕入れた。賞味期限が切れた物であったと思う」
「ダイコーから隠せるものなら隠せと指示された」

エンタメ斬り2016/1/17の記事から縮小転載


賞味期限が切れた食品でも、保存が適切なら「直ちに影響はない」。東北産のモジャコを佃煮にして販売したようだから、健康影響としてはこっちのほうが大きいだろう。

なかなか個性的な元気な老人だ。すべて分かってやっている。
posted by ZUKUNASHI at 09:29| Comment(0) | 社会・経済

2015年12月21日

テレビを捨てよう

筆者はテレビを観ない。欲望をかきたてられて自分がいかに不幸な人間であるかを痛感させられるのがいやなのだ。情報番組も少しは賢くなったような気がすることもあるが、よく調べるとそれほど重要な知識ではないことが多い。

特に福島第一原発事故後、テレビが流す情報の悪意がすさまじく、完全に縁が切れた。今は、医院や薬局の待合室で見るだけになっている。

年間費用は、公共放送とネット利用料がほぼ同じ。筆者の場合、ニュースサイトを見たり、画像をアップしたりするから送受信する情報量は多い。もっと安くならないかと思うが、今は品質重視だ。

同年代でテレビを観ない人がどれほどいるのだろう。テレビを観ない人がすべてインターネットにかじりついているとは思わない。自ら情報を選択して吸収していくのは、容易でないことだが、大人はそういう習慣を身につけ、子供にはそのように訓練しないといけないのだと思う。

テレビがない時代は、口コミ情報を自分で選択していたのだ。

2015/12/19の投稿
日本はフッ素と、TVのサブリミナルが、既におかしいことです。
「サブリミナル」で検索すると、オウムの麻原の写真や、1万円札や、SEXの文字や性器の映像など、画面の背後や合間に挿入されていることが、いっぱい出てきます。
TVは洗脳装置です。TVばかり見ている人は、鉄砲に刀で立ち向かわずに、機関銃に竹槍で、原爆に割り箸で立ち向かうようになります。
そして、なんでも食してガンや心筋梗塞になって、にっこり笑って死ぬのです。言葉がありません。
老人はアルミとかでアルツハイマーになり、若者は水銀とかで自閉症になります。2011年内閣府発表で、「完全引きこもり(ほとんど40歳以下)が120万人」いました。
ということは、完全でなくても人形のような人間は、その数倍はいるということでしょう。
食べ物は添加物に至るまで、中身を1つずつ検索するべきだし、TVは捨てるべきです。ラジオの方が安全だと個人的に思います。

2015/12/20の投稿
NHKに金払うのがイヤになりテレビを捨てました。 民放にしてもどうでもいい番組ばかり。 テレビの質が落ちたのか。自分が年を取ったのかはわかりません。 おかげて部屋は広くなりました。 他の要らないものもどんどんオークションに出してるところ。 もともとほとんど見ていなかったし金食うだけの邪魔なものを捨てられてスッキリです。

2015/12/21の投稿
テレビは私も視てないですね。新聞も実は読みません。そうなって、かれこれ7年目になります。テレビなど見るよりは文学作品に触れたりする方が有益な気がします。テレビは「時間泥棒」であり「思考力泥棒」だと思ってます。芸能人も名前はネットで見掛けてある程度把握はしてますが顔がさっぱりわかりません。仕事をしていた時は私を異端視する家族が職場の人間や仕事の関係先に私がテレビを見ないことや放射能を気にすることを触れ回るので、私を駄目人間と言ってる人間が何人かいましたがそんな人間に限って教養がなく、話題については芸能人や昨日のクイズ番組がどうの、などよく話していました。テレビがなくなれば芸能人などトークが上手いだけ、一時期しか栄えない見てくれが少し良いだけの人間なのにそんなものに振り回されるのは噴飯物ですね。 また何よりテレビに向いてる時間に価値が全く感じられないのです。

・・・引用終わり・・・

中東情勢を追っていて、とても驚くのは、シリア、イラク、トルコなどの情勢を周辺国の人がよく知っていることだ。現地の新聞がそんなに詳しく海外情勢を伝えることはないだろう。タイムラグもある。

音声情報では情報量に限りがある。となれば、ネットを使っていることにほかならない。

アルジャジーラは偏向がある。メディアとしての価値は低い。西側の通信社のニュース配信は基本的に有料でカバレッジも限られる。今、筆者がよく使っているのはRT、スプートニクの英語版、PRESSTV、FARSNEWS。前2者はロシアの宣伝機関、後の2者はイランの宣伝機関だが、今の時代は情報ルートが多元化しているので、ウソを書くと他のメディアとの比較ですぐにばれる。

中東諸国の人達は、同じようなネット情報を見ているはずだ。アラビア語で情報を流すところもあるのかもしれない。上にあげた4つのサイトは英語だが、ネイティブの英語ではなく、簡易に書かれている。それが大きなメリットだ。

シリア避難民の動向は、特にトルコ国内での虐待などについてRTやスプートニクがよく伝えた。メルケルがシリア避難民対策で大きな過ちを犯したと筆者は判断したが、欧州の政府機関はトルコ国内の状況を知って驚いただろう。巨額のカネをエルドアンにプレゼントしただけに終わったのだから。さすがに、メルケルも軌道修正した。

ぶれないのは、英国の労働党党首コービン。英国は彼のような批判勢力で救われている。フランスのオランドは早々にロシアとの協調に方針転換。欧州首脳の中でどこまで発言力を高められるか。オバマは米国内の戦争屋とのせめぎ合いに苦しんでいる。ノーベル平和賞の名を貶めずに済むか瀬戸際だ。オバマの側近は副大統領を含め疑問のある者が多い。

(初出 2015/12/19 追記 12/20)
posted by ZUKUNASHI at 21:33| Comment(3) | 社会・経済

2015年11月20日

茨城県の教育委員 「障害児は予算がかかる 家族が大変 出産を防げれば 意識改革すべき」

朝日デジタル2015年11月19日
茨城県の教育施策を話し合う18日の県総合教育会議の席上で、県教育委員が障害児らが通う特別支援学校を視察した経験を話すなかで、「妊娠初期にもっと(障害の有無が)わかるようにできないのか。(教職員も)すごい人数が従事しており、大変な予算だろうと思う」と発言した。
 発言したのは、今年4月に教育委員に就任した東京・銀座の日動画廊副社長、長谷川智恵子氏(71)。発言を受け、橋本昌知事は会議で「医療が発達してきている。ただ、堕胎がいいかは倫理の問題」と述べた。長谷川氏は「意識改革しないと。技術で(障害の有無が)わかれば一番いい。生まれてきてからじゃ本当に大変」「茨城県では減らしていける方向になったらいい」などとした。
 会議後の取材に、長谷川氏は出生前診断の是非などについて「命の大切さと社会の中のバランス。一概に言えない。世話する家族が大変なので、障害のある子どもの出産を防げるものなら防いだ方がいい」などと話した。
 橋本知事は取材に「事実を知って産むかどうかを判断する機会を得られるのは悪いことではない」とし、長谷川氏の発言に「問題はない」と話した。

・・・・・

長谷川智恵子氏は、茨城県笠間市の笠間日動美術館副館長

※ 金正則@kin_kim氏の2015/11/9のツイート
これが世界標準。"@soulflowerunion: 「ダウン症患者は全員安楽死させるべきだ」とFacebookで差別発言した英タレント、最長6ヶ月の実刑判決へ…http://buzzap.jp/news/20151106-hate-speach-against-downs-syndrome/ … "

2015年09月27日 日本でも灰色のバスが走るのだろうか

2015年06月10日 茨城のおとうさん! 東日本大震災で茨城県内の原子力施設149の建屋で被害が発生 MPの表示も消えましたよ

2015年06月09日 茨城のおとうさん! 家族が病気になったらどこの病院に連れていきますか?

2015年06月06日 茨城のおとうさん! おたくはまだそこで頑張りますか? 

2015年05月11日 子どものハンディキャップは出てくるものと覚悟しよう

茨城県では、障害児を持つと周りから白い眼でみられるようになりはしませんか?

・・・・・

朝日新聞2015/11/19
茨城県教育委員の長谷川智恵子氏(71)が18日に開かれた県総合教育会議の席上、障害児らが通う特別支援学校を視察した経験を話すなかで、「妊娠初期にもっと(障害の有無が)わかるようにできないのか」「茨城県では減らしていける方向になったらいい」などと発言したことについて、長谷川氏は19日、撤回するとのコメントを発表した。
「この度の私の総合教育会議での発言により、障害のある方やご家族を含め、数多くの方々に多大なる苦痛を与えましたことに、心からお詫(わ)びを申し上げますとともに発言を撤回させていただきます。」
(中略)
「今後は、教育委員として今まで以上に研鑽(けんさん)を積み、よりよい茨城の教育の推進のために微力ながら力を尽くしてまいりたいと考えております。」

毎日新聞 2015年11月20日 18時55分(最終更新 11月20日 22時11分)
 茨城県教育委員会は20日、障害児の出産について「茨城では減らしていける方向になったらいい」などと発言した長谷川智恵子委員(71)が辞職を申し出たと発表した。近く臨時委員会を開き了承する方針。
posted by ZUKUNASHI at 22:27| Comment(1) | 社会・経済

2015年11月13日

東京の若者は駅で寝る 瀬戸内の年寄りはデイサービスで寝る

hiyaase氏から次の投稿があった。考えさせられる中身だ。引用開始。

瀬戸内の某都市。
デイサービスで老人介護施設へバスで行くと、60人集まる。
体操を始めるのだけど、40人はすぐ壁際で寝始める。夕方まで熟睡。
残り20人しか起きていない。毎日そうらしい。
海のそばだから魚を食べる食習慣。

その息子は、家でこれまた魚を食べる人。
今は、イワシやカツオがお気に入りだそうだ。
最近は毎日、怒鳴り散らして、物を投げたりするそうで、DVとかいうやつらしい。
皆、脳神経に来ているとしか思えない。
その老人60人で放射能の話はまったく出ないそうで、息子も何も気にしていないそうだ。
新聞に載っている空間線量は毎日決まって、0.03だったっけ。毎日同じ。

西のほうも切実感のある人が少ないだけに
別の意味で静かに終わっているかも。

・・・引用終わり・・・

管理人は次のことを考えました。
@ 体操後すぐに壁際で寝る、のであれば畳の部屋でしょうか。エアコンも効いてやることもない。眠くなりますよね。なんか、盛岡の動物園を連想しますね。
(お断りしておきますが、管理人はデイサービスを受けたこともないし、老人クラブの会合にも参加したこともありません。童謡を歌ったり、折り紙をしたり・・・、それなら寝ていたほうがマシです。)
A 昼飯は出ないんでしょうか。カネ取られるから食べない人が多いのですかね。
B 老人介護施設でも色恋沙汰があるようですけど、60人のうち20人はまだその面で元気なんですかね。介護士の身体触ったりする爺さんは、なかなかボケないと聞きますので、そうなりたいと思っているんですよ。
C 瀬戸内海の魚、すでにそんなに汚染されているんでしょうか。放射能ではなく別の汚染ではないかという気もしますが。
D DVの息子さんは、イワシやカツオがお好みなのであれば、別に瀬戸内海の魚を食べているわけではありませんね。大阪湾のイワシはまだ取れるかどうか知りませんが、油イワシと言われて肥料とか養殖のエサになると聞いています。
E 魚食習慣の強いところは、いつも地元産の鮮魚を食べているというわけではないでしょう。相対的に高価ですから外洋性の魚の割合も高いでしょう。
F だとすれば、サカナの汚染が強く影響することはありますね。その結果、東京の若者は駅で寝る、瀬戸内の年寄りはデイサービスで寝るということになるんでしょうか。
G 他の地域ではどうなんでしょうね。東京や関東では、もっと多いんでしょうか。デイサービスセンターに抱え込まれるなり熟睡する老人が続出? 施設側は手間がかからず大喜びでしょう。
H 管理人は、自動車の送迎つきのデイサービスに介護保険を使うのは止めて欲しいと思っているんです。介護保険の保険料は高いんです。こんなにぽっくり逝く人が多くなると、介護保険は保険料を取られ続けて、給付を受けることなく終わる人が多くなるでしょうね。 

以上は、身も心も汚れきった老人の感想。次は、いつまでも無垢で純真な心を失わない年配者のコメント。

@ 同感です。そこは音楽かけてラジオ体操したり、カラオケやったりしているのに、皆畳で窓際にすらりと並んで寝ているそうです。別の介護ハウスでは、1人も寝てないそうです。そこはある程度のレベルの会話が弾んでいるそうです。原因がどう違うのか聞いても分かりませんでした。介護ハウス選択もたいへんだそうです。
A 昼飯で起こされて食べ、また眠るそうです。昼飯の中身はなんでもありです。
B 夜寝ているのに、わざわざ送迎バスで出かけて寝ようとは思わない人が20人でなのでしょう。
C 瀬戸内の魚が奇形騒ぎになったのは1960年代の工業地帯の汚染が酷かった頃です。海にもいろいろ垂れ流ししていました。今食べているカツオは東北沖の戻り鰹とかいうやつでしょう。高知のカツオも食べますが、戻り鰹のほうが美味しいと思います。あのへんの人は海の物にうるさいので、三陸沖のちくわとか、日高昆布とか大好きですから。
D 今は鶏の餌は魚粉になってきたと聞いています。裏は取っていません。鶏肉や卵からイワシ経由があるということでしょう。
E 瀬戸内は、むかしは海から2km以内は漁師の家の老人が改造乳母車に魚を入れて、獲れたてのを売りに来ました(だから魚屋の存在はなかった)が、今はそういうものがないし、2km以遠の町の魚屋も潰れたので、スーパーで流通品を買うので、どこでも同じです。瀬戸内のオコゼも食べるし、インド洋のもよく食べます。魚で育ってきたので魚ならどこでもいいのです。
F 東京の駅で寝ているのは、おそらく食べて応援企業での外食と、ジャンクフードととんこつラーメンの総合でしょう。西日本は、食からの嗜眠ぶらぶら傾向が出ているのと、老人性ボケと、無趣味で会話のネタがない、の総合だと想像しています。
G 瀬戸内の海沿いの人ほど魚を食べる人たちは見たことないです。東京の人はデイサービスには行かない人が多いですね。東京のデイサービスの人に弁当買ってもらって家で食べていた人は、今年3回入院しています。
H 若い人がみんな行政に電話をかけ続ければなくなるでしょうが、家に年寄りがいるとイヤな嫁とかはバスが来ると大喜びだから、家庭環境問題もあるでしょう。いずれにしろ、日本が滅ぶ多くの問題の1つであることは間違いないでしょう。そういえばワタミも介護は黒字で、居酒屋は赤字でしたね。
posted by ZUKUNASHI at 01:08| Comment(4) | 社会・経済

2015年09月19日

日本が平和主義を捨てた日

日本人は、放射能の被害者にも、戦争の犠牲者にも慣れなくては生きていけない。



油断しているからどんどんおかしくなっていく。それが多くの国民の選択なら仕方がないのかもしれないが。


posted by ZUKUNASHI at 11:11| Comment(0) | 社会・経済

2015年08月18日

こんなときは死なないで逃げる 人は変わらない 福島の構図と同じ

読売新聞栃木県南版 2015/7/3

母2人自殺
 今年4月16日と23日、佐野市内の市立小学校の児童2人の母親が相次いで自殺した。
 遺族によると、児童2人は学校で物を隠されたり無視されたりするいじめを受け、不登校になった。2人の母親が「やめてほしい」などと、別の児童の母親に改善を促すうち、母親たちの間で孤立するようになった。自殺直前には、他の児童の母親から「母親失格だ」などと厳しく言われ、家族に悩みを打ち明けていたという。
 学校や市教育委員会は2人の死後、独自調査をした結果、「LINE(ライン)」上で、母親同士が陰口などをやりとりしていたことを確認した。しかし、「児童や母親の間にいじめ行為はなかった」と結論づけた。
 管轄する安足教育事務所にはSSWが配置されているが、同事務所は「学校側から要請がなかったので、派遣はしなかった」としている。




オトコはかっとなる、オンナは執拗にエスカレートする。悲劇を体感するまで見境いなく続く。

ニュース速報Japan
posted by ZUKUNASHI at 13:21| Comment(4) | 社会・経済

2015年07月26日

これから伴侶を失う人も増えるだろう 速やかに再婚を模索しよう

私が数年前までパートをしていたときに、1軒のお宅の同年代のおばさんと世間話をするようになった。そのお宅は、町外れにあったが、大きな二階建てで塀や玄関の戸やガラス、式台、踏み石などが凝っていた。

ご主人のご趣味ですかと問うと、建った後に買い取ったのだという。

「家の配置も落ち着く感じがします。少し前ならお妾さんが住んでいてもおかしくない風情のあるお住まいですよ。映画の撮影セットとしての依頼はありませんか」

「この家、芸者さんが住んでいたの。よく分かったわね! 小説家みたい」

私のニセモノに注意 ‏@tokaiama 氏が、2014/2/5、「日本政府は戦後、戦災未亡人への援助をほとんどしなかった。彼女たちは男尊女卑の社会のなかで、どうやって食べてゆくのか必死だった。見かねた裕福な男達が未亡人を救うつもりで妾にした」

この見方は間違いではない。もっと昔から、「妾」が社会扶助の一つの形態として社会的に許容されてきたのだと思う。

裕福で妾を囲える男を見る周りの眼は複雑だっただろう。同年代の男にしてみれば、「俺も甲斐性があればなぁ・・・」というのが偽らざるところだったはずだ。

女の見方は少し違って、妾の経済的な余裕に嫉妬を感ずることもあっただろうし、「日陰者」に対する蔑みや同情もあったかもしれない。女は、本当のところは、現実主義の合理主義者だから、あれも生きていく一つの手段とドライに見る人が多かったのかもしれない。

そんなことが私の頭にあって、ツイッターの反応を見ていたが、ほとんど反応がない。

もちろん、「妾の風習は公的な扶助を補完するものだから、その復活を望む」などという意見がオープンな場に出てくるとは予想していないが、妾を頭から否定する声もまだ見ていない。

最近の女性たちは、男女の結びつき方について、弾力的な考え方になっているのだろうか。

ネットで母子避難したとツイートしている方には、シングルマザーだと称する人が多い。最初からシングルマザーを目指した人は少ないだろうから、いろいろな事情があってシングルにならざるを得なかったのだろう。

一人でがんばって子育てに避難。決断力と行動力は尊敬に値する。

だが、日本のこれからの社会経済情勢は楽観できない。一人親でなく二人親なら難局に対する対処能力は何倍にもなる。福島第一原発事故による健康被害が増え、伴侶を失う方も増えるだろう。

できれば、速やかに再婚を模索することを強くお勧めしたい。良い相手が見つかるか? それについては難しいと言わざるを得ないが、未曾有の大惨事を経験した者どうしなら、譲るべきところは譲れるだろう。

平成24年、2012年の年間婚姻件数68万件に対し、離婚は24万件だ。「震災で伴侶を失い、その後再婚3回経験しました」などというプロフィルが珍しくなくなるのは、私はよいことだと思う。

再婚した人を何人か知っているが、子供のいる女性と結婚した人もいる。その子が父親的な存在を求めていることが再婚同士の結婚に至った最大の要因だったと言う。

読者から放射能問題で伴侶と意見が合わないという悩みをよく聞くが、多くの場合、男性の側の稼ぎが良い人が多い。稼ぎの良い人が今の生活を捨てることは、より難しい。

女性は、初婚の場合、結婚相手を選ぶのに人柄重視とか言ってもやはり経済能力に重点を置く。稼ぎのある女性ほどより稼ぎの多い男性を求めるものだ。

だが、再婚の場合は少し違って、二人の稼ぎを足して経済的必要が満たされれば良いと考えたほうが良いかもしれない。

夫として父親として誠実な男は、職業には関係なくいる。原発推進派の専門家と称する人達が悪魔のささやきを続けているのを見ると、人間性に疑問のある者はそういう稼ぎに熱心なホワイトカラーにむしろ多いと最近は考えるようになった。

2015年05月24日 日本の社会は変わる 変わらざるを得ない 放射能避難移住婚活パーティー

(初出 2014/2/5 2015/7/26追記再掲)
posted by ZUKUNASHI at 10:23| Comment(7) | 社会・経済

2015年07月09日

下流老人!!

※ sinwanohate ‏@sinwanohate 氏の2015/7/8のツイート
新幹線焼身自殺テロ 年金を35年間払っても生活保護以下 〈週刊朝日〉 http://dot.asahi.com/wa/2015070800001.html
「年金は月12万円だった。…いざ年金だけで生活する年齢になると、突然貧困層に落ちる。高齢者の9割が下流老人になる可能性がある。」

・・・引用終わり・・・

最近、「下流老人」なる用語が使われているが、そのうち「下流家庭」なども流行るのだろうか。

新幹線で自殺をされた方の事情についていろいろ報道があるようだが、はっきり言ってよく分からない。

昨年まで賃金収入があったのであれば、今年の地方税や健康保険税、介護保険料などは前年の賃金収入込みでの収入総額にかかるから実際の収入が減っているのに、税金などが高いということはあると思う。

だが、来年からは年金収入だけについて地方税などが算定されるから、大幅に減るはずなのだが。

年金収入だけになったときに、現役時代の暮らしぶりを改めないでそのまま維持すると、赤字になるのはよくあることだ。

筆者の知る例では、呑み屋に友人を招いてテーブル一杯に料理を並べることを繰り返し、サラ金からカネを借りていた人がいた。

年金生活になったら、多額の年金収入がある人、よほど蓄えの多い人を除き、収入に見合うように支出をカットしていくことが欠かせない。長生きする人は25年も年金生活をするのだから。貯金があってもいずれなくなる。

新聞は止める→ 月3,700円程度の減
テレビは捨てる→ 月4,000円程度(?)の減
外食を止める→ 人によるが月1万円程度の減になる人もいるだろう。つまみを購入して自室で友人を招いて飲めば足りる。発泡酒か焼酎で我慢。
たばこを止める→ これも人によるが喫煙の多い人は月に1万円近くの減になるだろう。
旅行をやめるか減らす→筆者の場合、新幹線はもう何年も乗っていない。旅館やホテルにも泊まっていない。
車を捨てる→ これは大きい。どうせ大して乗らないだろう。知人は、高級外国製オートバイを持っているが、荷物も運べず役所に行くときに乗るだけだ。

都心のアパートに住み続けるのも疑問だ。田舎に移れば家賃は格段に安い。

筆者の一番の推奨は、グループホームのような住み方。何人かで仕事を分担すれば、負担が少なくなるし、体調が悪化した場合なども面倒を見てもらえる。

ただし、住む場所は定評のある病院から遠くないところに限る。

筆者は、現役時代の付き合いはほとんどなくなった。新聞記者は性格悪いし、出世した同僚はカネと肩書きに偏重、年金生活の「下流老人」に徹しきれない人はカネがかかるから付き合えない。

年賀状も減らした。前は、年末に2万円ほどの出費があった。付き合いが減ったので、香典の心配もいらなくなった。

散髪は自分で。洗濯はすべて自宅の洗濯機で水洗い。その方が汚れが良く落ちる。靴はスニーカー、洗えるから良い。

本や雑誌も買わなくなった。いつも、えーっ、これだけ? こんな中身! とがっかりさせられる。

下流老人を見下す人は、このブログの閲覧お断り!
posted by ZUKUNASHI at 13:29| Comment(2) | 社会・経済