[私見]初期被曝の時期の推定 補足 仙台・女川: ずくなしの冷や水

2014年04月03日

[私見]初期被曝の時期の推定 補足 仙台・女川

宮城県下の2011/3の空間線量率の上昇に関して、女川原発も放出源だったのではないかとの見方がある。

女川原発では、2011/3/12の午後9時ころからMPの測定値が上がり、まず通常の4倍以上の放射線が観測された。



上の東北電力発表の資料によると、正確には3/12の20時40分だ。

福島第一原発から女川原発までの直線距離は120km。福島第一原発では、2011/3/12午後2時に1号機と2号機共用の煙突から煙が出ており、これ以前から放射性物質が放出されていた。

このときの気流は、下の図のとおりで、放射性物質放出が始まっていた午後2時から6時間後の午後8時に女川の線量率が上がることはありうると考える。



関東で陸上をプルームが流れた例を調べても、時速20km程度で移動する例は普通にあり、海上ならさらに速いはずだ。

3/12、21時、南相馬市で20μSv/hのピークを観測している。女川原発で21μSv/hを記録したのが、3/13の午前1時50分。この間、5時間弱。こちらは対応関係がはっきりしている。





3/12の最初の上昇が女川起源だとしなければ合理的な説明がつかないということはないのではなかろうか。

ここで興味深いのは、3/12に仙台市を襲ったプルーム第1波と女川の線量率上昇のパターンが似ていることだ。

次の図は、東北大学金属材料研究所 アルファ放射体実験室のサイト、実績のページに掲載されているものを拝借している。



プルーム襲来時の正確な時間が分からないが、仙台では女川よりも先にプルームが到達するだろう。時間的には早くなる。

ここで、仙台のプルーム第2波、3/13の20時頃かと見られるが、これの飛来ルートがよく分からない。女川では、3/13の21時頃にわずかに上昇しており、これに対応したものと見られるが、このプルームは仙台からどっちに飛んだのだろう。





もし、プルームのコア、メインストリーム部分が仙台から離れて通過していても、仙台の空間線量率を1μSv/hまであげるほどなら、コア部分の濃度は極めて高かっただろう。



仙台市の1μSv/h観測時もそうだが、ロナルド・レーガンはプルームの流れの帯から60km程度離れていたはずなのに、5μSv/hとか8μSv/hを検出している。ロナルド・レーガン乗組員の被曝は、激しいものがあるだろう。とにかくこのころのプルームの強さは凄かった。






地震で港が損壊したため、この頃には福島沖や金華山沖で操業していた漁船は少ないだろうが、もしあれば激しく被爆している恐れがある。

3/12、3/13のプルームが宮城県の内陸に向かっていたらと考えると、原発災害の怖さが身にしみる。
posted by ZUKUNASHI at 13:37| Comment(0) | 福島原発事故
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス: [必須入力]

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。