額に汗して: ずくなしの冷や水

2006年06月22日

額に汗して

法務省のホームページで、東京地検特捜部長大鶴基成氏が検事志望者に語りかけているメッセージが論議を呼んでいます。ポイントは次の部分です。

「額に汗して働いている人々や働こうにもリストラされて職を失っている人たち,法令を遵守して経済活動を行っている企業などが,出し抜かれ,不公正がまかり通る社会にしてはならないのです」

教科書に書いてあっても違和感のない常識的な内容で、あちこちで引用されましたからご存知でしょう。

早稲田大学の上村達男氏は、日本における証券不正行為の取締りでいきなり検察が出てくるのは、証券取引等監視委員会による規制態勢が不十分であるためだとした上で、「検察は『額に汗して働く人が憤慨するような事件を摘発する』などと言うべきではなく、厳正に法を運用すればいい」と述べています(2006/6/21朝日新聞)。

私はこの意見に賛成です。犯罪の捜査や摘発に当たる人たちは、自らの道徳観や正義感、倫理観を必要以上に振りかざすべきではないと思います。そんなことは彼らの仕事ではありません。

評論家の宮崎哲弥氏は、法務省HPの上記引用部分を指して、「これは、捜査当局だけでなく、権限を縮小させられてきた霞ヶ関の官僚たちの総意でもあると考えるべきだ」としています(2006/6/22朝日新聞)。

官僚主導の政策決定と行政が廃れたので、公益法人などを通じた談合やばら撒きの業界秩序が崩壊し、ルール違反を意に介さない者による不公正がまかり通るようになった、ということなら一面それもあると思いますが、証券取引等監視委員会や公正取引委員会は権限を強めていますし、検察OBは民間の監査役や調査委員会委員などに引っ張りだこです。

そもそも、役所が大きな不公正を排除できていたでしょうか。チッソ、薬害エイズ、薬害C型肝炎、OBによる談合調整、住専問題、BSEの原因となった肉骨粉の野放しなど、構造改革以前でも役所は力の強い者に対しては非力であり、見て見ぬふりをしてきました。

検察幹部が『額に汗して働く人が憤慨するような事件を摘発する』などとしばしば口走るのは、市場を混乱の極みに置いた自分たちの荒っぽい仕事の進め方に批判が強いため、国民の怒りを静め、理解と支持を得るための情に訴える弁解作戦なのではないでしょうか。

上村氏が言うように、まずは行政的なレベルでアラームを発し、その次のステップとして検察が乗り出すという手順を踏むべきなのに、突然、強制捜査が入り、結果として多額の財産を失うという悲劇を演じさせられた零細な個人投資家は、勧善懲悪の芝居をネタにしたような発想、論理では到底納得するとは思えません。

堀江、村上の二人をあげて終わりになるなら、まさに検察は自分の「憤慨」に従って捜査をしただけということになるでしょう。

そう言えば、自民党旧橋本派の政治団体「平成研究会」の1億円献金隠し事件で無罪判決を受けた村岡元官房長官については、検察はその後どう対応したのでしょう。
posted by ZUKUNASHI at 22:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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