4歳の子供とふたりで福島中通りから新発田市に自主避難してきているお母さんの話: ずくなしの冷や水

2013年10月17日

4歳の子供とふたりで福島中通りから新発田市に自主避難してきているお母さんの話

太陽のイビキ ‏@taiyonoibiki 氏の2013/10/16の連続ツイートから全文転載

「ある自主避難者の証言」
〜4歳の子供とふたりで、今年1月に福島中通りから新発田市に自主避難してきているお母さんのお話です。 2013年10月5日(土)pm7時から〜 新発田市きやり館あやめの間

 私は、今年(2013年)1月、福島県中通りO村から4歳の子供と二人、新発田市に自主避難してきました。O村には、祖母、父、母、兄を残してきました。 私のふるさと、福島県安達太良郡O村は、福島第一原発のほぼ真西約40キロのところに位置しています。盾のように連なる安達太良連峰西側の緩やかな扇状地の上に拓かれた村でした。扇状地に湧く豊かな水ときれいな空気と東南方向から降り注ぐ日光を利用して、米、野菜を始めとする農業が栄え、農村としては珍しく、わずかずつですが、人口も増えていました。
他のところはみんな合併してしまいましたから、安達太良郡で今でも村として残っているのはO村だけです。私はそのことをとても誇りに思ってきました。でも、今は飯館村に次いで汚染が激しいところです。
 これから私がお話しすることについては、人によって意見の相違があり、絶対だとは言えません。あくまでも、私個人の見方だと思って聞いてください。
 私は、原発や放射能のことについてほとんど何も知りませんでした。ただ、以前、私が勤めていた会社の上司が脱原発だったこともあって、他の人よりはほんの少しだけですが、意識していたかもしれません。その上司がよく言っていたことは、「ベントという言葉を聞いたら危ない。すぐ逃げろ!」でした。でも、私がその言葉を聞いたのは、事故が起こってから数ヶ月も経ってからでした。
私が引っ越しを考えた最初のきっかけは、3月12日に1号機にヘリコプターで放水(注:自衛隊ヘリコプターによる放水は2011/3/17、3号機に対して行われた)しているのをテレビで見たときで、それから、汚染水をオガクズで止めるとか言っているのを聞いて、ますます怖いと思うようになりました。でも、震災で水道もガスもストップしていたときは、みんな外で行動していたわけですよね。
 3月15日から25日まで、私は群馬県の親戚の家に避難していたのですが、そのとき、赤城山が真っ黄色になっているのを見て、とても不気味に思ったことを覚えています。後で聞いたことですが、花粉というのは放射線を浴びると大きくふくれるのだそうです。あんなに離れたところにも放射能は届いていたのですね。
 今でも後悔していることは、なぜあのときすぐに引っ越さなかったかということです。そうすれば、子供を被爆させないですんだのにと思うと、とても罪悪感を感じます。
 すぐに決断できなかった理由は、私がそのとき仕事のために1年間の在宅業務の研修を受けていたからです。私はシングルマザーなので、自活するためにどうしても収入が必要でした。放射能への恐怖はありましたが、どこか認めたくないという気持ちもあり、少なくとも1年はがんばろうと思ったのです。
 でも、その頃から子供の具合がだんだん悪くなっていきました。病院に連れて行くと、風邪と診断されました。でも、いつまでたっても咳が止まらず、だるそうにしており、反対に悪くなっていくようでした。
 あるとき、除染の作業をしていた人から「ここは口で言えないほど汚染されている。俺ならこんな所には絶対に住まない」と言われました。役場ではガイガーカウンターの貸し出しをやっていましたが、役場の人から「地表から1メートル以上離して、30分以上そのまま立っていなければいけない。それにあくまでも目安で正確な数値は出ない」と言われました。
 妹夫婦が、すでに新発田に引っ越していて、電話をすると「今すぐ、引っ越しておいで」と言います。反対に、祖母や父母や兄は「大丈夫だ。神経質になるな」と言いました。私は、シングルマザーで、そのことで迷惑をかけたし、そのぶん世話をするねと約束していたので、それからだんだん放射能の不安を家族に話せないような雰囲気になりました。特に、祖母は幼稚園バスまで子供の送り迎えをしたりして、それを張り合いにしていましたから、私は子供の体のことと板挟みで両方を裏切っているように感じました。
 村の中で、だんだん放射能について口に出せない雰囲気が広がっていきました。うっかりそのことを、友人に話して、「そんな気弱なことでどうするの」と怒られ、人間関係にもヒビが入っていくような気がしました。国は、除染、除染と言っていますが、それは除染して土を保管しておける休耕地のような空き地を持っている家の話です。私の家は、そんな余分な土地はありませんから、除染はしてもらえず、そのままにしてあります。風の強い日には線量計の数値が跳ね上がっていました。
 子供は、もともと外で遊ぶのが好きな元気な子で、ドングリとか草とか石ころとか大好きなのですが、「遊んじゃだめ!」と叱るのが辛かったです。
 家族は家で食べる野菜を全部作っており、それを子供に食べさせるのが楽しみです。その頃から、畑の周りのタンポポがみんな変で、50株も60株も同じ所から出て、その茎が全部くっついて異様に太くなってそこに見たこともないような大きな花が咲いて、気持ちが悪かった。田んぼに稗が大発生しました。あんなことは今までありませんでした。 野菜も今まで見たこともないような形のものがとれるようになりました。桃、トマト、トウモロコシ、タケノコとかそういうものを、巨大なシイタケとか食べさせようとするんです。家族は子供に食べさせるのが楽しみなので、食べないととても悲しそうな顔をするんです。干し柿なんかも、食べさせられました。他の家では、野菜や食物を作るのをやめて、花の栽培に代えたところもありますが、私の家族は頑固で、食べ物を作り続けました。
 そのころ、保養説明会というのがあって、そのなかで、放射能の危険があるので、干し柿は食べない方が良いというお話がありました。私は、このとき、初めて「ああ、放射能のことを心配してもいいんだ」と思って、そうしたら、知らないまに涙が出てきました。 それで、形の変な野菜の放射能を計ってもらおうと思って、役場に持っていくと、「役所が安全だと言ってるのが、わからないのか!母親がそんなことでどうするんだ!」と、逆にどなられました。結局、持っていった野菜は計ってもらえませんでした。
 放射能は禁句という空気はますます強くなり、幼稚園では外遊びを奨励、給食の食材も地元のものを使うという信じられないことが起こるようになっていきました。
 子供は気がつくといつも風邪を引いた状態です。鼻血をしょっちゅう出すようになり、いつも体がかゆいと言って掻いていました。桜祭りのときに、子供が裸足で水たまりに足をつっこんだんですが、数日経つと、足が腫れて膿がたまりました。医者は「風邪ではこんなふうにならないなあ」と言いましたが、放射能の影響については質問することができませんでした。病院でも、放射能を口にすると、鼻で笑われるような雰囲気がありました。クリスマスの日、朝から意識が朦朧として胃腸炎だと言われました。子供の視力がおかしいのに気づいて、医者に連れて行くと、屈折異常弱視だと診断されました。そのときから、子供はビール瓶の底のような厚い眼鏡をかけるようになりました。
 赤ちゃんからセシウムが検出されたお母さんの話を聞きました。母親としての喜びも奪われたような気がして悲しかったです。水道局で働く友人から5月にビーフシチューからセシウムが出たとか、9月に福一牛乳を飲んだ子供が全員嘔吐したとか言う話を聞きました。
 そういう話は口止めされているんですが、耳を塞いでいても自然に入ってきます。毎年、幼虫からカブトムシを孵している人で、みんな奇形になって死んでしまったとか、50代の人で腸にポリープができたり、穴があいたとか、病院に行ったり入院するようになった人の数は間違いなく増えていると思います。
 全く健康だった人が心筋梗塞になって急死したり、葬式が増えました。私の母も、心筋梗塞で倒れました。今までも心臓に問題があったことなどない人です。今はペースメーカーをつけています。バンダジェフスキー博士の講演で、博士が放射能と心臓病の話をされたとき、ああ、これなんだと思いました。
 私自身の健康もおかしくなっていきました。そういえば、ずっと マスクもしないで外で過ごすことが多かったのです。だるくて布団から起き上がることができなくなっていきました。仕事中にも眠くてしようがないのです。吐き気がして、駐車場に車をとめて、ぼんやりしていることが多くなっていきました。
 医者は鬱だと言い、薬が処方されましたが、全く効きませんでした。かえって目眩がひどくなりました。体にいつも弱電流が流れているような感じで、単純な作業をしようとしているのにやり方がわからない。気分転換のつもりで買い物に行って入ったお店で、そのまま訳が分からなくなって何時間も突っ立ているようなことが起きるようになっていきました。死にたくなったり、音楽がなると踊りだしたくなったり、判断ができない、自分でも何をしているのかわからない。放射能で脳をやられたハムスターが死ぬまでグルグル回り続けている映像を見ましたが、私もあんな感じでした。1ヶ月休職しましたが、1ヶ月経っても症状は悪くなるばかりでした。
 それで、どうにもならなくて新発田にきたのです。東電からは一回目に70万円出ました。生活費と引っ越しですぐになくなってしまいました。二回目に17 万円出ました。それと、生命保険を解約してなんとか現金を作りました。
 ところが新発田に引っ越してから、嘘のように健康が回復したのです。書類のことがあるので、O村の役場に電話すると、厳しく詰問されるような感じでした。それで、中途半端ではいけないと思って、新発田市に住民票を移しました。もう、福島に帰るつもりはありません。
 新発田の人は親切ですが、後ろ指を指されているような後ろめたさは感じています。私はカラオケが好きなのですが、福島ナンバーで駐車場にとめていると、なんだか申し訳ないようでいつも目立たない所にとめるようにしています。外食するときもそうです。服を買っても、皮肉を言われるような気がします。避難者同士の気持ちもバラバラになっています。
 明るく振る舞うようにしていますが、先のことを考えると真っ暗になります。 さいとうるりこ(仮名)
 
太陽のイビキ ‏@taiyonoibiki 氏のコメント
「ある自主避難者の証言」レポートを、リツィートしてくださった皆様、心からありがとうございます。避難者の声をじかに聞きたいと僕自身が強く思っていたので、この企画を立てました。けれども残念だったのは、参加者が少なかったことです。わずか8人です。
もともと、この「なくそう原発!しばた」は、バックになんの組織もなく、ただ柏崎刈羽原子力発電所の再稼働反対の署名を集めたり、原発や放射能について本当のことが知りたいという気持ちだけで集まった市民の会ですから、毎週水曜の夕方1時間、3〜5人で新発田駅前でビラを配るくらいでしたから、宣伝力が小さいのは仕方ないけれど、8人というのはひどすぎると思いました。有名な人でなければ、ダメだとでも言うのでしょうか。斉藤(仮名)さんが、この話をするのにどれだけ勇気がいったか、それを考えると、なんだか彼女に申し訳なくてどうしようもありません。それで、こんな貴重な話をもっともっとたくさんの人に聴いてもらわなくてどうするんだ!と思って、ツィートしました。口述筆記したものをまとめたもので、抜け落ちたところもありますが、だいたいのことは伝えられたのではないかと思っています。

この連続ツイートに対するmasa ‏@zebra_masa 氏のツイート
福島から新発田に引っ越された(方の証言を紹介する)太陽のイビキ ?@taiyonoibikiという方のツイートを読んでると、やりきれなくなってくるけど、引っ越した事で体調の方はみるみる回復されたらしい。とりあえずは良かった良かった。シーベルトだベクレルだって前に自分の体調は自分が一番分かるものなあ。

@zebra_masa氏に対する太陽のイビキ ‏@taiyonoibiki 氏の応答
ありがとうございます。セシウムはナトリウムやカリウムをたくさん摂ることで、すぐ体外に排出されていくのか、きれいな環境に避難することで(ここだって必ずしもきれいだとは言えないけれど、O村に比べればずっときれいということです)体調も回復するようです。
(さいとうるりこさんは)「皆さんも一刻も早く避難してくればいいと思いますが、避難して来ても生活の困窮がすぐそこに迫っていて、そのことで避難者どうしの関係がギクシャクしているのが、悲しいです。
私は市の方から、嘱託で仕事をいただいたので、だいぶ楽ですが、仕事のない人も多く、皮肉を言われることもありますが、気持ちはわかるので悪いふうにとらないように心がけています。心がバラバラになったまま、故郷に残してきた祖母や父母、兄のことを考えると、とても苦しいです。子どもは元気に遊んでいますが、強度の弱視は治りません。決断を遅らせた私が悪いんだと思います」と、言っていました。

ずくなし注
記述の中には、地理的な面などで不確かなものもあるが、さいとうさんの体験を理解する上で本質的な問題ではないことから修正や注書きは加えていない。
福島県中通りO村に関しては、私の手元にはいろいろなデータがあるが、それと照らしてもさいとうさんの話に疑問はない。データを一つだけあげると、O村の最近の空間線量率は、高いところは0.41μSv/hある。

・・・・・

太陽のイビキ氏からコメントがあり、皆様から賜った暖かいコメントに対する深い謝意が表されています。「これからも、被災者の本当の心の真実を伝えていきたいと思います」と述べておられます。
posted by ZUKUNASHI at 23:06| Comment(10) | 原発事故健康被害
この記事へのコメント
避難は賢明な判断だと思います
もう福島に人は住めない
それにしても、この話からみて福島の対応はひどすぎます
福島に限らず東北で放射能汚染されてるところはどこでも一緒なんじゃないでしょうか
自分がそんな地域に住んでたら東北人やめたくなりますね
東北の子供たちが不健康になれば、肉体的にも知能的にも、東北から日本一になることは不可能ですね
どうしても暗い先が見えてしまいますよね
東北に愛着あるわけじゃないし、どうでもいいやと思うのが本音ですが

放射能汚染という現実問題と真剣に向き合って自分なりに考えたコメントをさせて頂きました
別に東北を非難してるわけではないです
少し感情が入ったかもしれません。
色んな方々が見ていると思うので、不快にさせてしまったら申し訳ありません。

ずくなしさんのブログいつも拝見させていただいてます。
放射能汚染という側面から、健康を大事にするためのツールとして役立っており、本当に感謝しています。
未来の日本を担っていく一人の人間として、これからも知見を広げていこうと思います。
今後共よろしくお願いします。
Posted by 関東出身の20代学生 at 2013年10月18日 15:37
同じ子を持つ母として、胸が痛みました。
汚染地域の子供だけでも、何とか避難させてあげられないものでしょうか。
子供達ももちろんですが、その両親の避難も大事だと私は思っています。
子供が自立する前に親が他界する。
子供にとってこれほど不幸なことはないと思います。あまりにも子不幸です。
無力な私は「早く逃げて」と祈ることしかできず、もどかしい思いでおります・・・。
Posted by 2児の母 at 2013年10月18日 18:09
親不孝と子不幸のどちらも増やしてはならない、そのとおりです。
さいとうるりこさんのお話は、福島の現地の状況がよく分かる極めて貴重な証言です。一冊の本になるほどの内容があります。私は、この方の証言で改めて打ちのめされました。このまま福島にとどまる方が多いと、10年後、20年後の福島はどうなっているか・・・、考えたくないというのが正直な気持ちです。
それに健康被害は、福島だけにとどまりませんから、東日本は病人と半病人、そして障害を持つ方でいっぱいになり、東日本以外の地域で受け入れていくことが必要になるだろうと思っています。
Posted by ずくなし at 2013年10月19日 00:03
悲惨な現状がよくわかりました。被災地の方の連帯が大事なことはわかりますが、間違った連帯意識は困りますね。正しいことを言ったら非難される世の中は間違っています。勇気をもって正義を貫いてください。
Posted by 丸山一郎 at 2013年10月19日 01:03
福島県には安達太良郡という郡は存在しません。
Posted by たか at 2013年10月20日 21:20
そのとおりです。O村の福島第一原発からの距離も少し違うようです。他にも気づいた点はありますが、O村が何村かは体験談の中では本質的なことではなく、証言した方が匿名を望んでおられるわけですから、あえて注を加えていません。
Posted by ずくなし at 2013年10月20日 21:45
こうゆう話を聞くと行政、産業界の無責任さに怒りが湧くと同時に益々不信感がつのる。人命に関する重大な問題である。僅かの汚染の危険の状態が発見されれば積極的に万難を排して安全策を執る責任が政府、産業界にはある。

Posted by 小野清孝 at 2013年10月21日 16:25
さいとうるりこさんがお話をされてから、約1年8ヶ月経ちますが、
お子様も含め健やかにお過ごしでしょうか。

るりこさんが思い起こしお話された懐かしい恵み深いふるさとの風景を私も想像し、
この原発事故が何もかも奪い去ったのだということを改めて思います。
大恩あるご家族をふるさとに置いての避難、本当に勇気ある決断をされたことと
思います。るりこさんとお子様の健康が劇的に改善したとのことで
分岐点にあったお子様の命とご本人の命をすくった大いなる決断でした。
そして事故から避難するまでのるりこさんの葛藤、
周囲の人々の様子、変わっていく自然の様子などなかなか知ることの出来ない
本当の姿(いまはもっと劇的に変化しているのでしょう)を垣間見ることが出来ました。



 

Posted by はぎしりレンコン at 2015年06月18日 20:58
福島で農業はするわ、漁業はするわ、避難はさせないわ、で政府はろくなことしなかったね。
瓦礫は全国に撒き散らすし。これからもっと福島のものを日本中はおろか、オリンピックで世界中の
人に食べさせようと思ってるんだから犯罪国家の政府じゃないかと思うわ。
福島の県知事は一体何をしてるんだろう?みんな死にたえろと思ってるんだろうか?

Posted by QP at 2015年12月05日 12:44
つ「寺坂信昭(てらさか・のぶあき)
自然災害時の原発事故は「実質的には起こり得ない」と断言するも、2011年(平成23年)3月の原発事故で、福島県を恐怖のずんどこに叩き落とした当時の最高責任者(原子力安全・保安院の院長)。」
Posted by 古式若造 at 2016年05月25日 09:14
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