いわき市に住んでいた母親の体験報告: ずくなしの冷や水

2018年06月21日

いわき市に住んでいた母親の体験報告

北九の子供を守るネットワークのブログに、2013/6/16に行われた糸島「ひなん者お話会」での、いわき市から北九州市に避難してきたmiko氏による体験報告が載っている。

以下は、その要点。

・・引用開始・・

福島原発から42kmのいわき市に住んでいました。私は、そこで、ピアノ教室の主宰として、夫は市職員、子ども二人。

3.11後、いわき市の北のほうは、30km圏内だったのに、市長が「風評被害」という言葉をつくり、圏内からはずしました。事故前は1時間あたり、0.05マイクロシーベルトだった放射線量は、23マイクロシーベルト。460倍に。当時、長崎大学の山下俊一教授が100ミリシーベルトまで安全だと大キャンペーンを、テレビ、新聞、ラジオ、学校、講演会で行き渡ったころには、学校で0.5マイクロシーベルト、通常値の10倍でも、外の活動を安全だとして行いました。

100ミリシーベルトが安全ですので、当然、給食は最初(事故1ヶ月後)地産地消ということになり、私たちは署名活動を根気よく続けて地産池消をすぐにやめさせました。尚、教育委員会が給食を食べない自由を認めたのは、2学期になってからです。

外の放射線量は同じではありません10cm違っても、2.3マイクロ、5マイクロ、普段の46倍、100倍、と様々です。

3月11日の大地震での被害は、私の家は殆どありませんでした。ただ、いわき市の水道が20日間とまりました。水道が止まったので、次の日、給水車に2時間ほど子供と一緒に並びました。3月12日1回目の爆発がありました。あとで測定データを見ると、23マイクロ、普段の460倍でした。この時、「危ないから屋内退避しなさい」 という広報車もなく、私たちは、爆発したことも知らず、2時間外にいました。

今現在私達母子3人ともに、甲状腺に異常有りの血液検査の結果と、息子には、5mmののう胞があります。今、報道をみると、甲状腺がんは生活習慣病になりました。たとえ癌になっても自己管理のせいといわれ、放射能の影響と国はいわないと思います。

私は、子供たちのホールボディカウンターを事故後すぐにうけようとしました。しかし、どこに問い合わせても受けられませんでした。東京まで行って、受けてきた人がいましたが、データーを渡してもらえませんでした。私も、何箇所か電話で確認しましたが、データーを渡してくれるところはありませんでした。

では、甲状腺の血液検査と思い、電話しましたが、いわき市内一斉に甲状腺の検査はしないと、耳を疑う結果になりました。どこで被曝した証拠を残せるかと福島県に聞きましたが、「ない」と回答されました。

私の主人は市の職員です。何かあったら、1番に連絡があるはずだと主人は言ってましたが、結果は爆発も知らされず、母子ともに外で被曝しました。私の主人は放射能の知識は0ですが、国から与えられた文書を丸暗記するほど、電話対応に追われていました。

事故から5か月後、いわき市発表の放射線量は0.12μsv/hでした。私が市役所からガイガーカウンターを借りて測ると、0.24〜 22.14μsv/h。また、有志で土壌検査や剪定した木の測定をすると、20000bq/kgありました。

行政は私たちを守らないと、主人と放射能の測定結果を見てそう感じました。

水道水NDといわき市のホームページで発表されています。それで、ストロンチウムやプルトニウムなどの核種の測定値を見たいというと、「市民が混乱する」という理由で詳細なデーターを出さず、ヨードとセシウムNDの文書を出されました。私たちの無知に付け込んで、本当に腹が立ちます。

私の避難の選択は、放射能を怖がるというよりは、行政、学校、の対応と自分たちの目でみた測定値と家族におこった体の異変で判断しました。

毎日続く下痢、鼻血、口内炎、鼻の中のできもの。これらは、原発事故後に家族、友人に実際おきたからだの変化です。放射能の影響は癌だけではないと知ったのも後になってです。

国の発表と事実はちがう。国は明らかに法律違反を市民に強要しているのに、職員は国の言いなりにしか動きません。文書公開制度すら、嘘にならない嘘で市民を騙し、出させない、書かせない、時間をかせぎます。

学校は生徒、児童を守らない。放射能に気をつける父兄を許さない。放射能をなるべくさけようと、お弁当にすると、他のクラスメートからいじめられ、暴力をうけても、いじめた児童父兄を指導せず、放射能を怖がらないように私が指導をうけました。

私が、避難を決意したのは、娘の登校拒否でした。放射能を防御することを周りの空気が許しませんでした。私は、それでも、いわきで暮らせる方法をたくさん探し、行政に文書で色々請求しましたが、のらりくらりとかわされました。

年老いた両親と共に避難を説得しましたが、今更ふるさとから離れたくない。と言われ、夫は安全論。夫の母には、「立場をわきまえなさい」と避難することを許してもらえませんでした。結局、行政と格闘しながら、悩み、私の両親から子供を1番に考えなさいと言われ、夫を捨て、年老いた両親を福島に残し、北九州に避難しました。

先日も、北Qの「ドンナマンマ」という情報誌で、大学の教授や講師、行政職員が、放射能安全と言ってました。放射能安全説が完全に全国に行き渡ってしまいました。

放射能が薄めて安全という一方で実際に福島では人が死んでいます。私の従兄弟が亡くなった次の日に友人の旦那が死にました。私はなんでもかんでも放射能のせいとは言いません。

除染は無駄です。自分でやったので知っています。0.5が0.2にさがり、2週間後には、0.5に戻ります。ということです。

私は、測定、事実の公表、十分な補償を約束して、福島県民に選んでもらうことが唯一の復興だと思っています。

じつは、今年の3月、福島県の鮫川村で8000bqの稲わら焼却の実験炉の建設を止めに行きました。あと一歩、書類の提出と記者会見を予定していましたが、なんと、反対していた本人に邪魔され、止められませんでした。反対派が賛成派である事実。わたしは体験しました。

反対運動の実態を見て、「フクシマが救われることは無理」と絶望しました。

・・引用終わり・・

miko氏は、「私の避難の選択は、・・・行政、学校、の対応と自分たちの目でみた測定値と家族におこった体の異変で判断しました。毎日続く下痢、鼻血、口内炎、鼻の中のできもの。」と述べているが、他の避難された方の手記でも、まずは子どもの健康被害、そして本人の健康被害を認識することで避難の意志が強まり、行政や医療機関に対する不信が避難決断の大きな要因となっている。

家族の健康被害で、子どもと妻に加えて夫に自覚症状があれば、家族あげての避難となる例が多い。

miko氏の場合、実の両親が避難に賛同してくれたことが大きいと思われるが、良き理解者のいることが最後の決断に伴う避難家族の精神的負担を大きく軽減してくれる。

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糸島「ひなん者お話会」から、mikoさんのお話
3.11福島原発事故で、故郷いわき市から、昨年1月に北九州市に自主避難してきました。
今日は、主に北九州市に来るまでの9ヶ月、私が見てきたこと、体験したこと、感じたこと、そして今を話します。 
福島原発から42kmのいわき市に住んでいました。私は、そこで、ピアノ教室の主宰として、夫は市職員、子供2人と生徒たちに囲まれて、毎日、楽しい時間を過ごしていました。
さて、3.11後私たちの生活は一変しました。いわき市の北のほうは、30km圏内だったのに、市長が「風評被害」という言葉をつくり、圏内からはずしました。事故前は1時間あたり、0.05マイクロシーベルトだった放射線量は、23マイクロシーベルト。460倍に。
当時、長崎大学の山下俊一教授が100ミリシーベルトまで安全だと大キャンペーンを、テレビ、新聞、ラジオ、学校、講演会で行き渡ったころには、学校で0.5マイクロシーベルト、通常値の10倍でも、外の活動を安全だとして行いました。
100ミリシーベルトが安全ですので、当然、給食は最初(事故1ヶ月後)地産地消ということになり、私たちは署名活動を根気よく続けて地産池消をすぐにやめさせました。尚、教育委員会が給食を食べない自由を認めたのは、2学期になってからです。
ですから、安全説を信じた人の子供たちは、給食を食べさせていました。先生や学校に言っても無駄でした。
外の放射線量は同じではありません10cm違っても、2.3マイクロ、5マイクロ、普段の46倍、100倍、と様々です。
私が、疑問に思ったのは、市の職員、学校の教員が放射能汚染から子供を守らなかったことです。
さて、原発が爆発したときのことを、話しましょう。
3月11日の大地震での被害は、私の家は殆どありませんでした。ただ、いわき市の水道が20日間とまりました。
水道が止まったので、次の日、給水車に2時間ほど子供と一緒に並びました。
3月12日1回目の爆発がありました。あとで測定データを見ると、23マイクロ普段の460倍でした。
この時、「危ないから屋内退避しなさい」 という広報車もなく、私たちは、爆発したことも知らず、2時間外にいました。
日本は安全といっていましたが、今現在、私達母子3人ともに、甲状腺に異常有りの血液検査の結果と、息子には、5mmののう胞があります。
今、報道をみると、甲状腺がんは生活習慣病になりました。たとえ癌になっても自己管理のせいといわれ、放射能の影響と国はいわないと思います。
私は、子供たちのホールボディカウンターを事故後すぐにうけようとしました。しかし、どこに問い合わせても受けられませんでした。東京まで行って、受けてきた人がいましたが、データーを渡してもらえませんでした。私も、何箇所か電話で確認しましたが、データーを渡してくれるところはありませんでした。
では、甲状腺の血液検査と思い、電話しましたが、いわき市内一斉に甲状腺の検査はしないと、耳を疑う結果になりました。
どこで被曝した証拠を残せるかと福島県に聞きましたが、「ない」と回答されました。

私の主人は市の職員です。何かあったら、1番に連絡があるはずだと主人は言ってましたが、結果は爆発も知らされず、母子ともに外で被曝しました。
また、私の主人(市職員)は放射能の知識はゼロですが、国から与えられた文書を丸暗記するほど、電話対応に追われていました。
事故から5か月後、いわき市発表の放射線量は0.12μsv/hでした。私が市役所からガイガーカウンターを借りて測ると、0.24〜 22.14μsv/h。
また、有志で土壌検査や剪定した木の測定をすると、20000bq/kgありました。
「行政は私たちを守らない」と、主人と放射能の測定結果を見てそう感じました。
例えば、水道水NDといわき市のホームページで発表されています。
それで、ストロンチウムやプルトニウムなどの核種の測定値を見たいというと、「市民が混乱する」という理由で詳細なデーターを出さず、ヨードとセシウムNDの文書を出されました。
私たちの無知に付け込んで、本当に腹が立ちます。


私の避難の選択は、放射能を怖がるというよりは、行政、学校、の対応と自分たちの目でみた測定値と家族におこった体の異変で判断しました。
毎日続く下痢、鼻血、口内炎、鼻の中のできもの。これらは、原発事故後に家族、友人に、実際おきた体の変化です。
放射能の影響は癌だけではないと知ったのも後になってです。
国の発表と事実はちがう。
国は明らかに法律違反を市民に強要しているのに、職員は国の言いなりにしか動きません。
文書公開制度すら、嘘にならない嘘で市民を騙し、出させない、書かせない、時間をかせぎます。
学校は生徒、児童を守らない。放射能に気をつける父兄を許さない。
放射能をなるべくさけようと、お弁当にすると、他のクラスメートからいじめられ、暴力をうけても、いじめた児童父兄を指導せず、放射能を怖がらないように私が指導をうけました。
私が、避難を決意したのは、娘の登校拒否でした。放射能を防御することを周りの空気が許しませんでした。
私は、それでも、いわき市で暮らせる方法をたくさん探し、行政に文書で色々請求しましたが、のらりくらりとかわされました。


年老いた両親と共に避難を説得しましたが、今更ふるさとから離れたくない。と言われ、夫は安全論。夫の母には、「立場をわきまえなさい」と避難することを許してもらえませんでした。
結局、行政と格闘しながら、悩み、私の両親から子供を1番に考えなさいと言われ、夫を捨て、年老いた両親を福島に残し、北九州に避難しました。


今、話したように、報道と事実は違います。
先日、産廃の中間報告書を文書公開したら、福岡県のある企業では、福島、茨城、山形、神奈川からも汚泥、ばいじんを受け入れ、北九州市瓦礫受け入れ以前から今も処理しています。
瓦礫受け入れ騒動のかげで、粛々と放射性物質の焼却をバグフィルターのない状態で処分しています。
今報道では、PM2.5は中国からやってくると、大キャンペーン中ですが、本当にこのPMは中国産でしょうか?
九州の産廃、セメント工場では、福島の石炭の焼却灰を受け入れ、リサイクルしています。
北九州の公文書を見ると、PM2.5が昨年4月に230超え、他の月でも100超えがよくありました。国産、九州産PM2.5で間違いありません。
これからは、福島県民におきたことが、日本国民におこるでしょう。
それは、呼吸と食品からになると思います。先日も、北九州の「ドンナマンマ」という情報誌で、大学の教授や講師、行政職員が、放射能安全と言ってました。放射能安全説が完全に全国に行き渡ってしまいました。
「放射能が薄めて安全」という一方で、実際に福島では人が死んでいます。
私の従兄弟が亡くなった次の日に、友人の夫が死にました。
私はなんでもかんでも放射能のせいとは言いません。
チェルノブイリの教訓があるだけです。
国は、認めません。 でも、私たちは安全論、危険論、両方聞き、見たこと、聞いたことで 「選ぶ権利」 があります。


私が、今このような状況にあるのは、原発の危険性を知らなかったからです。
放射能が消えないということを知らないで、家の前をひとりで除染し、放射能を吸い込みました。
今、福島には人が住んでいます。
みんな、
「どうせ、わたしら、モルモットだし、補償がないから逃げても貧乏、生活できない」 「今の生活レベルを落としたくない」 「国が安全といってるから安全だっぺよ」 「死ぬ人多いねー」 「でも、何もできない、変わらない、やっても無駄」 「楽しいことだけ考える」 
と言いながら、
除染し、生活排水は、汚泥、焼却灰となって、高濃度の放射性廃棄物を毎日排出しています。
それが自分に帰ってくる事実と向き合うことはありません。
除染は無駄です。自分でやったので知っています。
0.5が0.2にさがり、2週間後には、0.5に戻ります。ということです。
大量の除染後の汚染土壌はどこへいくのでしょうか?
国が責任をもって処理するとは、産廃に出すということだと思うのですが.....
産廃に出したものは、セメントや鍋、腐葉土になって、全部自分に帰ってきます。
保養を否定はしませんが、根本的な救いにはなりません。
私は、測定、事実の公表、十分な補償を約束して、福島県民に選んでもらうことが唯一の復興だと思っています。
放射能は拡散させず、福島に閉じ込める。
私の先祖の墓は福島原発から2kmです。放射性廃棄物を置いてください。
お墓どころか、家、広大な土地の所有者であっても、そう思っている福島県民は沢山いますが、その声は消されています。
実は、今年の3月、福島県の鮫川村で8000bqの稲わら焼却の実験炉の建設を止めに行きました。
あと一歩、書類の提出と記者会見を予定していましたが、なんと、反対していた本人に邪魔され止められませんでした。
反対派が賛成派である事実。わたしは体験しました。
 
北九州の瓦礫反対運動の中でも、「瓦礫反対」の署名はOKで、「公害防止協定の締結を求める署名」はNG。
北九州で「漁協の反対が最後の砦」という話を聞きましたが、実際に公文書請求したら、漁協からの「反対声明文」の提出はありませんでした。
明確に「反対」とかいてないのです。
瓦礫焼却されてからも、反対派がテント村に集まっている頃、私は「反対声明文」を出してくれるよう漁協にお願いして回りましたが、会って下さったのは2箇所で、どちらも反対声明を出してくださいませんでした。
あの時、どこか1つの漁協で反対声明文、焼却炉周辺住民2人以上の「公害防止協定書の締結を求める声明文」を出せれば....それらをさせないため、数々の妨害を受け、フクシマからの避難者である私だけが陥れられました。 
反対運動の実態を見て、「フクシマが救われることは無理」と絶望しました。 
さて、これから、バグフィルターをほぼ100%セシウムを取るという嘘を通したように、まず、福島ではヘパフィルターを付け安全といって、全国に8000bqの焼却炉建設、また、福島の森林を使ったバイオマス発電所が全国に建つのではないでしょうか。
国はお金持ちなので、テレビで考えることを止めさせ、殆ど嘘の報道で国民に一定の空気を作り、そこから漏れた人たちを、様々な運動で取り込み、
「私たちは、またも、うっかり、同じ方向を向くようにされています。」
私の考える本当の繋がりは、トップの言うことに従うのではなく、わからないことを教え合い、
一人一人の知識レベルをあげて、事実の共有をして、それを、身近なところへ伝える。
もう少し勇気があれば、企業、行政が1番に抱き込む漁協、清掃工場や産廃、セメント工場の周辺住民へ事実を伝える。
北九州市が瓦礫受け入れの時に、清掃工場周辺自治会長へ、「お一人様説明会」をしたように、
私たちも、周辺住民に、「お一人様勉強会」をしていくことが、子供たちを守っていくことに繋がると思います。
 
私は報道に騙され、子供たちを被曝させてしまいました。
無知でうわべだけしか知らなかったので、避難しても、子供たちを守ることができませんでした。
私にできることは、経験した事実を話すことだけです。知って選んでください。できれば、知って伝えてください。
事実を見誤ってはいけません。 「勇気」を持って「自分で考えて行動」すれば、事実が見えるはずです。
私達の最後の盾は地方自治体です。
地道に「住民教育」からはじまり、知識を持った住民が教師、職員を教育していくしかありません。
やっぱり、面倒でも自分が動かないと自分の子供を守ることはできないことがわかりました。
忙しくても、おいしいごはんを作りながら、出来ることをできる範囲で続けていきます。
【追記】



(この記事の初出 2013-06-28 14:03:58 2018/6/21追記)
posted by ZUKUNASHI at 12:43| Comment(1) | 原発事故健康被害
この記事へのコメント
初めまして私もいわき市から京都府へ家族と移住しました。理由は、放射線の影響による子供達への健康被害への不安が50% 再び起きるかもしれない 地震噴火等の災害への懸念が30% 政治 メディア 『がんばっぺ いわき』に対する不信と疑問が20%みたいな感じで速攻決意しました。市民国民の意識は、原発事故世界基準のレベル7や1000年に一度の災害に対する恐れがあまりに薄いと感じました。人それぞれ頑張る所が有ると思いますが、私は故郷では無く子供達を守る事をがんばりたいです。 私は海も山もあるいわきに産まれ育ち、その土地を愛し感謝はしています。しかし、そこだけが故郷と思い拘る事はありませんでした。私にとっての故郷は、日本であり地球であり、何処へ行って環境が変わろうとも家族への不変の愛が故郷です。
『君子危うきにちかずかず』お互い頑張りましょう。
Posted by 遠藤 聡 at 2013年10月31日 06:04
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