次はブログ大熊町に掲載されている大熊町町内の土壌調査結果。

上の表ですさまじい汚染になっているのが大熊町小入野東平。セシウム134と137の合計で57,786 kBq/m^2、5,778万6,000 Bq/m^2だ。
1平方メートル当りこれだけのセシウムがあると、空間線量率は文部科学省委託調査結果から276,000で割って推定でき、おおよそ209μSv/hとなる。試料採取時に測定した地表の空間線量率は180.0μSv/hとされており、おおむね見合っている。5時間さらされれば、約1ミリシーベルトだ。
この試料が採取されたのは、2011年の5月25日だから福島第一原発事故後2ヶ月以上も経過している。このときのヨウ素131が 653 kBq/m^2、2011/3/15からカウントしても、71日経過しており、ヨウ素131は70日後には0.00232267に減衰するから、3/15にはヨウ素131が大気中または地表に約2億81百万ベクレルあったと推定される。
しかも、初期には、ヨウ素、セシウムともに大半が空気中にあったわけだから、これを呼吸によって吸い込み内部被曝している。このような超高濃度のプルームが襲来したときに半日も屋外にいれば、絶命する恐れが強いと思う。
共同通信は2011/03/31 14:02、「2013/3/27に、大熊町で見つかった遺体は、除染が必要な基準の一つである10万cpmまで計ることができる測量計の針が、振り切れる状態だったという。このため福島県警の部隊は遺体の収容を断念している。」と報じている。
東平の位置と周辺のMPのピーク線量率。

双葉町の上羽鳥では2011/3/12の15時に1.59ミリシーベルト毎時を記録している。東平に近い大熊町向畑では3/14の23時に参考値ながら0.142ミリシーベルト毎時=142μSv/hを記録している。

土壌のセシウム濃度をチェルノブイリ周辺と比べてみる。チェルノブイリ事故の際には、セシウム137のウエイトが高かったようでセシウム137で基準が作られているからこれで比較すると、東平のセシウム137は 30,014 kBq/m^2。
次のウクライナのチェルノブイリ周辺汚染マップでは、濃紺の部分が20,000kBq/m^2以上で最上位階層区分となっている。東平の汚染は、これらの地域に匹敵するすさまじい汚染だ。

今中哲二氏の「チェルノブイリ原発事故から11年」には、事故から36時間後の「1986/4/27、午後2時、1300台のバスでプリピャチ市民の避難が始まった。当局が心配していたパニックは起らず、約三時間でプリピャチ市はほぼ無人の町となった。」と書かれている。プリピャチ市は、4,000kBq/m^2〜7,500kBq/m^2程度だ。

大熊町で見つかった遺体は、放射能汚染が激しいため、司法解剖もされていない。爪を採取することさえできなかったようだ。それゆえ、死因は特定されていないが、常識で考えて、さらにプルームの濃度が低かった関東でも福島第一原発事故後突然死が相次いだことを知れば、遺体の死因に放射能が関係していないなどということは考えられず、放射能被曝による死亡例と見るのが相当だ。急性被曝死には、現場目撃者はいない。一緒に死ぬからだ。
そんな常識も備えていない人が政策を企画調整するような政党を信用、信頼することができるだろうか。みんな、早く目を覚まそう、このままでは日本は滅びる、と訴える。
なお、福島県放射能測定マップによると、鈴木建築前小入野川橋の空間線量率測定値は、2012年09月25日12時25分現在で100cm高さ地点 25.56マイクロシーベルト/時とされているが、なぜこのページが残っているのか、よく分からない。

大熊町東平の津波浸水域
