ロナルドレーガン乗組員米兵は強く被曝: ずくなしの冷や水

2013年04月25日

ロナルドレーガン乗組員米兵は強く被曝

ロナルドレーガン乗組員米兵は強く被曝し急性症状が出た可能性」の続き

星の金貨プロジェクトに掲載された一連のトモダチ作戦に関する翻訳記事は非常にためになる。ぜひ原サイトで全文お読みいただきたい。翻訳のレベルも高く読みやすい。

記事を次々に読んでいたら途中で迷子になったので自分用の索引。以下の私のコメントで関心が出た回を容易に探せる。
1部1回1部2回1部3回
2部1回2部2回2部3回
3部1回3部2回3部3回3部4回
4部1回4部2回4部3回4部4回4部5回4部6回

以下、私の注目点とコメント

1部2回
「私たちは結局80日間その場所に居ました。近い時は日本の海岸線から3キロ沖合にまで接近し、また離脱することを繰り返していました。」
「福島第一原発の南約300キロの地点にある横須賀にある米海軍基地では、環境中の放射線量が上昇し続けるのを見て、国防総省が女性と子供たちを横須賀から避難させました。」
「厚木米空軍基地で、ヘリコプター部隊の上級主任整備士を務めるマイケル・セバーンが当時を振り返り、こう語りました。」
「地震と津波が襲った後、私たちは仙台と福島への救援活動の拠点となる青森県の三沢基地に、部隊ごと一日で移動するよう命令を受けました。そして私たち以外の部隊すべてはグアムまで避難して行きました。」
「厚木の大気中の放射線量は200〜300cpmありました。あらゆる場所が、でした。水からも放射線が検出され、地面からも放射線が検出され、地面からも放射線が検出されました。」
「汚染されたラジエターを、再びヘリコプターに装着することは許されません。交換しなければなりません。私はあの時、60,000cpm(81万7千ベクレル)に汚染されたラジエターを取り外したことを憶えています。」
・・・福島第一原発事故後早い時期に厚木基地から航空機が次々と飛び立ち南に向かったとネットで伝えられた。厚木の大気中の放射線量200〜300cpm、60,000cpm(81万7千ベクレル)に汚染されたラジエターの情報は貴重だ。土壌でkg当り46,000Bqあれば、空中測定マップの一番高い赤色の階層になる。厚木の空間線量200〜300cpmは、13倍から20倍に当るのではないか。

2部1回
「原子炉規制委員会の技術部次長ジャック・グローブが「我々が一番心配していたことが、現実になりつつあります。風向きが変わり始めました。すでに風向きが変わり、北東方向から南西方向に向いて吹いています。その先にあるのは本州本土、そして東京です。空母も東京の南方にある港に停泊中です。東京は福島第一原発の南方約290キロ、港はその東京の16キロにあり、空母が計測した放射線量はこの12時間で10〜20ミリレム」」と。
・・・12時間で10ミリレムなら100マイクロシーベルトだから時間当り8.3マイクロシーベルト。横須賀の空母が測定した値だ。ずいぶん高い。米原子力空母ジョージ・ワシントンは3/21、13:10頃米海軍横須賀基地から緊急出港し、在日米海軍司令部は横須賀基地と厚木基地内で微量の放射性物質を検出したとして将兵や家族、基地従業員に屋外へ出ないよう通知していたという。

2部3回
「そして2011年3月11日、韓国の港に停泊中だったUSSロナルド・レーガンを旗艦とする第7艦隊空母機動部隊に対し、津波に襲われた日本の東北地方への出動命令が下ったのです。」
「翌朝午前5時には現場に到着していなければなりませんでした。」
「3月12日、USSロナルド・レーガンを旗艦とする第7艦隊空母機動部隊が福島県の3キロ沖合に到着した時、福島第一原発の原子炉1号機が爆発を起こしました。」
・・・ロナルド・レーガンは、2011/3/11韓国の港を出発、3/12午前5時には福島沖に到着していたことになる。そして、3/12午後3時過ぎの1号機爆発時のプルームをもろに浴びることになる。

3部1回
「3月13日、福島第一原発から約200キロの沖合に居た航空母艦ロナルド・レーガンから、同艦のフライトデッキ上に設置したセンサーが、放射性物質を検出したと報告してきたのです。「計測可能な量の放射性物質は、福島第一原発の原子炉1号機のベント開始とほぼ同時に計測されるようになりました。」
・・・原発がベントをするとどうなるか参照。東電の説明では1号機のベント成功は2011/3/12、午後2時半とされており、これ以降放射性物質が計測されていたことになる。プルームの直撃は受けていないようなのにすごい線量率だ。



3部2回
「航海士たちは福島第一原発がある場所からまっすぐ東に向け、80キロの直線を引きました。そして次に福島第一原発を中心に南北に40キロの長さの直線を引きました。艦隊はこの線と海上80キロの点を結んだ三角形の海域の中こそ、放射性物質が充満している汚染地域だと仮定したのです。」
・・・文中にある米国海軍が危険区域として想定した範囲は次のとおりだ。

次の図は、3/12、12時、16時、23時、3/13、01時の気流のシミュレーション画像を重ねたもの。仮定した区域を大きく越えてプルームが飛んでいる。同心円の一目盛りが50km。

3部3回
「私たちはできるだけ汚染されていると思われるこの三角形の海域に入らないようにしていました。しかし被災地に救援物資、水や食料などを届けるためには、何度もこの場所を横断しなければなりませんでした。三角地帯を迂回して被災地に向かったり、また別の場所に移動したりする余裕は無かったのです。」
「私たちは80日程その場所にとどまり続けました。」「空母ロナルド・レーガンの船体はセシウム、ヨウ素とテクネチウム、そして福島第一原発が放出したありとあらゆるもので汚染されてしまいました。」

4部1回
「日本国内には約70,000人の政府関係者・軍関係者とその家族が暮らしており、彼らは一様に避難しなければならなくなる事態の到来を恐れていました。福島第一原発から300キロ南にある横須賀海軍基地では、検出される放射線量の増大に伴い、まず家族から避難を開始しました。」
・・・比較的早い時期に横須賀の米軍家族の住宅はもぬけの殻だと伝えられていたことと符合する。

4部2回
「モーリスはその日2週間の間メインマストに掲げられていた星条旗を降ろし、艦長室に持って来るよう命じられました。」
「私は国旗を降ろし、丁寧に折りたたんでみ右脇に抱え込みました。その後私は命じられた通り国旗を所定の場所にしまいました。」
「夕食の後、モーリスが放射線のセンサーの前を通り過ぎた途端、突然すべてのアラームが鳴りだしました。」
「彼らは口々に私に向かってこう叫びました。『何にも触っちゃいかん!誰にも触るな!そのまま汚染処理エリアに直行しろ!』とね。非常線を張るためのロープが引き回された汚染処理エリアの前には、順番を待つ男女の乗組員の列ができていました。」
「しかしモーリスは待つ必要はありませんでした。列の先頭に出るように言われた彼は、そこにいた士官と上級軍医たちから絵の展示会の応募作品のように隅から隅までじろじろと見られました。」
「彼らはまず私のブーツをチェックしました。放射線は検出されませんでした。次に私の手の検査を始めました。途端にセンサーがけたたましい警報音を発し始めたのです。」
「私を検査していた人間が飛びのいて、こう叫びました。『彼から離れろ!』 私は腕をビニール袋で覆われ、誰も私に近づかないよう命じられました。まるで疫病を持った人間のように扱われたために不安が頂点に達し、もう少しで発作を起こして倒れる所でした。彼らは私がどこに行って、何をしなければならないか、大声で命令し、決して私に触れようとしませんでした。私はペンキをこすり落とすスクラブ洗剤を渡されました。それを使って体の右半身と両手を洗うと、まるで砂をこすりつけられたような感触で、表皮の2番目ぐらいまでをはがしてしまいました。」
・・・この部分は、国旗がとてつもなく汚染されていたことを示す。除染のために皮膚が磨り減るほどに洗わなければならないこともあると、小出裕章氏はたびたび述べている。

4部3回
「「私は、腕にデジタル時計をしていました。」と、操舵手のジェイミー・プリムが語りました。その時計が突然止まったのです。その時甲板にはデジタル腕時計をしている兵士が5〜6人いたのですが、それぞれ自分の時計を確かめてみました。そしたら全員の時計が止まっていたのです。」
・・・福島第一原発の建屋の中に入った高価なロボットが故障して放棄されなければならなかった例は聞いたが、デジタル腕時計が止まった話は初耳だ。操舵手は外に出ないはずなのに、腕時計が止まるほどに強い放射線を浴びている。このことから、どれほど強い放射線を浴びたかは実験すれば推定できるはずだ。

4部5回
「2011年5月、彼の8才の息子カイ君が、原因不明の体調不良に陥りました。」
「息子は嘔吐の発作が止まらず、3週間学校を休まなければなりませんでした。息子は日に10回から15回も嘔吐を繰り返しました。気分は悪くないのに、嘔吐が止まりまらないのです。最終的に医師たちはストレスが原因だという診断を下しました。未だに息子の嘔吐は続いていますが、未だに原因を特定できずにいます。」
「しかしセバーン自身の体調は問題ありませんでした、2011年いっぱいまでは…」
「2012年3月、私は海軍の軍医たちが説明できない症状に見舞われました。」
「セバーンがこう語りました。」
「右半身のすべての能力が、通常の40%から50%に低下してしまったのです。」「腕、胸、そして肩に居は痛みがあります。そして奇妙なことに、私の左半身が異常に大きくなり始めたのです。私は生来右利きで、右側を使う事の方が多かったにもかかわらず。」
「セバーンが東京電力を告発する原告団に加わった理由は、汚染を引き起こし、虚偽の報告を繰り返したことにより多くの将兵を放射能に被爆させ健康被害を引き起こした、その責任を取らせるとともに、自分たちが必要とするであろう医療に対する補償を確立するためでした。」

4部6回
(日本近海での任務終了後、男性)「私は悪性の胃潰瘍に侵され始め、体にさらに2つのこぶができたのです。ひとつは太ももの下の方、もう一つは顔の目と目の間にできたのです。退役した私は髪を伸ばし、ひげも伸ばし放題にしました。そうしたら、髪が抜け始めていることに気がついたのです。櫛で髪の毛をとかすと、ごっそりかたまって髪が抜けてしまうのです。そしてペンを持つと、右手が震えることにも気がつきました。努力して運動能力を高めてきましたが、今や体の中のスイッチが次々にオフになっていくのです。一気に老化が進んでいくようなものですが、耐えられない思いです。」
(女性)「私の生理のサイクルが、この半年で完全に消えてしまったのです。医師たちは私に対し、何度も妊娠検査を行いました。それ以外に生理が止まった原因を特定出来なかったのです。でも私は妊娠などしていませんでした。そしてその6カ月後、私は突然大量の出血をして気を失い、緊急処置室に担ぎ込まれたのです。」
「彼女は原因も病名もわからないまま、数か月ごとに大量の出血をするようになってしまったと彼女は語ります。規則正しいはずの女性の生理現象が、彼女の場合は医療機関での処置を必要とする、原因不明の大量出血現象に変わってしまったのです。」
・・・抜け毛は南相馬市のぬまゆさんもブログに綴っていた。女性の生理の不調は日本では広範に生じている。

星の金貨の運営者は、最近、身内の方の不幸にあわれたようなのに、記事の掲載を続けられている。お悔やみを申し上げたい。
posted by ZUKUNASHI at 21:16| Comment(2) | 原発事故健康被害
この記事へのコメント
こんにちは、とある記事です

弁護士チャールズ・ボナー氏:福島第一原発事故後、放射能病で米海兵3人死亡、
250人が闘病中
ttp://jp.sputniknews.com/us/20150729/653421.html
Posted by とおりすがり at 2015年07月30日 21:54
少しずつ被災者の疾病の状況が出てきていますね。ずいぶん深刻な症状もありますので、日本人被災者にも出てくるのではないかと恐れています。
Posted by ずくなし at 2015年07月30日 22:03
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