茨城県住民の健康被害は深刻 今後の発症に注意 避難が最良の薬: ずくなしの冷や水

2012年12月09日

茨城県住民の健康被害は深刻 今後の発症に注意 避難が最良の薬

2012/12/09 木下黄太のブログに掲載された福島第一原発事故当時茨城県守谷市に住んでいた3歳のお子さんのレストレスレッグス症候群発症の例は、プルームによる内部被曝の怖さを示している。

以下、木下黄太のブログから引用

3/11 茨城の守谷市にいた。木造の家屋24時間換気はとめていなかった。15の昼ごろに、守谷駅から電車で羽田空港へ。15時ごろに到着し飛行機で大分へ。5月のGWまで、大分で過ごす。5月に帰省。守谷に数日いて、足立区の自宅に10日間いたら、子どもが鼻血を出す。以前は、ほとんど鼻血出さない。当時3歳の子。鼻血と下痢も。大分に戻る。

白血球が高い気味。軽い膀胱炎と言われた。泌尿器科で。
11月中旬、足がおかしくて歩けない。→レストレスレッグス症候群と診断。
12月に守谷に一時戻る。「手がおかしい。」と子供が訴える→精神的なものじゃないのかと医師に言われた。
その後、大分ですごし、体調が落ち着いていた。
1月  嘔吐下痢、溶連菌も感染。
5月  足立区に一時帰宅。高熱が続く。マイコプラズマ発症。サイログロブリンの数値が高く、フェリチンの数値も高い。
大分でさらに診療継続。

・・・引用終わり・・・

このお子さんは、2011/3/15の昼ころ守谷市の住まいを出て電車で羽田空港に向かったというから、つくばエクスプレスを利用し、秋葉原で環状線に乗り換え、品川か浜松町で乗り換えたと見られる。

つくばエクスプレスは所要32分、秋葉原・浜松町間所要13分程度、東京モノレール所要17分程度。

昼ごろに家を出て15時ころ空港到着とあるから子供連れで時間もかかったのだろう。

東京は、3/15の早朝からプルームが襲来しており、昼過ぎの時間帯はいったんプルームの濃度が低下した時間に当る。しかし、このプルームは守谷市近辺を通過して東京都に達しており、3/15の未明から濃度の高いプルームが守谷市を襲っていたとみられる。

2011/3/15午前2時
2011/3/15午前4時。4時から6時にかけていったん濃度が低下したようだが。
2011/3/15午前6時
2011/3/15午前8時。また濃度が上がったように見える。
2011/3/15午前10時
2011/3/15正午

以上から考えれば、守谷市を出る前のプルームによる内部被曝が大きいように見える。

お子さんは、大分市に滞在する間は体調が落ち着いているとのことだから、放射能の汚染から離れて症状が改善することを祈る。

さて、守谷市は、東葛飾地域と利根川を挟んで接し、茨城県南のホットスポットのひとつだ。このため、私の人口動態注目都市にしているが、福島第一原発事故後、人口自然増変化指数は特に悪化しなかった。

ここ数ヶ月、死亡数が高めで出生数が低目という傾向はあるが、他の濃厚沈着地帯に比べれば傾向悪化の度合いは小さい。

しかし、上の事例でも分かるように、茨城県にお住まいの方に健康被害が出ていないわけではない。特に子供さんに障害が出ている例は多いようだ。このブログの読者の中に、子供を連れて避難された母親を数例知っている。中には、そこまで症状が深刻ならもっと早く行動すべきではと思わされた例もある。

守谷市に限らず、茨城県下全般にわたって初期のプルームによる内部被曝は大きく、土壌の汚染も激しい。茨城県庁は、データを隠蔽しているようだが、実態はかなり悪いと思う。茨城県の方は、東京や神奈川の方のように情報発信に積極的ではない。

茨城県にお住まいの方は、現に健康被害が発生していること、初期の内部被曝の影響が後々まで続くことに留意してほしいと願う。私の推計では、2011/3に茨城県内で被曝が契機となって300人前後が死亡したのではないかとの疑いをぬぐいきれない。

2011年3月茨城県で被曝が契機となって300人前後が死亡した可能性
posted by ZUKUNASHI at 19:54| Comment(0) | 原発事故健康被害
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