2012/12/08木下黄太のブログに掲載された次の情報は、にわかには信じがたかった。
「江戸川区の小岩あたりで、去年の春過ぎにあった話が最近聞こえてきました。僕は同日におきたと聞いています。持ち帰りの飲食店の店長と副店長、隣接する魚屋のおやじさんが、突然死したそうです。」
最初、「去年」とあるのは「今年」ではないかと疑った。だが、木下氏はそんな間違いをしない。
これが事実なら、「おやじが次々死んでいく怖すぎる現実」の中にある突然死の事例でも最も早いものの一つとなる。日にちの早いものでは、「2011/5/4 福島第一原発の現場で復旧作業に当たっていた60歳の男性が死亡。死因は心筋梗塞」、その後は車関係の業務従事者が散発的にあり、8月に「2011/8月 東京都23区内に住む37歳の男性がシャワー使用中に倒れて死亡」の例が出てくる。
まず、小岩の位置関係。3/21のプルームの通過地域にある。
文部科学省空中測定マップ。小岩はセシウム134と137の計で平方メートル当り1万ベクレルから3万ベクレルだが、3万から6万ベクレルのエリアが近く、実際にはもっと高いだろう。
ここで考えなければならないのは、突然死が2011年の「春過ぎ」に起きたという点だ。春過ぎが正確にいつを指すのかわからないが、早ければ3月末、遅くとも5月までだ。となると、食物からの放射性物質の蓄積によるものではなく、呼吸による放射性物質の吸入と水道水からの放射性物質の体内取り込みによるものだろう。
小岩は、江戸川区だが、北のはずれにあり、人口動態としては、江戸川区と葛飾区の数値を参照する。
江戸川区の2010年1月以降の死亡数と出生数の推移。2011/3の数値はピークを示していないが、2011/5の死亡数の数値が3月を超えるピークとなっている。
ついで葛飾区の2010年1月以降の死亡数と出生数の推移を見ると、2011/1が死亡数のピークを付け、2011/3にもピークができている。2011/3の死亡数のピークは津波被害の比較的少なかった茨城県全体でもみられるところだ。
どちらも3月から5月にかけて死亡数が高めに推移しているから、プルームによる内部被曝が影響していると見ることができる。
2011/3/15のプルームの襲来状況。2011/3/15は東京都の西部が強いプルームの襲来を受けた。
一方、3/21は東葛飾地域を濃厚汚染したプルームが東京都の東部を通って東京湾から神奈川県に流れており、小岩はその通り道となった。午前3時には前日のプルームが北西方向から流れてきて東京都東部を覆っていた。
3/21の午前9時には千葉県の側からプルームが接近。
午前11時にはかなり濃厚なプルームが東京東部を覆い、これが13時ころまで滞留したと見られる。
地形的には市川駅前が海抜3.3m、小岩駅前が2m前後、新中川を越えた新小岩は−1.5m。水元公園の東京側2.5m程度、金町駅前2m。江戸川の東が少し高く、新中川の西側がかなり低くなっていることがプルームの滞留時間を長くしたのかは判断がつきかねる。
いずれにしても、3/21のプルーム来襲時に大気中の放射性物質によって被曝し、健康被害を生じた例と受け止めてよいだろう。「おやじが次々死んでいく怖すぎる現実」に追加することにする。
東葛飾や葛飾区、江戸川区にお住まいの方は、2011/3にすでに少なからず内部被曝していることにご注意を。柏市にお住まいで手賀沼トライアスロンを完走された方のブログは、2011-09-11を最後に更新が止まったままになっている。
参考記事
東京23区東部の放射能汚染は公称よりはるかに高い
2011/3のプルーム襲来とそれへの曝露状況推定の参考に
2012年12月09日
小岩近辺で2011年の春過ぎ食品販売業従事者が3人ほぼ同時に突然死との情報をどう受け止めるか
posted by ZUKUNASHI at 11:24| Comment(0)
| 福島原発事故
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