次は、2011-05-19 03:18:13に木下黄太のブログに掲載された記事「原発震災に追い込まれ続ける主婦の訴え、茨城県常陸太田市より」の要点だ。昨年5月の記事だが、「原発は今すぐ廃止せよ」で最近引用されて所在を知った。
寄稿が長文なので、私の関心部分だけを取り出し、文章を簡略化している。関心があれば正確には原文ご参照のこと。寄稿者をAさんとした。
−−−引用開始−−−
茨城県常陸太田市に住んでいます。自宅は東海村の臨界事故現場も遠くにかすんで見える距離で、遠くに東海村の原子力発電の施設も目視できます。
茨城県常陸太田市の真弓に設置してあるモニタリングポスト。いつもその小学校の先生方が数字を見ているから異変に気づいた。震災後に通常時の約10,000倍の放射能を記録したのを。知識が無かったのか、壊れたかと騒動になったらしい。平常時0.02μSv/hr→200μSv/hrくらいだったらしい。ただし、3月12日の何時かは不明です。
この値がどのくらいまで続いたのか、モニタリングポストの数値探しましたが、データが無いのです。
(ずくなし注:現在は欠測表示のデータが公開されている。後出)
冷静に判断すれば、それは真実なんでしょう。私たち家族は停電と断水。地元ラジオ局の情報しかなく、福島第一原発の様子はわからなかった。その間、我々は生きるために外で水を汲み、外を歩き電話ボックスに走った。長蛇の列で外で外気を吸っていた。家族3人が喉が痛いという急性症状があった。(私は焼けるような、喉の痛みが2週間続いた。)
うちは、冬でも青カビが生える家。コーヒー豆をフィルターごと 乾かして、土に返すのだが、震災後、カビが全く生えていない。それが何を意味するかを考えた時・・ハッとした。医療用具工場に勤めていた時、滅菌という仕事をしていた。厚生省に申請するデータを作成していた時、滅菌のD値まで出さないといけない。その時の事を思い出した。これは、もしや、自宅がガンマ線滅菌器状態なのではないか。カビを殺す難しさは知っていたので、これが本当なら恐ろしい事である。
(ずくなし注:D値(Decimal Reduction Value)とは生菌数を1/10に減少させる、つまり90%滅菌に必要な線量をいう)
先日も4月24〜25日頃、一斉に近所の複数のモニタリングポストの数値が上昇した事があった。埼玉の友人から数値が急激に上がっている、チェックしてと悲鳴にも似た連絡があったのだ。翌朝になるとデータは消え、何もなかったように平らになっていた。誰かが情報操作していると思った。だから、何も信じられないのです。一応、公に見られるモニタリングポストではありますが。その本来の役目は果たされていないという事になる。
−−−引用終わり−−−
この体験記は、大変参考になる。原サイトで全文を読んでいただくとして、私の注目点は、3/12に真弓のMPで「通常時の約10,000倍の放射能を記録した」という記述だ。学校の先生から聞いた話で「騒動になった」とあるから誰かの単なる勘違いということではないだう。「平常時0.02μSv/hr→200μSv/hrくらいだったらしい」とあるから、通常20nSv/hrが0.2mSv/hrまで上昇したことになる。
まず真弓の位置。常陸太田市役所と太平洋との中間に位置する丘陵地帯だ。東海村の原子力発電所から約8km。施設も見えるはずだ。

ここのMPで毎時0.2ミリシーベルトを記録したというのは穏やかではない。次の地図は、最近発表された福島第一原発周辺のMPの事故直後のピーク線量率。3/15、2時に富岡町夜の森で観測された0.186ミリシーベルトに相当する。この地域では、双葉町上羽鳥で3/12、15時に1.59ミリシーベルトが観測されているからこのブルームが流れてくれば、108km先で0.2ミリシーベルトを記録することもあるかもしれない。

だが、3/12に関しては、福島第一原発の南方にあるMPでは極端に高い空間線量率は観測されておらず、常陸太田市の真弓で飛び地的に0.2ミリシーベルトを記録するとは考えがたい。
ここからは、私の推定だが、Aさん宅からも見えるという茨城県下の核関連施設で震災後早い時点でなんらかの放射能漏れがあり、それがMPの数値を押し上げたのではなかろうか。
茨城県のモニタリングポストの計測値は、当初公開されていなかったが、その後10分ごとの観測値が公表されている。
しかし、真弓の学校の先生が目撃したはずの3/12のデータは、多くのMPで欠測となっている。異常値が出た場合に、欠測扱いとしてデータを消してしまうのは、よくやられているが、茨城県の3/12から3/14にかけての欠測の箇所数と時間帯が多すぎる。
そこで、MPごとに欠測の期間を拾ってみると、一定の傾向が見えてくる。すべてのMPの欠測期間を網羅してはいないが、下の地図でもっとも早く欠測が始まったのは馬渡で3/11の午後11時半。次いで最北の久米で3/12の午前0時40分、以下、石神午前1時、根本1時10分、真弓1時50分、後は南に下って谷田部2時10分、大場2時20分、吉沢と磯浜3時10分となる。

全体として、核関連施設に近いところで欠測が早い時間に始まり、早い時間に終わっている。
当時設置されていたMPから離れた石岡市柿岡の地磁気観測所では3月14日(時刻不明)、垂直電場の数値が一気にゼロに落ちたという。このことは、放射性物質が大量に空中に浮遊していたことを示す。

さらに西に離れたつくば市の気象研究所が測定した大気中の放射能濃度。検出限界に近いが、3/13から値が上がっている。

東海村の核施設から放出された放射性物質が拡散希薄化し、当時設置されていたMPの値が低下したところで、「欠測」が終わったが、その時点でさらに東海村から遠い場所で放射性物質が観測されていたことになる。
このことから、私は、茨城県が福島第一原発からのプルームが到来する前に生じた空間線量率の急激な上昇を前後も含めてすっぽりと欠測扱いにし、なかったことにしてしまったと判断する。
なお、3/12の水戸市や常陸大宮市の風向は次の表のとおりであり、水戸市は午前3時に北風が吹いているし、常陸大宮市は日付が変わる前後には風向がめまぐるしく変わっている。

東海村の核関連施設で何があったのだろう?
朝日新聞は2011年5月15日11時51分に地震後の東海第二原発の停止作業が綱渡りであったと伝えている。
「東日本大震災で被災した日本原子力発電の東海第二原発(茨城県)では、原子炉が安定的に停止している状態になるまでに3日半かかっていた。日本原電がまとめた資料でその作業の詳細が明らかになった。津波で非常用発電機の一部が停止し、炉内の水温や圧力を下げるため、綱渡りの作業が続いていた。
同様に被災した東北電力女川原発(宮城県)は12日午前1時ごろに安定的な停止状態になった。しかし、東海第二原発の炉内の圧力は午前2時前でも約58気圧と高い状態だった。さらに午前3時ごろには約60気圧に再上昇。注水と逃し弁の開閉の繰り返しで、燃料が露出するようなことはなかったものの炉内の水位も70センチほど変動した。
急激な温度変化は炉本体の損傷につながるような恐れもある。水温と圧力、水位の変動などを見極めながらの作業が続いた。14日午前に外部電源が復旧、深夜には止まっていた非常用炉心冷却システムもふたたび動き、炉内の水温が100度未満になる「冷温停止」の状態に至った。この間、通常の2倍以上の時間がかかったという。」
古性隆 @FurushoTakashi氏の2012/11/19のツイートから
「T2は3日半かけてやっと冷温停止になりました。原電は慎重に冷温停止作業をしていただけだと主張していますが、160回も圧力逃し弁の開閉を繰り返しています。」
「日本原電は住民説明会やHPで次の資料を配付しています→http://www.japc.co.jp/tohoku/pdf/setsumeikai_siryou.pdf … この15頁に冷温停止までの状況がグラフ化されています。原子炉水位は何度もマイナスになっています。」
「日本原電は「綱渡りの3日半」という報道を打ち消すために次のようなことを広報していますが、私は非常に疑問を持っています(Q2の回答)。http://www.japc.co.jp/tohoku/tokai/tsunami_to.html …」
通常SR弁は圧力容器内の圧力が規定値を超えた時にその圧力で自動解放し格納容器内に圧力を逃がす弁のことだ。
東海第二原発の停止に至る過程で放射能が環境に放出されたことは疑いがない。
茨城県は原子力産業とずぶずぶだ。隠蔽体質も隣の県と変わらないのではないか。茨城県に限らず、核関連施設の近傍に住む人は、公のモニタリングポストのデータが一晩で突如として揮発消失し、被曝障害だけが残ることがあるから、気をつけないといけない。
茨城県は、北部を中心に福島第一原発事故による汚染が激しく、かつ、この地域に立地する核関連施設からの放射能漏れが絶えない。
ベラルーシ共和国放射線対策委員ヨハネスク氏が述べたように、「関東地方には放射性物質が大量に降り注いでおり、空気中の放射性物質の濃度や広範囲に広がる杉の汚染花粉等の環境を鑑みると、とても 人類が生活できる環境ではない」との見解は、私も同じだ。福島県も茨城県も県民を放射能から守る気なぞさらさらない。
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「東海村近辺で原子力事故?」
(初出 2012/10/23 追記改訂 11/23)