2011/3の関東地方プルーム往来推定チャートから その4: ずくなしの冷や水

2012年07月11日

2011/3の関東地方プルーム往来推定チャートから その4

2012/6/23、世界保健機関が、福島第1原発事故による国内外の被曝線量の推計値を発表した。私の利用可能な原資料が手に入らないので新聞報道によれば次のとおりだ。

「内部被曝と外部被曝を合わせた全身の被曝線量が最も高かったのは福島県の浪江町と飯舘村で、事故後4カ月で10〜50ミリシーベルト。この2町村を除く福島県全域は年間1〜10ミリシーベルト、近隣の宮城や栃木など5県は年間0.1〜10ミリシーベルト、国内のその他の地域は年間0.1〜1ミリシーベルトだった」と。

時事通信の記事にあった図が分かりやすいので拝借。


この記事から都県別に値を整理し、日本原子力研究開発機構の事故後2ヶ月間のヨウ素131による内部被爆と外部被爆の上限下限をグラフから読み取って記入した。

日本原子力研究開発機構の外部被爆試算値のうち、埼玉県、東京都、神奈川県は緑のところがないため、過小のきらいはあるものの最大値を0.1ミリシーベルトとしている。


次に、WHOの試算値と比較するための私の推計値。計算基礎は、以下の通り。
1.事故直後から2ヶ月間の内部被爆の最大値は、東京都については、東京都23区東部で小出氏が計算した1日当たり210マイクロシーベルトを用い、210μSv×3/23までの9日間+21μSv×残りの49日間で計算した。小出氏の放射性物質収集時間帯は、すでに台東区で空間線量率がピークの5分の1に低下した時点で始まっており、このように計算しても過大ということはないと考える。

2.内部被爆の最小値は、東京都については最大値の計算に用いた210μSvと21μSvのそれぞれ10分の1を用いた。

3.東京都以外の関東6県の最大値と最小値は東京都と同じとした。その他の県については、東京都の最小値を最大値とし、最小値は2.1μSvが58日間継続したと仮定した。

4.3ヶ月目からの内部被爆は、飲食物によるものがほとんどとみなし、最小値を0.01mSv、最大値を個人によって食生活が大きく異なることから関東7都県を1.0mSv、その他の県を0.5mSvと置いた。

5.3ヶ月目からの外部被爆の最大値は、日本原子力研究開発機構の試算値の最大値が2ヶ月で0.1mSvだから12か月分は単純には6倍することになるが、減衰等を考慮し、3分の2の0.4mSvとした。その他の県の最大値、最小値も同様に計算したが、新潟県、長野県などの最小値は、当初2か月分と同じとした。


WHOの試算結果と私の推計値を比べると、最小値は私の方がすべて高く、最大値も新潟県、埼玉県、東京都、神奈川県で私の方が高く、茨城県、栃木県、群馬県、千葉県でWHOの方が高く、山梨県、長野県、静岡県でほぼ同じとなっている。

これは、新潟県、埼玉県、東京都、神奈川県についての私の外部被曝量の推計が日本原子力研究開発機構のグラフの読み取り量に引きずられたためだ。

埼玉県、東京都、神奈川県の外部被曝量の最大値が群馬や千葉の最大値の10分の1ということはありえない話であり、WHOの推計もこれら3都県に関しては大きな過小評価になっていることからすれば、WHOが日本原子力研究開発機構の資料に依拠して、腰だめ的な推計を行っていると考えざるを得ない。

そもそも外部被曝量が10mSvに達するには、1年間を通じて1.2μSv/hの環境下にいなければこの水準には達しない。

別の見方をすれば、WHOは事故直後の内部被曝について小出氏の推計値の何倍も大きな値を採用しているのかもしれないし、あるいは飲食物による継続的な内部被曝が数mSvに達していると判断しているのかもしれない。

いろいろ議論の余地のある推計値であることだけは確かだ。私のこの試算の教訓は、事故直後に受けた内外からの被曝は、いまさらどうしようもないとしても、これからの被曝量の増加を押さえられるか否かは、ひとえに飲食物経由での放射性物質の体内取り込みを排除できるかどうかにかかっているということは、はっきりした。

東日本の人口自然増変化指数
千葉県 0.115
埼玉県 0.105
神奈川県 0.099
東京都 0.090
群馬県 0.077
栃木県 0.069
茨城県 0.038
新潟県 0.035
山梨県 0.029
静岡県 0.025
長野県 0.016
posted by ZUKUNASHI at 20:53| Comment(0) | 原発事故健康被害
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス: [必須入力]

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。