彼女は区役所に行ったがお金がもらえるのはまだしばらくかかると。少し話をして、詐欺でもいいと思ってそばのコンビニで彼女が希望したパンと食パンを買って渡した。思えば住所など確認して、支援団体に連絡すればよかった。また会えるかもしれないから、支援団体の連絡先を調べておく。
— 小栗左多里 (@OGURISaori) November 16, 2022
「効率が悪い」と書いたのは、そこが駅から少し離れた普通の道だったからだ。券売機の前ならわかるけど。あと半年くらい前に、地下鉄の出口正面に男性が正座していたのも見たんだった。座って物乞いをする人を、日本で初めて見た気がする。子供の頃の記憶が消えてるかもしれないけど。
— 小栗左多里 (@OGURISaori) November 17, 2022
海外だと小中学生くらいの子が物乞いさせられていることがあり、その場合に飴だけでもあげれば付いてきてしまうこともあるし、組織的なことが多いので、大人に後をつけられて襲われることもあるので要注意といわれている。
— 小栗左多里 (@OGURISaori) November 17, 2022
寸借詐欺かどうかなんてその場ではわからない。
— o.o (@pineapplesand) November 17, 2022
弱者に手を差し伸べようとする人間にクソリプを投げる態度にこそ「何か始まってる」と思わざるをえませんね。
いろいろ意見がありますね。
私は、道などで寸借を申し込まれたことはない(おそらく身なりからして対象にならないのでは)。
アルバイト先で知った人に一時的な借金を頼まれ、貸したことはある。何万円か焦げ付いた。
現役のころだが、地下街に降りる階段で弁当を食べている人に千円上げたことがある。外国でも物乞いに少し上げたことがある。
迷子に水とパンを買って与えたが食べなかった。
生活が苦しい年配者を知っているが、自分の暮らしから積極的に寄付をするような気持ちは乏しい。道で出会って頼まれれば、手持ちがあれば渡すかもしれない。
なんとか気前よく渡せるようになりたいものだ。
私は会社員を辞めて、一時期自営業をしていたことがあります。軌道に乗るまで本当に苦しく、2年間は一日も休まず仕事をしました。1週間の食費が1000円しかなかった時があります。時が経ち、ある程度成功したのか、旅行に行ったり、良い店で食事をしたりできるようになってからも、心は空虚でした。どん底を知ってからは、ホームレスの人や困っている人を見ると、明日は我が身と思うようになり、心からは楽しめなくなったのです。人はいつ弱者に転落するかわからないのです。だから慈愛を持って生きることで心の安定が図れるんです。波瀾万丈な人生を歩んできたけれど、変な言い方ですが分かち合う気持ちの大切さを知ったことが私の財産です。死ぬときは何も持って行けませんのでね。
日本は米国の影響下で作ってきた原発で未来永劫の負荷を負いました。
中国は目覚ましい発展を遂げましたが、米国から資金を導入していたことがあだとなり、新コロナウィルスの「発祥地」にされてしまいました。
長い間のツケがあるときまとめて出てくるのか、絶え間なく続くのかの違いで、もともとそんなに平穏な時期はないのではないかと思います。
温暖化もいずれ到来する問題だったわけで、いろいろな病原菌の出回りもそういう歴史的過程の一つなのかもしれません。
悪いことはもっと出てくる、そのためにどう準備するか、それができたために人間はこれまで生きてこられたのだと思います。