誰がどんなに否定しようと原発事故で人が死んでいます: ずくなしの冷や水

2019年01月23日

誰がどんなに否定しようと原発事故で人が死んでいます

福島第一原発事故直後、甲状腺に100ミリシーベルトの被ばくをした11歳の少女がいたことが注目されています。

この少女は、双葉町に住んでいて2011/3/12の15:36ころの1号機の爆発後、屋外で遊んでいるところを迎えに来た親族に連れられて家に帰ることもなく避難したとされています。

深刻な身体症状が出ていないことを祈ります。

双葉町住民の避難状況については、かなり詳しく調べました。3/12にまだ避難していない住民がいたのかと驚く声があることに管理人は驚いています。

2015年09月19日
福島第一原発事故時 近傍市町の避難はこんなふうに進められた

記事作成時、Google Mapでは2011/3/12早朝、道路に車が数珠つなぎになっている様子が残っていました。

双葉町は、3月12日午前6時29分に国から、FAXで10q圏内の住民避難指示を受け、防災行政無線と広報車1台で、住民広報を行いました。

MURAYAMA YOSHIKI WEB SITEの記事に津島地区に住む酪農家の話が載っており、
「3/12、いつもより30分遅く起きて5時半ころに外を見ると、すでに自宅前の国道114号をぞろぞろと車が走っているのが見えた」とあります。

2011/3/12の朝5時半頃、浪江町の西はずれの富岡街道を車両がぞろぞろと走っていたのです。最初に触れたGoogle Mapからキャプチャーした2枚の写真に写っている車両は富岡街道に出ようとしています。この時間の衛星画像では、双葉駅前に大型バスが集結しているのが見られます。



この日、双葉町や大熊町の住民は、自ら車を運転して、あるいは車を学校のグラウンドに駐車したりしてバタバタと避難したのです。

避難しなかった方ももちろんおられます。消防団員や役場などに勤めておられれば、避難が遅くなったでしょう。

2011/3/27に大熊町地内で被曝した遺体が共同利用農機具倉庫の駐車場で発見されています。この駐車場にも車を停めて避難する人が複数いました。ほとんどの人が避難している中でなぜこんなところで被曝したのかと疑問を感じますが、車を取りに来て強力なプルームに遭遇し、内部被曝により亡くなったのではないかと、筆者は推測します。

福島第一原発で、就労2日目で突然死された方もおられます。2011/5/14です。強い吸気被曝は、即効性があります。福島県警が3/27に確認したご遺体は、急性放射能障害による死者だと筆者は考えます。

2015年09月02日
2011/3/27福島県警の大熊町地内被爆遺体確認地点

2015年09月02日
2011/3/27 大熊町で被爆遺体確認 関係情報

3/12の避難者も被曝の恐れがないわけではありません。避難ルートの都路街道の脇にある山田のMPでは3/12の昼頃に数十μSv/hを記録していますので、遅く出発した人はこのプルームと遭遇した可能性があります。
次のグラフは、左側から3/12、3/13、3/14、3/15です。


2015年09月10日
25万都市に全市避難指示?! そんなのは無理です 運を天に任せて諦めてもらうしかない

2015年06月21日
大都市住民の避難は結局徒歩になる

福島第一原発事故によって福島第一原発事故近傍で亡くなった方はおられます。

お一人は、上で触れた大熊町地内共同利用農機具倉庫の駐車場で発見された遺体です。

2015年09月09日
2011/3 大熊町地内遺体発見地点の衛星画像

2015年09月09日
大熊町の避難はうまくいったのか

2016年05月25日
東京電力福島第一原子力発電所災害に係る避難指示区域内の御遺体の取扱について

次の記述もネットで注目されました。例えばここで全文を見ることが出来ます。10万CPMは、被曝遺体の除染を要する基準です。



お二人目、あるいは三人目は、次の体験記にあります。一週間 ――原発避難の記録 第1回 熊川多恵子さん(双葉町両竹)からの引用です。

消防団の知人は、「助けて」という声を聞きながら、助けたいのにやむなく逃げた、とだいぶ経ってから、教えてくれました。原発から逃げろ、という指示が出ている以上、親ですら捜しに戻ることもできないんです。助けを求める声が、耳から離れないと言います。実際に私の知っている人も、助けを待ちながら自宅の二階で亡くなっていました。夜通し避難所を回って海沿いに住む親を捜し続けた身内もいます。あの時、助けられた人はたくさんいたと思います。「原発事故で死んだ人はいない」なんて言うお偉いさんがいますが、そんなことを言う人は、無念の思いを抱えて亡くなった人を知らないんでしょうね……。」

「あの七日間は、私の親戚、友人の命が、まだ救えたかもしれない時間です。山すそで、両腕にしっかり孫を抱いて見つかった知人もいます。「原発事故がなければ、もしかしたら救えたのかもしれない」と思うたびに、苦しさが押し寄せるんです。もう二度と、人の命を後回しにしてほしくない。」

上の引用部分は意図的に表現をぼかしているように感じます。それでも、地震による倒壊でも、津波でもなく亡くなった方が多数おられることが記されています。管理人は、被ばくで死んだ人が数千人おられ、遺体の収容に手間取ったというのは事実だと考えています。

熊川多恵子さんの体験記参考地図








原発事故では原発近傍地域に住む方が、爆風や熱線、衝撃波ではなく、原発から漏れた放射性物質を吸い込んで死ぬのです。体外からの放射線では「直ちに影響はない」ことが多いでしょうが、時間が経過してから致死的な影響が出ます。

原発事故で命を失ったりしたくなければ、原発からとにかく遠くへ離れることです。今の居住地を離れたくなかったら、原発に今の居住地に影響が及ばない遠くに行ってもらうこと、原発を止めさせることです。
posted by ZUKUNASHI at 23:02| Comment(0) | 福島原発事故
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