自衛隊だって逃げた それは当然のこと: ずくなしの冷や水

2018年12月31日

自衛隊だって逃げた それは当然のこと

※ はちべえ‏ @8_bee_氏の2018/12/30のツイート
12月30日
「3号基が大爆発した14日昼からは、避難民の車で大混乱する道路をサイレンを鳴らして、一般車両を強制的に排除して救助に来た筈の自衛隊の車列が、市民の避難を妨害して優先して全員が逃げていた。」

前日夜に全員逃亡していた東電職員や家族
実は、後で分かったことですが、11日の夜9時すぎには、東電の社員も家族もだれ一人双葉町に残っていなかった。いち早く社宅を出て、役場にいた社員も黙って消え去りました。
そういう会社ですよ、東電は。現在、どこかで何食わぬ顔をして生きているんでしょうけど、ひどい話ですッ」

1号機のベント放出があった3月12日の昼。役場の南側の窓に設置していた線量計の針が振り切れた

「役場に頭から足まで隠した真っ白のフル装備の警察官が近寄ってきて、私に耳打ちしました。“町長、限界ですよ”と。官邸や東電からは断片的な情報しか入らず、唯一警察官からもたらされたひと言が命を守る情報でした。私は6人の職員と一緒に、12日午後2時をもって最終退避命令を出したんです。そして、午後3時36分。私は双葉町福祉施設がある現場で、忌まわしい光景を目にしたんです。

まず、ド〜ンという地響きのような音。1号機の爆発音でした。その4、5分後に空からぼたん雪のようなフワフワした断熱材が静かに駐車場に舞い降りた。警察官や自衛隊員、バスの運転手ら約300人が見たんですよ。あの時、“これで死ぬな”って思いました」
この情報は政府も県も無視。官邸は原発事故後、「ただちに影響はない」とも発表。
井戸川さんたちの声はかき消された。
19日、井戸川さんは双葉町民約1200人を引き連れ、川俣町からさいたまスーパーアリーナに避難。バス40台での移動は歴史的な避難行動だった。
12月21日 日刊ゲンダイ

『東電が逃げた3日後、被災した一般市民を見捨てて、一目散に逃げる自衛隊』

今回の『東電職員や家族が前夜に全員逃亡していた』との、何んとも腹立たしい前双葉町長の井戸川克隆さんの発言ですが、3・11原発事故の直後の4月初めに録画されている類似体験のビデオ画像が存在している。 『池田香代子ブログ』の2011年10月22日記事「原発てんでんこ」? 補遺で紹介されている双葉町の福島第一原発20キロ圏内の住民のインタビュー動画
東日本大震災 福島第一原発元モニターからの証言 Reported by MIKE-T http://www.youtube.com/watch?v=EcF_75slgwk
長い1時間近いビデオ映像ですが、テレビでは絶対に流れない種類の話ばかりで、我々が知らない3・11当時の原発事故時の驚きの生の体験が聞けます。
ひたすら真面目に行動する一般市民と、対照的に呆れ果てて言葉も無い百鬼夜行の浅ましすぎる東京電力や自衛隊。
誰よりも原発に詳しい東電社員やその家族は一般市民に避難指示が出る1日前(3月11日夜)に事前に全員が避難していた。
東電の逃亡は11日夜だが、3号基が大爆発した14日昼からは、避難民の車で大混乱する道路をサイレンを鳴らして、一般車両を強制的に排除して救助に来た筈の自衛隊の車列が、市民の避難を妨害して優先して全員が逃げていた。
posted by ZUKUNASHI at 17:32| Comment(0) | 福島原発事故
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