2017年07月21日 プルームが最も広く広がったのは 2011/3/20のようだ この記事はその補足です。
次のグラフで、X号機とあるのは1号機、Y号機とあるのは2号機と3号機(使用済燃料プール)、4号機、Z号機とあるのは3号機(原子炉)、4号機だろうと見当をつけました。関東に飛んできたものに着目しています。

3号機(使用済燃料プール)の爆発では高空に放射性物質が舞い上がり日本の広い範囲に降下したとみられます。3号機(原子炉)の圧力急低下は、排気塔からの放出とみられます。原子炉内の圧力が上がるほどに極めて高温の気体と放射性物質が排気塔から放出されれば、高空に上がり拡散します。
次は管理人がWikipediaなどから作成。

山梨県の富士吉田では2011/3/20の午後にSPM濃度の極めて高いピークが出来ています。富士吉田市役所の所在地点は標高773m。

横浜市でも2011/3/20の午後にSPM濃度が大きく上昇しました。日曜です。

地表近くの気流の流れを推定して行われたシミュレーションでは2011/3/20の夜、プルームが会津や山形市、酒田市方面に流れました。山形市の空間線量率は夜になって大きく上昇しています。

次のグラフで3/14のSPM濃度は東と西でそれほど格差がないが、3/15に関しては西高東低の傾向が強く出ています。

3/20、関東をプルームが襲っていたことは、筆者は大気汚染測定用ろ紙のセシウム濃度測定結果で知りました。このプルームは関東へは銚子付近から上陸し、おおむね利根川に沿って西に進み群馬、栃木に至ったのはわかっています。さらに南にも広がり東京と神奈川の県境付近まで広がったことも把握していますが、これほどの規模で東京、神奈川をむしろ底とするように全国に広がっていたことはこのSPM濃度の分布で初めて知りました。

誤解のないよう繰り返して書きますが、SPMがすべて放射能を有しているということはありません。ですが、それが放射性物質を含んでいないということもまたありません。茨城県や福島県は、原発が爆発したりベントをしていた最中のSPM濃度のデータを消してしましました。
セシウムだけを見れば、2011/4/1時点と比べて現在では放射能は半分以下に減衰しています。

しかし、福島第一原発事故で環境に放出された放射性物質は数百もあります。
2011/3/15早朝に関東を襲ったプルームは、ヨウ素が多かったのですが、燃料棒が破損し、ジルコニウムが1,855度で溶け始めたときにヨウ素、セシウム、テルル129mはすでに沸点を超えています。最初に出てくるのは沸点の最も低いヨウ素です。
ジルコニウム融点1,855度、沸点4,409度。
モリブデン沸点4,639度、テクネチウム4,265度、ウラン3,745度、プルトニウム3,232度、ストロンチウム1,382度、。
鉛の沸点は1,744度、銅2,570度、鉄2,750度、アルミニウム 2,470度、カドミウム765度。
テルル129m988度、セシウム 641度(668.4度とも)、ヨウ素184.3度

これらの放射性物質の中にはセシウムとは比較にならないほどの長い半減期を持つものもあります。次々と姿を変えつつその都度放射線を出すものもあります。
これらの放射性物質がどこにどれだけ落ちたのかはわかりません。福島第一原発事故直後、米国がおそらく自衛隊を使って土壌サンプルを集めて分析した結果を見るといろいろな放射性物質を同時に分析した結果はあります。
そのような分析が自衛隊で行えるのか、あるいは他の核利用関係の機関、施設で行えるのかは知りません。仮に行えたとしてもその結果は公表されないでしょう。
少なくとも福島第一原発事故によるさまざまな放射性物質による汚染は、程度の差はあれ全国に及んでいます。
原子力推進派は、原発再稼働に向けて動いています。被ばく回避問題は決して終わりではありません。
3月20日(日)は、家に居て窓も開けず。
阪神大賞典の馬券を買って、外しました。
船橋市の中山競馬は、震災でお休みでした。
不幸中の幸いですね。