メールやらないならネットとパソコン ただの箱 その1: ずくなしの冷や水

2018年08月10日

メールやらないならネットとパソコン ただの箱 その1

パソコンを単独で保有していても使い道は限られます。ゲームをする、日記をつける、描画をする、簿記をつける、在庫管理をする・・・この辺までは今もその目的で保有する方はおられるでしょう。

ですが、ニュースを見たくなったら、インターネットにつながなくてはなりません。色々なサイトを見るためにもネット接続が必要です。今は、使い始める際にネット接続を前提としたパソコンが多いです。

地方の年配者は、パソコンをどんなふうに使っているのでしょう。先日田舎の知人にメールアドレスを尋ねて返事がありませんでしたので、ごく限られた使い方しかしていない人が多いのではないかと思えてきました。

あちこちのサイトを覗いてみれば一気に世界が広がりますが、特定のサイトを受動的に見ているだけでは、そのうちいつも同じことを言っていて面白くなくなり(このブログのことです)、たまに覗くとどんどん内容が変化しており、追いつけずストレスが溜まるように感じることもあるかもしれません。

年配者は新しいことに対する受容力や適応力が乏しくなっていることが多いですからいろいろな人が最新の情報を持ち寄るサイトよりも、日配の新聞のほうが情報源としてやはりなじみやすいという面はあるのでしょう。

新聞社は基本的に変化を望みませんから世の中の変化をとらえているようで肝心のところは報じなかったりします。福島第一原発事故による放射能汚染問題や、日本の現政権の滅茶苦茶ぶりがほとんど報じられないことでそれは立証されました。

しっかりした子供と一緒に暮らしているような場合は、原発事故発生時や水害発生の危険が高まった時などは、黙っていても対策を講じてくれるかもしれません。ですが、そんな境遇にある人は極めて例外的でしょう。

田舎の年配者が世の中の変化を知らないと同様に田舎にいるその娘や息子も、世の中の変化を知らないのです。知ろうとしないといってもよいかもしれません。知ったからと言って周りの人と話題にできることもまずありません。

福島第一原発事故直後、西日本に住むとみられる方から「高みの見物だ」とか北陸に住むとみられる方から私の書いた内容を嘲笑するコメントが寄せられたことがあります。

田舎でインターネットを使っているような人はずいぶん品性低劣だと感じさせられました。個人がそのような考えなり感想を持つのは自由ですが、それをわざわざコメントしてくるというのは狭い了見から発言、発信できることはその程度であると白状しているようなものです。

2017/7/25、不二越の本間博夫会長が「富山生まれの人は閉鎖的な考え方が強いから採らない」と発言して波紋を呼びました。
「閉鎖された考え方が非常に強いです。偏見かも分らないけど強いです。いや優秀の人は多いですよ、富山の人には。だけど私の40年くらいの会社に入っての印象は、閉鎖的な考えが強い。ですから全国から集めます。」

これは、田舎の場合は、閉鎖的な考え、行動様式でも暮らしていけると信じ込む余地があり、実際に暮らすことができたからだと思います。結果的に不本意なことがあっても。少なくとも8年前までは。

でも、いまはすっかり変わりました。放射能の害を知ろうと思えば、日本ではネットに頼るしかありません。書籍で流通している情報は古く、また量的にも100分の1、1000分の1です。

福島第一原発事故後数年してからこのブログに見えた方が口を揃えたように言われるのは、原因不明な身体症状が出たためにネットパソコンにかじりつき調べまくった結果たどり着いたということです。

また先般の岡山や広島の水害では、気象情報を収集していた人は危険をいち早く知って命拾いすることもできたでしょう。管理人は、国内の自然災害なども海外のサイトを見て知ることが多いのですが、それでも朝一にこのブログで親戚知人のいる岡山県の水害を知り、安否を確認したという方もおられます。

自民党政権が国民の安全や健康を守ろうとせず、災害による被害者の救済を怠っていると管理人は考えています。そうであれば、安全や健康を維持確保するには、自己努力しかありません。

今何が起きていて、どんなことになりそうか。最悪の場合、どんな被害が出てそれがどこまで及ぶのか。

個々人がその判断をするには、専門的な知識を持つ者の知恵を借りなければなりません。ところが放射能問題で見られるように大学などの公的な組織の職員が率先して事実や問題の隠ぺいに動き回っています。

彼らが役に立たない、いや反対に加害の側に回るなら、他の専門家を探して意見を聞かなければなりません。昔ならそんなことは到底無理でした。中には、そういう専門家を探して成果を上げた事例もあります。公害問題が典型でしょう。

ですが、今はインターネットのおかげで、二次、三次の識者を探し、その見解を多くの人が知ることができるようになっているのです。

おそらく、地方ではそういう使われ方はしていないのでしょう。知らないまま目いっぱい被爆、そして発症。病院に消えるか、突然旅立たれた方もおられるでしょう。

いやー、被爆の話なんか、偉い人は問題にしていない。そんな不快な、厄介な話を聞いたり読むのは嫌だ。

それも考え方です。現に私の友人は、知り合いの弁護士など社会的に地位のある人は被爆を警戒してなんぞいないと言い、私に正面からチャレンジしてきました。そして、被爆を警戒しない人ともつ煮を食いながら酒を飲んでいたようです。その酒飲み仲間は、この春、肺がんが脳に転移して亡くなってしまいました。

ネットに流れる情報は、玉石混交どころか有害なものも少なくありません。一定の乳酸菌液を薄めてシュッシュッと振りかけると放射能が消えるなどという奇天烈な説も流れました。

ご自分でサイトやブログを運営でもしなければ、自分の選択する好みの情報が集まっているなどということはありません。

他人のサイトやブログを読むことは、他人の労働の成果を享受しているということにほかなりません。そして、サイトやブログの運営者は、「受容力や適応力が乏しくなっている閉鎖的な考え」の年配者に配慮して記事を書くようなことはまずありません。

そんな手間をかけても読む人は何人にもならず、そして感謝もされないからです。個人でサイトやブログを運営し、あるいはツイートをしている方は、単に自己実現意欲ではなく、社会の人のためになりたいと社会貢献活動としてやっています。

桑ちゃん@namiekuwabara ‏ 氏のツイートを読めばお分かりになるでしょう。 エリック ・C@x__ok氏もそのような動機だと思います。 ‏

今は、ネットを使えば、「著名人」でなくても日本の様々な分野の一流の人の専門的な見識、社会に対する見方や暮らし方を知ることができます。

これは地方で暮らす若い方には大変有益な情報のはずです。「閉鎖的な考え方が強い」大人、社会から学ぶことはますます少なくなっています。

※ 田村吉康 TAMURA Yoshiyasu @FUDEGAMI氏の2018/6/14のツイート
私が数年前、群馬県の専門学校で非常勤のバイトしてた時も
プロのアーティストになりたいという学生達を東京に連れてって展覧会見せたりしてたら
「余計な事しないで下さい。彼らは県内で就職すれば良いんです。アーティストなんてなれるわけないし」とか校長に言われたし、田舎の精神性ってあるよね

このツイート主のように、若い人の力を伸ばしてやりたい、チャンスを作ってやろうと考える人はいます。上に書いた桑原氏などもツイートには若い人を救わなければという強い思いが滲み出ています。

インターネットの普及で情報伝達面で世界の時差はなくなりました。RTの流す国際情報は同時に世界中で読まれています。研究者のグループは時間を決めてスカイプで会議をしています。

「閉鎖的な考え方が強い」地方でも広い世界に目を向け、視野を広げることはできます。周りに気兼ねしたりあまりの落差に落ち込んだりすることもあるかもしれませんが、世界の時々刻々と変わるダイナミズムは、言葉と経緯が理解できれば、そんな個人の感情など吹き飛ばしてしまうほどに面白いのです。
posted by ZUKUNASHI at 21:53| Comment(2) | 福島原発事故
この記事へのコメント
そうですね。
娯楽にもヘイトにも、生き抜くための学びにも使えるネットをどう使うか、全ての分かれ目ですね。
何のために生きているのか、生きる姿勢そのものが反映されて、顕わになっていきます。

最終的に田舎か都会かは関係ないと思いますが、保守的で年寄りの多い田舎の緩みのようなものはあると思います。
それに合わせる若者の優しさと愚かさもあるでしょう。哀しい限りです。
Posted by SY at 2018年08月11日 00:20
ずくなし様

私も戦争を経験した年老いた母がおりますが、
やはり新聞やテレビなど古いメディアしか触れておらず
放射能汚染のことや現政権のことなど情報が伝わっていないと
感じることが多々ありました。
伊藤詩織さんの一件など、全く知らなかったことも多々。

(戦争を経験し、もうこりごりだという母でさえ、
現政権の危険性は、報道を通しては全くといっていいほど
分かっていなかったのです。安保法制や改憲論議など
核心部分は報道からではほぼ何も分からない恐ろしい国ですね。
そして、多少問題はあっても安倍さんよくやってる、と。
こういった層が少なからず自民政権を支えてしまっています…)

しかし、そういった老齢者の多くは
PCに触れる以前のところで情報収集が止まっているのです。
つまり、こちらのようなサイト、こういった記事ほど、
届いてほしい人には届かない歯がゆさがあります。
PCの利便性に気づいてほしい人ほど、
その利便性を知らぬがゆえに触れようとしないし
そもそも自分には無理だとさえ思っている。

これに似た話はどこかであったような…
そう、民主主義の原則を知り今後より良い社会で
長く幸せに生きてほしい若者ほど
前提となる知識の吸収を小面倒くさいと拒否し、
その効用を否定し安易に独裁や隣国蔑視・戦争に傾く、
それと似ているような…

火を見たこともない使ったこともない人間に
その存在や利便性を伝えるような難しさがある問題に感じます。
Posted by 諦観 at 2018年08月11日 01:05
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