日本人は家族や友人が亡くなっても平静なんですね: ずくなしの冷や水

2018年07月29日

日本人は家族や友人が亡くなっても平静なんですね

感動的です。亡くなったサッカー選手に最後のゴールを入れさせます。大統領がニコラス・マドゥロ。ベネズエラがんばれ!!
※ RT2018/7/27
Deceased Venezuelan footballer given final send-off by grieving teammates (VIDEO)


管理人は、日々記事を書きながらとても不思議に思っていることがあります。家族や友人などが急死しても周りの方がとても冷静なように見られることです。

もちろん急死した方が出たような場合、身近な方は驚き、嘆き、悲しんでおられると思います。ツイッターに書き込んだりする人は、ある程度その方との距離があって冷静でいられるということなのだろうと思いますが。

個別の事例を掲げることは避けますが、例えば同居する義理の父が家の前で急死しても孫も抱けたことだし・・・というようなツイートも見かけました。

私の知人は相次いで義理の親と親せきのおばさんを見送りましたが、悲嘆に暮れることもなくテキパキと葬儀を済ませました。

友人の一人は、飲み友達が肺がんから脳に転移してあっという間に逝ったとき、特にショックを受けているようにも見えませんでした。放射脳でない人で一緒にモツ煮などをつまみに酒を飲んでいたと聞きました。

不幸があっても打ちのめされずに立ち直れるのはとても良いことだと思いますが、日本では家族が亡くなっても感情を表に出すことを抑制する人が多くなっているのではないでしょうか。

それとも経済的な問題などは心配がないからでしょうか。

posted by ZUKUNASHI at 09:25| Comment(9) | 福島原発事故
この記事へのコメント
そうですね。。
私も最近 おばを亡くしましたが、母は、姉妹であるにも関わらず、心の底からの悲しみを、感じることができませんでした。

もちろん、色んな関係性があるとしても。。
とても色々 力になってくれたおばでした。もちろん、母にも。。

このなんだかよくわかりませんが、無感動 無感情 のような感じが、不思議です。
私は、少しずつ立ち直りかけましたが、心が色んな意味で揺れます。

これは、なぜか、うちの子供たちにも、どこか共通してるように思えて、
故人を偲んで涙するほうが、どこかおかしいような気すらしてきます。不思議です。
Posted by るる at 2018年07月28日 17:03
被曝の影響があるのではないでしょうか。全部とは言いませんが。確か、チェルノブイリの被曝者の健康状態の話のなかに、楽しみだけを求める傾向が強まる そういった表現があったのが、心に残り、チェルノブイリを訪れたかたが、現地の若い方々との会話で、「地元の茸とか食べてるよ、皆さんにはすすめないけど。」、みたいな感じでニヤニヤしてた様子が衝撃的だったけど、今の日本人のニヤニヤした様子にそっくりと思ってしまいます。私見ですが。
Posted by なず at 2018年07月28日 20:48
さらに最近の安倍晋三やそのお友達の虚ろに弾けた気持ち悪い多幸感にあふれた表情みてると、被曝の影響、食べまくって?と、思ってしまいます。
Posted by なず at 2018年07月28日 20:59
つまらない例えですみませんが、あの、3.11の後、翌年か忘れましたが、うちの庭の古い柿の木にいままでなかった程の花が咲きわんわんとうるさいくらい虫たちが集まってなんていうか、生き物の最後の饗宴みたいになって、むせるような凄いありさまの割には
実はたいしてつかなかったと記憶してますが、その後、柿の木は、毎年淡々と細々と実をつけてますが、だんだん衰えつつあります。木には失礼かもしれないけど、人も被曝してわーっと楽しみばかりを追い求めて(イマココ、)その後じわじわと衰えていくのかななんて、思ったりします。
Posted by なず at 2018年07月28日 21:45
2011年春の桜がそうです。花も多く、実も多かったです。
訳は簡単で、花咲爺さんが灰をまいたためです。木灰はカリをたくさん含みますからカリ肥料をまくのと同じです。童話はちゃんと科学的根拠があります。
ところが現代花咲爺さんがまいた灰は、核燃料の燃えカスの灰でカリではなくセシウムの偽物で毒でした。このため、2011年の灰をたくさん吸収した木からその害が次第に現れるようになったのです。お書きになった通りです。偽物に喜んでいたらとんでもないことになったのですね。
Posted by ZUKUNASHI at 2018年07月28日 22:12
そうですね。。
もしかして、持って生まれた性格と、被曝の影響かもですね。

そういう私も、最近 物忘れのすごさにビックリします。
思い違いとか。。

あんまり長生きするのも、どうかなあと思う、今日この頃です。。
Posted by るる at 2018年07月29日 01:22
親に関して私の経験からは、それまでのゴタゴタやドロドロから開放されて、やっと自由になれた、という安堵感の方が大きかったです。戦前戦後を跨いだ、いろいろと問題を抱えたままの生育歴の親に、子どもとして翻弄されまくってきました。子どもからは親の本心は尋ねようもなく不明で、親しい友人より遠かったのではないかな?

そういった構造は、日本社会のひずんだ状況を反映して、今もいろいろと問題を引き起こしていると思います。イメージとしては、世の中の断層と褶曲が家族の中に入り込んでいる、そんな感じです。

友人に関しては、洗脳とバイアスの掛かり具合から来る認識の違いで、どのレベルで話が通じるかどうか違いが出てきます。遠ければ遠いなりに、極近ければ近いなりに、やり残したことがないならば、静かに見送るということになると思います。たとえ宗教が異なっても、仏教的な生死感が浸透している日本文化の特質も十分あると思います。

世間的にはニュースになる人でも、裏側があったりしても、死んだのなら当たり障りなく送るというのが一般的でしょう。それが問題の先送りと社会の停滞を招くのも事実ですが、過酷に評価する根性は残った利害関係もあって稀です。その状況を、謙虚に受け止めて問題解決に繋げようとするならまだしも、己の万能感と勘違いするアホが増えたのは近年の特徴ではあります。
Posted by SY at 2018年07月29日 12:57
現代の花咲か爺さんの灰は猛毒でおまけになぜか無主物ですってね。このヒトデナシーあいつら一生ユルサナイカラ!!!、、なんてね。
不躾なコメントを受け付けてくださりありがとうございました。
Posted by なず at 2018年07月30日 21:22
福島第一原発事故のあと、私たちの日本の国は、福島の子どもたちに表面上は見ても数値が見えない線量計を首にかけさせました。トータルどのくらい被曝したかを見るためでしょう。、あのとき、心底この国は恐ろしい国になったと、思いました。あれから、私も心のなかは氷みたいです。高齢のかたからやや高齢のかた、だんだん着実に亡くなっていき、身近なこどもたちや若者が、そういうことになったら正気で生きていられるのか、あの頃は不安でした。なのに、いまは、まだこういう感じです。心に霞がかかって、毎日の生活のささやかな楽しみ、あるいは大変さに右往左往している自分がいます。
Posted by なず at 2018年07月30日 22:10
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