帰路、駅に向かうバスの便が悪くてやむを得ず歩き通すことにしました。昔から主要な生活道路として賑わっていたであろう車一台で一杯の細い道を歩きます。
かなりくたびれて休みたくなったころ、ある家の塀越しにテッセンの花が満開になっているのが見えました。
テッセン、クレマチス

うーん、これは見事です。連れに「これはすごいな、下の方まで花を一杯つけていて一斉に咲いている」、「テッセンが咲くのはこんなに早かったかな」と話しかけます。写真を撮るには塀越しに手を伸ばさなければなりません。憚られます。
テッセンの隣にはバスタブを転用した水槽。上品なテッセンの隣に水色のポリバスタブ。なかなかの組み合わせだと横目で見ながら通り過ぎようとしたら、バスタブの向こう奥に人の影がありました。声をかけます。
私がテッセンをほめていた声は聞こえていたはずです。早速、本題に。
「ご主人が育てておられるんですか?」
「俺じゃない」
では誰? 奥さんでしょうから、奥さんをこの男性がどう呼ぶか少し待ちますが、言いませんでした。配偶者をどう呼ぶかは、年配者と話すときには大変情報量の多いキーワードなのです。
女性が、配偶者を「相方」とか「相棒」と呼ぶときは、夫婦の間でかなり対等な、場合によっては妻優位な関係であることを示唆する場合が多いのです。
このお宅の庭は広くはありませんが、目一杯様々な木を植えてもう植える余地なしという印象でした。大きくなった木は剪定鋏で下から手を伸ばして切った跡が目立ちます。
バスタブ転用の水槽では金魚を飼っていました。ご亭主が私に見せてやろうと、金魚の餌を取り出してパラパラと撒くと、紅白の大きな金魚が水面に浮かび上がります。
この男性は動物の飼育が趣味のようです。猫や犬ではなく鳥です。しかもカラスなど。
「カラスは、目が開かないうちからエサをやるとなつくんだ。だが、一日に何度もエサをやらないといけないから会社を抜け出して来なくてはいけない。それで上手くいかなかったな」
刷り込みですね。最初に見たものを親だと思い込む習性です。
「今は、カラスも勝手に捕まえてはいけないようですね。人を攻撃するカラスの巣を除去しようとする場合も市役所の許可が必要だと聞きました」
「茨城にいたときは、カラスとフクロウを飼っていた。またフクロウを飼いたいな」
「フクロウは、家を空けて帰った時に玄関まで来て迎えるそうですね。何羽もあの大きな目をこっちに向けて歓迎してくれる様子はなかなか楽しいでしょうね」
特に変わったところもない普通のおじさんです。少し肉付きが良くてむしろ童顔に近いでしょうか。
「野生のメジロ、ホオジロを飼っていると5万円の過料だと聞きました」
「スズメを飼うのもうるさいんだよ」
「外飼いならいいんでしょう。単なる餌付けですけど。向こうに行ってしまいましたが、連れは毎早朝スズメに餌をやっていたんですが、仕事に出かけるときに何羽も後を追ってきたそうです。服装が変わっても、背格好の似た人がいても間違えないそうです」
辞去して連れのところに向かいながら、お子さんは?と思いつきました。子供さんが成人して家を出ているとしても、子供がいる家でカラスを飼うだろうか?
フクロウ! フクロウの目は、親を見る孫の目です。邪気のない自分を見つめるまっすぐな視線。あれだ!
ずくなし爺はあっち側に行った? GG4人と話した日 1
ずくなし爺はあっち側に行った? GG4人と話した日 2
以上で終わりです。地元企業に勤める方、農業専業の方、元公的機関勤務者、元都市生活者の4人でしたが、元都市生活者が既成観念で人と接していると感じられませんでしたか。
サラリーマンをやっていた人は、自分の生活を多面的に眺める自省的、視野の広さがないと話をしてもまったく面白くないのです。今回は放射能問題には触れませんでしたが、そういう新たな問題になるとサラリーマンの多くはまったく対応不能なのです。逃げてしまいます。
私の古くからの友人もそうです。0.1秒で話題を変えてしまいます。シリア問題などを友人とも話したことはありません。「ゴイム」などと口走ろうものならこれも0.1秒で話題を変えられてしまうでしょう。
会うたびに、3秒、4秒で次々と話題を変えられ続けては、これは疲れます。徘徊の際に出会う互いに名も知らぬ人同士の話は、とても楽しく得るものが多いです。