福島第一原発事故から丸7年 小学校新入生は中学2年生に: ずくなしの冷や水

2018年01月16日

福島第一原発事故から丸7年 小学校新入生は中学2年生に

2018年01月08日 Fukushima から大阪へ母子避難している方の2018年年頭の言葉の記事は、それなりの反響がありましたが、管理人には少し違う気持ちのほうが強かったのです。

ぷうさんからコメントが寄せられましたが、どちらかというと管理人はぷうさんの年頭の言葉に同意する面が多かったのです。

私は「支援対象者」ではなく、原子力災害による国内避難民、「避難者」です。
国策で推進している原子力災害の被災者で、原発避難者・被災者への恒久救済、法的保護を求め続けています。

との主張、活動は正しい。

ただ個人レベルに下りて、将来の生活を見通すとき、別の視点が加わっていいのではないかという気持ちがあります。

もう7年も経ったから「自立しろ」とか言われてますけど、ずっと自力で避難してます。。。
避難(ひなん)です・・・


避難とは、災難を避けて他の場所へ立ち退くことと辞書にあります。災難の危険性がなくなれば元の場所に戻ることの含意が強いです。あくまでも物事の、生活設計の基本は元の場所を基準に考えられているような印象があります。

それはそれで良いのですが、福島第一原発事故被災者に関して言えば「災難の危険性がなくなる」ことは期待できるでしょうか。管理人は今子供を連れて避難している世代の方が存命中にそれを期待することは難しいのではないかと思います。

福島第一原発事故から間もなく丸7年経過、当時の小学校新入生は中学2年生になります。

原発被災者が恒久救済、法的保護を求め続けるのは権利として当然認められるべきです。

ですが生活主体としての生活設計は運動論と切り離して考えるべきではないでしょうか。

日本は、福島第一原発事故が契機となって社会経済の中に潜在していた矛盾や利害対立があぶり出され、表面化しました。それを促進したのは、現政権です。

福島第一原発事故から経過年数が加われば、加わるほどにこれらの矛盾や対立は深く大きくなっていくのではないでしょうか。今の国民の政治行動などを見ると、そのように思えてなりません。

なりふり構わず既得権益を追う、既得権益のあるグループが連携して改革を阻む、政治はウソを並び立てて弱者を踏みつける政策を進める。

日本の社会は劣化しつつあると思うのですが、それを憂い、異を唱える声は大きくなりません。管理人のこれまでの長い人生、良識のある者と付き合っていたとの思い込みは、こっぱみじんに打ち砕かれてしまいました。

「趣味の旅行で人生を楽しんでいます」などと書いてある年賀状は、見るだけで嫌気がします。そんなことを吹聴している時ですか?

チェルノブイリ事故のあったウクライナは、事故から30年経過しましたが、ソ連邦崩壊後政治が落ち着かず、社会経済の混乱が続きました。特にポロシェンコ政権になってから経済の低迷が強くなり、ほとんど経済破綻状態です。

そんな経済社会状況が影響したのでしょう、2014年以降の数年間で8百万人以上の人口が流出したとされています。ロシアへ440万人、ポーランドへ120万人など。ウクライナの人口は、2012年時点で45百万人程度と推定されていました。チェルノブイリ事故3年後の1989年では51百万人程度でしたから23年間で6百万人減少、そして2014年以降で8百万人以上が減少したことになります。

チェルノブイリ事故が人口減の一つの要因であることは確実ですが、それが30年経過してさらに減っているのはまさに社会の劣化によるものです。

このウクライナの人口流出に関する記事に「日本の将来を見るような記事です。」とのコメントがありました。管理人もそう思って記事を引用しました。

福島第一原発事故後、海外に移住した方から冒頭の母子避難者の年頭の言葉に深く共感したとのコメントが寄せられました。共感されるのは分かります。ですが、共感して涙を流すより海外移住というご自分の英断を褒めてやるべきではないかというのが、管理人の考えです。

放射能汚染から逃れて避難移住した人、特に海外に移住した人は何年も前にルビコン川を渡ったのです。現代風に言えばシリアのユーフラテス川を東側に渡ってテロリストと対峙する位置に立ったのです。

もう過去を振り返る暇も惜しい、前進あるのみです。福島第一原発事故がなければ、そのような決断は下せなかった。自分の人生を新天地に賭けたのではありませんか。

国内で避難移住した方の中には、移住先で新しい伴侶を見つけた、自宅を購入したといううれしい便りもいただいています。

日本が原発・核利用の呪縛が解けずに新しい技術システム、例えば再生可能エネルギーによるEV移行などが停滞する間に、海外は絶え間なく新たな試みを続けています。

管理人は、空間線量率測定システムの整備のためいろいろなフリーソフトを探し試しているうちに、日本国内で開発されたものの多くは1世代前のOSにしか使えないものが多くなっていて驚きました。パソコン市場は中国製品に席巻されています。ソフトもハードも日本は先進的な地位を失いつつあることは確実です。

リニア新幹線も経済的な観点からは、過去の発想にとらわれていると言えるでしょう。もんじゅは廃炉の見通しすら立たないのです。

過去の被害の償いを追求するのは当然です。ですが、それとともに過去のこだわり、しがらみを断ち切った新しい生活の創出に気持ちを切り替えることも大事だと強く感じます。

管理人は、最近、自分が孫を抱いているところを写真に撮ってもらってとても驚きました。えっ、いつも怒ってばかりなのに、こんなにうれしそうな顔をしているときもあるのかと。

そして、世の爺さんたちは、自分たちの孫の将来についてどう考えているんだろうと、見当がつかず深く悩んでいるところです。

・・・・・

ぷうさんの2018/1/16の投稿、引用開始

この1ヶ月ほどで、世界あるいは人類の置かれている局面が、大きく変わったと見ています。変な言い方ですが、これまでの旧世界を支配していた勢力の後ろ盾がなくなって、人類に対する支配体制の崩壊が雪崩を打ち始めている。

その過程で、人身売買やペドファイル、福島関連も含めて、人類に対する犯罪行為が明らかにされて、そのことへの怒りと報復の思いが、集合的に高まるかもしれません。責任者を処罰して、被害者に補償すべきだ、という動きもあるでしょう。

もちろん、そういう整理も大事ですが、それ以上に個々人において、まったく新しい世界、まったく新しい自己を創造する機会の扉が、目の前で開かれている?! ということに目を向けて、そこに意識や努力を集中すべきと思います。

ともすれば、過去の真実が明らかにされることに注目してしまいがちですが、それは過去から現在、そして未来の可能性を解放するために必要なだけであって、むしろ、未来において過去に影響されない新しい現実を創造することの方が、大事だと思います。

前に進むために、過去を解きほぐすことが必要なら、ぜひそうするべきですが、必要以上に過去にこだわることはない。未来のために必要なことを、現在において優先すべきではないか? いや、今を充分に生きることが、大事じゃないのか? と思います。

そういう意味で、311とどう向き合うか? というのは、一つの試金石だったように感じます。権威や支配、同調圧力、洗脳とどう向き合い、そこから脱しながら、自分にとっての新しい現実を創造していくのか? そこを乗り越えた人たちにとっては、これからやってくるグローバルな変化を乗り越えることは、たやすくはありませんが、応用問題として対処することができるかもしれません。

私も、いろいろ勉強し、経験してきましたが、そのすべてが覆り、価値を失う事態に直面することも、覚悟しています。そこで、過去の経験や価値観にしがみつかずに、前に進むことができるかどうか? 今年は、それが試されるのではないかな?

とりあえず、新聞やテレビは無意味なので、捨てた方が良さそうです。ネットも玉石混交なので、ほどほどにした方がいいかな? そして、自分の内なる智恵、直感に目を向けて、自分の周りの人間関係において浮上する動きを、巻き込まれずに観察することが、大事になってくるかもしれません。

大局の変化ということを言いましたが、一番大事なポイントは、今までのように良くも悪くも外に頼れるものはなくなって、自らの直観、心の声を羅針盤にせざるを得なくなることだと思います。

これまでの教育は、この内なる声を掻き消して、外なる権威や知識、情報に従うように洗脳することが目的でした。その洗脳を解いて、もう一度、自分の内なる声に耳を傾ける訓練をやり直すのは、例えて言えば、赤ん坊が何度も転びながら歩けるようになるのと同じです。

最初は苦労しても、自分の足で、自分の内なる声に従って、道なき未知を歩くことを選ぶか? 今までのように、自分の外に真理を探して、与えられた道を歩き続けようとするか? 

この二つの道は交わらないので、そこで創造される世界は、どうしても分かれてきてしまうでしょう。どちらが正しいということもなくて、単に意識の発達と、それぞれの自由意志の問題なので、それは仕方がないことだと思います。

posted by ZUKUNASHI at 10:21| Comment(5) | 福島原発事故
この記事へのコメント
たしかに意識的なリセットが必要ですね。被害者として拘るほど泥沼の状況から抜け出せなくなる。損切りした方が楽です。

気持ちとして、直ぐにそれができないのも分かりますが、長い目で見れば結果として時間=命を無駄にせずに済みます。
もともとリセットの必要のない若い世代は、とにかく前に進むしかありません。


経験上、年寄りで孫の将来を本気で考えているような人は、ほぼ皆無だと思います。
むしろ考えられない、考えることすらできないものだと思います。それはむしろ、ある種いい意味で

だから、孫も爺さんたちも互いに自由でいられる。考えてもらったりしたら、お互い雁字搦めで身動き取れなくなりますよ。

将来のある若い者が最善を尽くして生きるのを、見守るのが年寄りの役目だと思います。
それと、過去に拘って防波堤になってやることですね。頑張りましょう。

Posted by SY at 2018年01月15日 01:28
私も新天地に賭けて、2年前に欧州へ移住しました。人生のやり直しです。言葉、習慣、食べ物、何もかもがトラブルの連続で、毎日が問題の解決に追われる苦労の日々です。でも、日本のように命までは取られない、という安心感があります。もうこれだけで充分です。

放射能汚染の状況を分かっている方でも”もう少し様子を見てからにしよう”という方が多いのだろうと思います。しかし分かっているなら、今すぐにでも行動を開始しないと、避難移住は不可能になってしまう恐れがあります。というのは、国内の引っ越しにしても外国への移住、ビザ取得手続にしても、病に倒れて病院で寝た切り生活に入ってしまったら、もはや体力的に困難です。それよりベッドの中で死を待つ方が楽でしょう。医者の目を盗んで病院を抜け出し東京の大使館に何度も通うことなど困難です。ビザ取得手続となると、1年がかりを覚悟すべきでしょう。その間にも放射能汚染は進みます。

とにかく元気な今のうちに情報収集、諸手続など極力済ませておき、いざとなったらすぐに飛行機や新幹線で移動できるように準備しておいた方が良いと思います。

Posted by 新日本人 at 2018年01月16日 04:04
この1ヶ月ほどで、世界あるいは人類の置かれている局面が、大きく変わったと見ています。変な言い方ですが、これまでの旧世界を支配していた勢力の後ろ盾がなくなって、人類に対する支配体制の崩壊が雪崩を打ち始めている。

その過程で、人身売買やペドファイル、福島関連も含めて、人類に対する犯罪行為が明らかにされて、そのことへの怒りと報復の思いが、集合的に高まるかもしれません。責任者を処罰して、被害者に補償すべきだ、という動きもあるでしょう。

もちろん、そういう整理も大事ですが、それ以上に個々人において、まったく新しい世界、まったく新しい自己を創造する機会の扉が、目の前で開かれている?! ということに目を向けて、そこに意識や努力を集中すべきと思います。

ともすれば、過去の真実が明らかにされることに注目してしまいがちですが、それは過去から現在、そして未来の可能性を解放するために必要なだけであって、むしろ、未来において過去に影響されない新しい現実を創造することの方が、大事だと思います。

前に進むために、過去を解きほぐすことが必要なら、ぜひそうするべきですが、必要以上に過去にこだわることはない。未来のために必要なことを、現在において優先すべきではないか? いや、今を充分に生きることが、大事じゃないのか? と思います。

そういう意味で、311とどう向き合うか? というのは、一つの試金石だったように感じます。権威や支配、同調圧力、洗脳とどう向き合い、そこから脱しながら、自分にとっての新しい現実を創造していくのか? そこを乗り越えた人たちにとっては、これからやってくるグローバルな変化を乗り越えることは、たやすくはありませんが、応用問題として対処することができるかもしれません。

私も、いろいろ勉強し、経験してきましたが、そのすべてが覆り、価値を失う事態に直面することも、覚悟しています。そこで、過去の経験や価値観にしがみつかずに、前に進むことができるかどうか? 今年は、それが試されるのではないかな?

とりあえず、新聞やテレビは無意味なので、捨てた方が良さそうです。ネットも玉石混交なので、ほどほどにした方がいいかな? そして、自分の内なる智恵、直感に目を向けて、自分の周りの人間関係において浮上する動きを、巻き込まれずに観察することが、大事になってくるかもしれません。

大局の変化ということを言いましたが、一番大事なポイントは、今までのように良くも悪くも外に頼れるものはなくなって、自らの直観、心の声を羅針盤にせざるを得なくなることだと思います。

これまでの教育は、この内なる声を掻き消して、外なる権威や知識、情報に従うように洗脳することが目的でした。その洗脳を解いて、もう一度、自分の内なる声に耳を傾ける訓練をやり直すのは、例えて言えば、赤ん坊が何度も転びながら歩けるようになるのと同じです。

最初は苦労しても、自分の足で、自分の内なる声に従って、道なき未知を歩くことを選ぶか? 今までのように、自分の外に真理を探して、与えられた道を歩き続けようとするか? 

この二つの道は交わらないので、そこで創造される世界は、どうしても分かれてきてしまうでしょう。どちらが正しいということもなくて、単に意識の発達と、それぞれの自由意志の問題なので、それは仕方がないことだと思います。

いずれにしても、皆様が、心ある道を歩まれますように。
Posted by ぷう at 2018年01月16日 05:02
世の中がセミの抜け殻のように感じられるてしまう日が、やがて来るのだと思っています。すでに一部はそうなのですが
寒空の下に身一つで放り出されたときに、果たして自分の意識があるのかどうか、心もとない限りです。しかし、それでも生きていくのだと思えるのなら、暗く細くとも道はあるでしょう。

歳をとっても老人になる暇は無いように思っています。できればそれぞれの道を進む人に手を振って、どこかの未来に繋がるよう願いながら自分も進んでいけたらと思います。どこにいても道は険しいし、無駄死にしないだけの選択肢しか無いのかもしれませんが
Posted by SY at 2018年01月17日 01:00
SYさん こんばんは
無駄死にしない選択肢を取りたいと私も考えています。
急に老成された感じが・・・。仲間ができてうれしいですけど。
Posted by ずくなし at 2018年01月17日 01:40
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