お盆も過ぎて 親はどう生きていたのかとふと想う: ずくなしの冷や水

2017年08月22日

お盆も過ぎて 親はどう生きていたのかとふと想う

お盆過ぎにいただいたある方のお便りに次のようにあった。

「本当に厳格な父でしたから、大学進学で家を離れるまで、敬語で正座して話をする程に、距離がありました。大きな壁として立ちはだかる父(と私が勝手に思い込んでいただけです)に私はずっと反抗的でした。
生前もっと話をすれば良かったなあ、と兄弟とよく話しております。
もう**回忌も終わりましたが、心の中で対話する機会が増えた気がします。」

齢をとると、ふっと親のことを想うことがあります。

苦労や悲しく辛いことが多かったであろう親の人生、私の知らない人生の局面でどのように感じ、考えていたのだろうかと、思いを巡らせたりします。



親といる時間が長かった年上の兄弟から、ある程度のことは聞くことができますが、それは兄弟の主観が混じったもの、親がどう感じ、考えていたかはやはり推測するしかない。

生きていたとしても、親に昔の辛い話を語らせるようなことはできない。親が語る助言や叱咤、ぽろっとこぼれる苦労話に本当の気持ちが現れる。

年配の親がおられる方は、今のうちだ。

「心の中で対話する」ことができるようになれば、社会人としてのパスポートは、周りの誰もが認めるものになっている。

2015年01月23日
嫌われても反発されてもいい 放射能が危険だと頭にとどめていてくれれば

2014年09月21日
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posted by ZUKUNASHI at 08:54| Comment(0) | 日記
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