本当に大事なものを見極めて、行動として本心からそれを大事にする そういう機会の扉が開き、そして閉じた: ずくなしの冷や水

2017年08月14日

本当に大事なものを見極めて、行動として本心からそれを大事にする そういう機会の扉が開き、そして閉じた

2017/8/14にぷうさんから寄せられた投稿掲載する。引用開始。

昔、学生の頃、日本でのホスピス研究の草分けだった、柏木哲夫先生の講座に来ないかと誘われたことがあります。キュブラー・ロスやスティーブ・レヴァインが紹介されていた頃です。

死にゆく存在にどう寄り添い、言葉をかけていくか? あるいは、言葉の無力さを実感して、言葉を超えたところで関わりつづけるか? そして、死に直面して、そのプロセスから逃げないことによって、魂の成長を促すには、どうしたらよいか? その変化を共有するなかで、こちらはどう変化するか?

いろいろな課題はありますが、結局のところ、自らの直観に任せるしかありません。そして、私に関して言えば、もう言うべきことは言い尽くしてしまって、さらなる言葉は降りて来ない、ということです。

手遅れの方を一時しのぎで慰めるような優しさは持ち合わせていません。むしろ、死ぬまで悔いがないように、自分の思う通りにお生きなさい、と言いたいですね。それを選択したのだから、いまさらぐだぐだ言わずに、原子力村と心中したらよろしい。原子力村が提供してくれた偽りの安心に、渡りに舟とばかりにしがみついたのだから、最後までその安心を信じて逝けばよい。それが、ご本人にとっても幸せなのではないか? 

自分の命や健康を守るために、移住や転職、財産の放棄など、生きながら(社会的に)死ぬことを厭わなかった人たちには、死なずに生き返る道を開けるかもしれません。でも、今から動くのは無駄だし、無駄なことのために「生きながら死ぬ」必要はないと思います。

そして、そういう段階に至った以上、私の役目も終わりです。死に直面して、人生における優先順位を見直して、本当に大事なものを見極めて、最期の短い期間であっても、行動として、本心から、その大事なものを大事にする。そういう機会の扉が開き、そして閉じたのではないでしょうか?
posted by ZUKUNASHI at 15:10| Comment(1) | 福島原発事故
この記事へのコメント
ぷうさんの言葉・・とても深いです。
随分前から、家族はホスピスで過ごしているのだと自分に言い聞かせ、
明らかに死に急いでいる様に見える行動も
「本人が望んでいるのだ・・」と思うようにしてきました。
でも、心は揺れ動きます。

自らの直感に任せていくしかないのですね。
各人が残された時間で何をしたいか。
自覚しないまま最期を迎えるか、自覚して迎えるか。

自覚して迎える側で良かったです。
精神的に成長しなければ迎えることができない局面に直面しているのも感じます。

楽しそうに今日のランチや、お盆休みの観光のことで悩んだり、テレビの芸人のやることを見て笑える・・そんな生活が
続くと思っている方が幸せなのか・・
見える世界は人によって全く違うのですね。
Posted by 横浜にて at 2017年08月15日 22:24
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