だから散々言っただろうと思う反面 心は重く: ずくなしの冷や水

2017年07月17日

だから散々言っただろうと思う反面 心は重く

次の記事を書いたのは、2年半前です。

2017/7/17、友人の友人が肺がんで療養中だと知りました。社会的地位のあるインテリの方で、私の友人は彼も何も心配していない、社会的地位のある人、高度の職業能力のある人は誰も放射能汚染が危険とは言っていない、だから心配いらないという論拠の筆頭に上がっていた方です。

2014年11月11日
おやじの精神破綻がありうると思うが そんなときは温かく接するしかない

(放射能気にしない派とは)議論するならその余地はいくらでもあるのだが、先方が聞く耳を持たなければ、いくら説明しても理解は進まない。

ところが、その理解が一気に進むこともある。とても言いにくいことだが、それは自分が重篤な病に倒れたり、最愛の家族が予想もしなかったような病に倒れたり、急死したりしたときだ。

このときの気にしない派の対応は、二通りある。
A あくまでも放射能との関係を認めない。
B 放射能の害を疑い、自責の念に襲われる。

・・・以下略・・・

私の友人は驚いていましたが、特に落ち込んでいるような様子もありませでした。

放射能の害であることは、まず間違いないでしょう。二人でモツ煮を食べるようなことも多かったようですし、初めて聞きましたが魚も良く食べていたということです。

私の友人は、私のリサーチより別の友人の学識と社会的地位を選択して放射能は心配無用との結論を導き出したのです。

教養のない人ではありません。むしろ常識的に過ぎるほどの善人です。

共謀罪など、現政権の右傾化、軍国化について話をしたとき、最後にその友人がぽろっと言ったのは、そういう危険が現実のものになるには、まだ何年もかかるだろう、でした。

2年半、3年などという月日はあっという間です。
posted by ZUKUNASHI at 21:35| Comment(0) | 福島原発事故
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