矢ヶ崎克馬さんが立派なわけ: ずくなしの冷や水

2017年07月17日

矢ヶ崎克馬さんが立派なわけ

よんたさん こんにちは
矢ヶ崎克馬さんご立派ですね。
でも、私は、それは立派な啓発活動をしておられるからであって、無料でやっておられることと「立派さ」はあまり関係ないのではないかと思うんですよ。

矢ヶ崎克馬さんの立場での講演・啓発活動を敵視する方も多いでしょう。そんな中でリスクも不快なことも多いと思うんですけど、ずーっと続けておられますね。
私からすれば、それが一番立派なことだと思えます。

しかし、一面から言うと、矢ヶ崎克馬さんのような著名な方が無料で講演活動を引き受けるがゆえに、若い方が育たない面が出ているのではないでしょうか。

年金生活者は、講演料や日当がなくても活動できるでしょうが、現役年代の方はそうは行きません。日当や報酬が入るのは圧倒的に原発推進・擁護の立場に立つ場合です。

矢ヶ崎克馬さんも報酬を受け取って、それが誹謗中傷に結び付くことを警戒されているのだと思いますし、そもそも反原発と言いいつつもカネを出すのは嫌、共謀罪の疑いをかけられるのは嫌、という人が多いのが実情です。

このブログの冒頭に共謀罪のリスクがあると警告文を置いたら、覿面(てきめん)にアクセスが減りました。

矢ヶ崎克馬さんの講演会などを企画する人は、矢ヶ崎克馬さんが報酬を受け取らないのであれば、講演会場に寄付金箱を置いて、そこに寄付先を書いた紙とともに現金を投じてもらうようなことをなぜやらないのでしょう。

おしどりに千円、民の声新聞に千円、フリーランスジャーナリストのXさんに千円など、一人ひとりの金額は少なくとも数が集まれば力強い応援になるはずです。

カネは出したくない、行動もしたくないという人達を相手にして、それに迎合するような活動を続けていては、将来への道が開けないように思いますが、いかがでしょう。

私は6年間ブログを書いてきて、最近強くそれを感じるようになっています。

・・・よんたさんから・・・

ずくなしさん こんばんは

矢ヶ崎さんの行動、思いについては、ご本人に会ってみられたら分かると思います。私は会っていますし、お話もしています。その中で感じることもあります。でもそれは私の思いであって、お伝えすることではありません。

正確に伝わっていなかったかもしれませんが、講演会を依頼されたときは講師費用を当然受け取っておられます。ただ、お金のためにやっておられるのではありません。なので、どう考えても交通費の方が数倍する、という謝礼でも行かれるときは行かれます。常識では考えられないことだと思います。でも、それが矢ヶ崎さんのやり方なので、外野は何も言えません。70何年生きてこられた方に、言うことでもありません。

矢ヶ崎さんの活動に賛同し、協力されている方も、出来る範囲での活動です。むろんずくなしさんのおっしゃる通り、多くの無理解や誹謗もあり、ご苦労されている中で、ずっと続けておられることが最も立派です。私も敬意を表するしかない、と思っています。

でも、ずくなしさんもそうではありませんか? 私のブログも、全く何の利益をも期待しているものではありません。自動的に出てしまう広告を消す技術がないので疎ましいのですが、これもまぁ資本主義のアヤなのだろう、と諦めています。

考えてみたら、自分の古武術、健康教室の宣伝になるかも、と思って始めたブログでした。いつの間にか、現政権批判テンコモリの怪しいブログになってしまいました。着物の下の鎧を隠すことができないのでしょう。ずくなしさんもそうだと思います。

戦争犯罪人を前にして、シッポを巻いて逃げる人間もいれば、こいつだけは許せないと断固として節を曲げない人間もいます。少なくとも、ずくなしさんも矢ヶ崎さんも、そして末席を汚す私も節を曲げない、いや曲げるなんて思いも付かない人間なのだと思います。

自然の流れに任せるしかありません。

日本はご存じのように滅亡に瀕しています。多くの人たちが真実を知らされず、もしくは簡単に政府の虚妄に騙されマインドコントロールされています。その状況を改善する試みは、えてして蟷螂の斧となってしまいます。それでもジジィは一縷の望みにかけるしかありません。あ、ババァもですね。失礼しました。

私はもう疲れないことにしましたが、ずくなしさんは少しお疲れが溜まっておられるのではありませんか? 矢ヶ崎さん訪問がてら、沖縄に遊びに来られてはいかがですか? 飛行機に乗るということは、悩ましいプルームの中を飛ぶということで、楽しくありませんが、思い切って来てみるのも意義があるかと思います。私なんてこの6年で何回行き来したか分かりませんよ。(マスクは離しませんでしたが)まだ生きてます。

この地は最後の希望だと思っています。多くの挫折が待っているにせよ、希望を踏みにじられるにせよ、勝つことを諦めなければ生きていけます。たかが人生、されど人生、人間の一生なんて一瞬の花火、小さな実験に過ぎません。どうせなら少しでも世に疵痕を残してみたいものだと、私は思っています。
posted by ZUKUNASHI at 19:27| Comment(0) | 福島原発事故
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