東海第二で苛酷事故なら首都壊滅だったはず: ずくなしの冷や水

2017年06月01日

東海第二で苛酷事故なら首都壊滅だったはず

東日本大震災の際に東海第二原発は、原子炉を安定させるためにベントを170回行ったとされている。

これに伴い周辺のモニタリングポストで空間線量率がどこまで上昇したのかは茨城県が記録を示さないので分からないが、すさまじい線量率上昇があったはずだ。

茨城県のモニタリングポストの表示が消されている期間


影響の大きさを測るために2011/3/12から3/14までの関東のSPM濃度の推移を見ると、ほぼ関東全体に影響が出ていることが確認できる。

以下のグラフで3/12の午前から3/14まで、グラフの左端に注目

次の茨城県の二つのグラフは元データが誤り。
水戸市の2017053006.gif
石岡市の2017053009.gif

千葉県北部

栃木県

東京都葛飾区

東京都江戸川区

東京都東大和市

東京都町田市

横浜市磯子区

横浜市泉区


これらで示されている浮遊塵がどれだけ放射能を有していたかは分からないが、2011/3/15の午前0時〜1時の間に記録されたろ紙からセシウムが検出されているものがある。


浮遊塵が皆等しい放射能を有しているわけではない。だから3/12から3/14の間に観測された浮遊塵がどの程度の放射能を有しているかを議論する意味はない。

ただ、これらの浮遊塵が苛酷事故に伴って放出されたものであるならば、福島第一原発事故によって放出された浮遊塵と同等な放射能を帯びていることはありうるということだ。
posted by ZUKUNASHI at 00:02| Comment(0) | 福島原発事故
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス: [必須入力]

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。