死亡率変動に関する一般的な考察: ずくなしの冷や水

2016年08月02日

死亡率変動に関する一般的な考察

人口動態統計の分析の一部を実数から率に変更しましたが、手間をかけた割に得るところは多くはありませんでした。1年、2年の期間では人口の変動は大きくなく、人口変動が死亡率に与える影響は少ないのです。

次の表の下半分に死亡数が変わらず人口が変化した場合の死亡率の変化を掲げています。人口32万人程度、月当り死亡数200人程度の場合、人口が1万人動くと、死亡率が0.2ポイント動きます。32万人の都市で1年間で1万人も人口が動くことは、原発事故でもなければないことです。大規模な宅地開発があり一斉に入居したケースを考えても一団地3千戸の規模に相当します。


次のグラフは、死亡率と出生率の変化を表示していますが、人口増の死亡率に対する影響は通常「低下」です。死亡率の高い高齢層が大挙して転入してきた場合は「上昇」もありえますが、通常は流入世帯は比較的若い年齢層ですから平均した死亡率は下がります。

一方、人口減はこの逆で原発事故被災地のように比較的若い年齢階層を主体に人口が流出した場合は、高齢層の割合が上がり死亡率「上昇」です。原発事故や感染症の流行などで高齢層を中心に死亡者が急増して人口減の場合、短期的には死亡率「低下」もありえます。この現象はときどき見られます。いわば大難の後の小康状態でいずれ本来のトレンドに復帰します。

このケースの典型が東京都豊島区で観察されました。出生数、死亡数の12ヶ月移動平均です。清掃工場における放射能汚染瓦礫処理に対応して死亡数が急増し、焼却終了後約1年間高原状態が続きましたが、その後死亡数が減少するという顕著な動きを示しました。

大阪でもガレキ処理に伴って同様な動きが見られました。

ポイント@:2年程度の期間について見ると、人口増減が死亡率の変化に与える影響は顕著なものにはなりません。死亡数の変化が圧倒的な変動要因です。

ポイントA:死亡数の急増は、多くの場合吸気被曝によるものです。福島第一原発事故に関連して外部被曝によって死亡数が急増するような例は、管理人はまだ知りません。

上の千葉2区と千葉7区の死亡率の推移を見ると、千葉2区八千代市などの線が安定した上昇傾向を示しているのに対し、千葉7区流山市などの線が上下動を示しています。千葉7区は、 2011/7から12ヶ月移動平均の死亡率が下がり始め2011/12まで下落が続きました。そして 2012/1から急上昇を開始し、2012/12まで継続、その後反転して2012/6まで下落傾向、2012/7からまた上昇トレンドが始まっています。

ここで注目されるのは、千葉7区が比較的安定した上昇トレンドに乗って以降の上げ方の勾配が千葉2区より大きいことです。
ポイントB(暫定):汚染が強い地域ほど死亡率の上昇トレンドは強くなる。

死亡率の変動要因を千葉7区についてさらに検討します。

Q1:最初に2011年半ば以降の死亡率の低下はなぜか。
千葉県北西部は、2011/3/15にプルームが流入しましたが、早朝の時間帯であり、その後東風で東京方面に吹き寄せられています。そのため吸気被曝は日中にプルームが通過した地域よりも少なくて済んだと見られます。2011/3/21の濃厚沈着時は休日で降雨がありましたので吸気被曝の抑制という面では、これが幸いしています。

それゆえ、2011/3の死亡数が急増するということにはなっていません。ですが、死亡率が低下したのはなぜでしょう。千葉7区は特に流山市で人口増加が続きました。ですが、比較的安定的に増加しており死亡率の低下をもたらすような急激な変化ではありません。

上のグラフでは、2010/12以降を表示しています。それ以前を含めれば次のグラフとなり、2011年半ばまではプルーム襲来の影響も含め死亡者数の水準が高位推移し、その反動で死亡数が減少したと見ていいでしょう。2012/12以降の低下も同じです。豊島区の例と同様です。


次にQ2:2011/2までの死亡数の急増、2012年年間の死亡数増加をもたらした原因は何か。
2011/2までの死亡数の急増の原因は分かりません。2010年は日本の広い地域で死亡数が顕著に増加しました。暑い夏の年ですが春から冬に至るまで死亡数の増加傾向が続いたのです。これもその一環と考えます。
2012年年間の死亡数増加の原因は明らかでしょう。2011年に農産物が汚染され、2011年の秋からコメを始めとして一斉に汚染度の高い農作物が出回りました。
ただ、2012年年間を通じた死亡数増加の傾斜が強すぎます。2013年に入って死亡数が減っています。飲食物の汚染だけではなく、他の被曝要因があるのかもしれません。流山市は、放射性物質濃度の高い焼却灰を秋田県に送り込み送り返されるというずさんな放射性物質管理をしています。地元の焼却場などで何かあったとの疑いを捨てきれません。

ポイントC:放射能汚染ガレキの焼却・焼結などによって放射性物質が大気中に放出され、内部被曝が増大すると死亡数が増える。
このような処理施設の不備、管理の手落ちによっても放射性物質の放出は強まります。
柏市では、北と南に二つのごみ焼却施設があり、新鋭施設は焼却灰の放射性物質濃度が高くなるという理由で一時その稼動を取り止めました。どちらが大気中への放出度合いが多かったかはわかりません。

ポイントD:汚染飲食物の摂取による死亡増には時間がかかる。し尿汚泥のセシウム濃度の観察では、正月過ぎにセシウム濃度が高くなることはあるが、年末年始の汚染食品の摂取が1月の死亡数の増とどう関連しているかは分からない。

ポイントE:人口が減少傾向にある中、人口の急激、大幅な増加は見られなくなっている。減少はありうるがドラスティックな減少は、次にまた過酷事故が起きたような場合だろう。その前提で考えれば、出生率、死亡率に変換せずとも、実数の推移を見ればトレンドの把握は可能。

ただ、これは単純死亡率のための限界でもあり年齢階層別の人口構成が把握できれば、そのウエイトの変化による全体死亡率の変化予測は正確度が増す。
posted by ZUKUNASHI at 11:38| Comment(1) | 福島原発事故
この記事へのコメント
ずくなし様
お世話になっております。
私は2010年にも何らかの海への?汚染があったのではないかと、個人的に思っています。
私自身の経験ですが、2010年8月〜年末にかけて、3度の脚のひどい内出血を経験しています。
このうち2度は、脚を軽くぶつけただけでゴルフボールほどの内出血を起こしたのと、一度は朝起きると片足のくるぶしから下が青い靴下を履いたような内出血を起こしていました。
病院では血管が弱くなっているのでしょうとのことで、ビタミンCを処方されただけでした。
この頃私は父の介護で忙しく外食が増え、近所の評判の良いお寿司屋さんの寿司ランチをしばしば食べていました。
魚介類が好きなため、夕食に刺身や煮魚もよく食べていました。
私は原発事故の影響もすぐに出ましたが、俗に言うカナリヤ体質なのは、子供の頃から魚が好物で、事故以前から体内にある程度の有害物質を貯めていたのが原因なのではないかと今は考えています。
子供の頃から青アザが出来やすくそれが自分の体質だと思っていましたが、魚介類を嗜好品程度にしか摂らなくなった今、青アザも殆んど出来なくなりました。
Posted by yi at 2016年08月02日 13:30
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