出生率低下、死亡率上昇を風呂桶の水でたとえるとこうなる: ずくなしの冷や水

2016年07月31日

出生率低下、死亡率上昇を風呂桶の水でたとえるとこうなる

2016/7/30のぶうさんの投稿を掲載する。ありがとうございます。お説のとおりですね。引用開始。

前にも書いたような気がしますが、インプットとシンクとアウトプットの関係でしょうか? 風呂桶に貯まっている水位を人口としたら、蛇口から注がれる水量が出生率、排水口から流れ出る水量が死亡率ということになるかな? そこに社会増などの別の蛇口からの流入が加われば、水位そのものの変化は目立たなくなりますね。

変なたとえをすると、出生率の低下=一次冷却水の流入量低下と、死亡率の上昇=冷却水漏れの増加が組合わさると、原子炉内の冷却水の水位がさがり、炉心が露出して、さらに水位低下が加速し、最終的には社会がメルトダウンする。これを食い止めるために、海水=移民を大量に受け入れたい政府? といったところでしょうか?

いや、そこまで行かなくても、放射能汚染の隠蔽、被曝被害の隠蔽によって、避難や移住による社会減を食い止めて、冷却水の水位低下を何とかごまかしたい! というのが政府の方針で、ここまではそれがうまくいっていた? ということなのでしょう。

風呂桶のたとえを使いましたが、水量だけでなく、水質にも問題があります。健康な赤ん坊が生まれなくなったら、そのことによって、社会のメルトダウンはさらに進むことになるでしょう。蛇口からの水が濁り、風呂桶のなかの水も濁り、不純物だらけになり、それを浄化するのに、さらなるエネルギーを投下しなければならなくなる。

こうした社会メルトダウンのプロセスは、もしかすると指数関数的なカーブを描いて悪化するかもしれません。出生率の減少を取り巻くように、乳幼児の疾病率の増加(健常児の減少)があり、死亡率の増加を取り巻くように、健常な人の減少(疾病率の増加)が存在するのでしょう。その健常な人たちに社会機能維持のための負担がかかり、一人二人と潰れていく。

まだ、社会メルトダウンは起きてないかもしれませんが、炉心を正常に保つための冷却水の補給は減少傾向が定着し、冷却水漏れはひどくなる一方で、「東京は安全で、アンダーコントロールですから、社会のメルトダウンが起こることはありません」と強弁し続けるしかないのかもしれません。まあ、10年後くらいに、「実はメルトダウンしていました」みたいなアナウンスをするのでしょう。

社会のメルトダウン、経済のメルトダウンをごまかして、自分の生活や財産や健康を守るために、東北や関東にお住まいの方々は、西日本から比較的安全な食材を取り寄せ、放射能で汚染された食材を西日本に送り、西日本の住民の体を放射性廃棄物処理場にしました、「食べて応援」「風評被害」「絆」の名のもとに。福島では、震災以前よりも農協の預金高が増えたなんて話もありますが? さらに今、除染廃棄物や下水汚泥を西日本に運んで焼却、汚染の少ない地域まで、ベータ線源で汚染しつつあります。

本来住んではならない地域に住み続けるために、どこまで西日本の人間を、世界の人間を巻き添えにし続けるつもりなのか? 最後まで粘って、どうしようもなくなってから、西日本に避難してきても、誰が受け入れるでしょうか? というか、その頃には、西日本も強制移住地域なみに汚染され、西日本の住民も食べて被曝して、他人のことなどかまっていられなくなっているかもしれません。

もはや、汚染地帯で住み続けること自体が、罪なんじゃないですか? 当初は、確かに被害者だったのですが、この5年間で起きたことを振り返ると、避難せずに従来の生活を維持するために、西日本の住民を利用し、傷つけ、殺している加害者になっているのではないか?

社会メルトダウンの迫る首都で、被曝回避や避難を訴える候補者が皆無の、茶番劇が行われようとしています。脳内メルトダウンの烏合の衆が、何をやっているのだか? 地方からの経済、人材、資源の収奪で成り立ってきたのが東京ですが、これ以上、汚い汚物をまきちらしてきたことを反省せずに突き進むなら、当然の理として、自壊せざるを得ないでしょう。

改めてお聞きしたい。東京と心中するつもりですか? そうでないなら、さっさと逃げなさい。おそらく、そろそろ時間切れになりますから。


なんてことが、仕事中に頭に浮かんで、一人でぷんぷん(`´)ゞ していました。考えてみたら、復興税やらの税金を払ったその金が、食べて応援やら瓦礫焼却やらの補助金に回されて、放射能を食わされ、放射能を吸わされる。なんで金払って、害を受けなきゃならないのか? それで儲けるやつらもいるのだろうが、彼らも多かれ少かれ被曝する。それでも金を取る奴らの気がしれないが、こちらも確実にその巻き添えになって、徐々に放射能でやられていく。

いやはや、日本もすごい仕組みを作ったものだ。笑うのは、日本を滅ぼしたい勢力だけだが、その勢力のなかの人たちも、その家族も、被曝を免れることはできない。一種の自爆テロみたいなものなのかな?

それにしても、なんで守るべき子も孫もない私が、こんなことを考えんといけんのか? 世間の人たちにとって、子や孫というのは玩具みたいなもので、被曝で苦しもうが、戦争に行かされようが、関係ないものなのかな? 脳天気に汚染食材の給食を食わせている親がほとんどだと思うと、「ま、いっか! 私にはかんけーねーし!」と思っちゃいます。

しかし、本当に不思議。子や孫が可愛い、大事だ! って言っているのは、みんな嘘なのかな? 子や孫の未来を真剣に考えたら、答はすぐに出るのにね。

そういう意味では、日本は終りましたね。8月8日、明仁さんが「日本終了宣言」でもしてくれないと、この国のなかの人たちの、目が覚めることはないかもしれない。というか、やっぱり、目が覚めないまま、永遠の眠りにつく方が幸せなのかなあ?

社会メルトダウンと脳内メルトダウン、どっちが鶏で、どっちが卵なのか? というか、メルトダウンを超えてメルトスルーに至ったら、チャイナシンドロームで、日本が中国化してしまう? え? もうしてる?

少しだけ補足を。システム思考的には、インプットやアウトプットの変化に遅れて、シンクの変化が起こる(目に見えるようになる)と言います。一定の水=人口になり、それが維持されている状態で、インプットやアウトプットの変化が起きても、すぐに水量の変化が明らかになるわけではありません。水量の変化が明らかになった時点では、インプットやアウトプットを操作しても遅い? ということになります。もしかすると、最初の量的変化を捉えている可能性がありますね。

あと、量的な変化に先んじて、質的な変化が報告されるとも言われますから、ツイッターなどの内容に見られる変化も、前兆的に捉えた方がいいかもしれません。

「終わった」というのはそういうことで、多くの人たちは、変化の波の頂点や底の量的な側面に注目しますが、むしろ、変化の波のベクトルの方向が変わることに注目すると、頂点を少し超えたあたりで、ベクトルが下降にむかった時点で、あとは落ちるだけの未来が見えるし、底を打ってベクトルが上昇に向かっ時点で、どんなに状況が悪くても、明るい未来が広がることがわかる。

と、偉そうなことをかきましたが、すべて野口晴哉さんの受け売りです('-'。) 下げは上げのため、上げは下げのため、と言いますが、特異点を見抜かないと、意味がないのでしょうね。言葉を変えると、「勢い」がつく方向なのか、なくなる方向なのか? どんなに虚勢を張っても、実際の勢いが失速すれば、現実を隠し通せなくなる日を、遠からず迎えることになります。

あと、風呂桶のたとえは、たとえのようで、現実なのかもしれません。人体の90%は水分で、セシウムで汚染された水を飲んで、体内で濾過して、浄化して下水に流すわけで、飲料水や食べ物を蛇口からのインプット、風呂桶の水を体内の水、大小便に汗などをアウトプットとみることもできるでしょう。まあ、生物学的半減期の議論になりそうですが。

しかし、風呂桶そのものが汚染されていて、内壁からどんどん放射性物質が溶け出している(吸気被曝)と考えると、インプット(食べ物や飲料水)とアウトプット(デトックス)を気をつけるだけでは間に合わず、やはり別の風呂桶に移らないとどうにもならないだろうなあ? みたいな感じ。でも、インプットやアウトプットに気を使い続けた人と、そうでない人との差も、イメージ以上に大きいのかもしれませんね。排出機構そのものにもダメージがあることを考えると、最初から入れないことのメリットは、かなり大きそうです。

関東の水瓶はかなり汚染されているそうですが、首都圏に住む何千万の人が蓄えている水の量も、もう一つの水瓶と言っていいもので、当然、その水瓶も多かれ少なかれ放射能で汚染されていることを視覚化すると、、、やはり、終わっていますね。

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posted by ZUKUNASHI at 12:50| Comment(3) | 福島原発事故
この記事へのコメント
少しだけ補足を。システム思考的には、インプットやアウトプットの変化に遅れて、シンクの変化が起こる(目に見えるようになる)と言います。一定の水=人口になり、それが維持されている状態で、インプットやアウトプットの変化が起きても、すぐに水量の変化が明らかになるわけではありません。水量の変化が明らかになった時点では、インプットやアウトプットを操作しても遅い? ということになります。もしかすると、最初の量的変化を捉えている可能性がありますね。

あと、量的な変化に先んじて、質的な変化が報告されるとも言われますから、ツイッターなどの内容に見られる変化も、前兆的に捉えた方がいいかもしれません。

「終わった」というのはそういうことで、多くの人たちは、変化の波の頂点や底の量的な側面に注目しますが、むしろ、変化の波のベクトルの方向が変わることに注目すると、頂点を少し超えたあたりで、ベクトルが下降にむかった時点で、あとは落ちるだけの未来が見えるし、底を打ってベクトルが上昇に向かっ時点で、どんなに状況が悪くても、明るい未来が広がることがわかる。

と、偉そうなことをかきましたが、すべて野口晴哉さんの受け売りです('-'。) 下げは上げのため、上げは下げのため、と言いますが、特異点を見抜かないと、意味がないのでしょうね。言葉を変えると、「勢い」がつく方向なのか、なくなる方向なのか? どんなに虚勢を張っても、実際の勢いが失速すれば、現実を隠し通せなくなる日を、遠からず迎えることになります。

あと、風呂桶のたとえは、たとえのようで、現実なのかもしれません。人体の90%は水分で、セシウムで汚染された水を飲んで、体内で濾過して、浄化して下水に流すわけで、飲料水や食べ物を蛇口からのインプット、風呂桶の水を体内の水、大小便に汗などをアウトプットとみることもできるでしょう。まあ、生物学的半減期の議論になりそうですが。

しかし、風呂桶そのものが汚染されていて、内壁からどんどん放射性物質が溶け出している(吸気被曝)と考えると、インプット(食べ物や飲料水)とアウトプット(デトックス)を気をつけるだけでは間に合わず、やはり別の風呂桶に移らないとどうにもならないだろうなあ? みたいな感じ。でも、インプットやアウトプットに気を使い続けた人と、そうでない人との差も、イメージ以上に大きいのかもしれませんね。排出機構そのものにもダメージがあることを考えると、最初から入れないことのメリットは、かなり大きそうです。

関東の水瓶はかなり汚染されているそうですが、首都圏に住む何千万の人が蓄えている水の量も、もう一つの水瓶と言っていいもので、当然、その水瓶も多かれ少なかれ放射能で汚染されていることを視覚化すると、、、やはり、終わっていますね。
Posted by ぶう at 2016年07月31日 02:25
若き官僚達よあなた方の多くは、まだ局長課長の下働きや、尻拭い、雑用、そして平民や底辺民から、どうやって上手く搾取するか、日夜考えている事と思う。

そう生かさず殺さずと、長年先人達はやってきたのだから、それに倣い… いやそうしないと、直ぐに出世競争から脱落だそうだね。

でも今一度よく考えて欲しい。本当にこのままの状態で、日本が今後もつかどうか。

そりゃ自分が高級官僚なら、給与は国が守ってくれるだろう。しかし家族の健康は、自分自身の健康はどうなんだ。
勤務地は霞ヶ関なんだろう。経済産業省の周りを、一度でも計測した事はあるのかい。

病院に入院しても、保障は手厚いだろう。ただ入院しても、絶対治るとは限らないぞ。
それともどこそこの事務次官に倣って、家族だけは外国に逃がすのか。

このまま行くと、もう日本はもたないぞ。
高度成長期の貯金は、残り僅かだ。

この社会は弱い者から死んでゆく。
俺らも次期死んでゆくが、これから日本を支えようとする者も死んじゃうんだ。
なぜなら若い人程細胞が損傷を受け易いし、男性よりも女性に影響が出易い。つまり次世代に影響が続いてしまうんだ。

お前達を今まで支えてきた底辺の者から順番にきて、そのうちに最後は君達の順番になるんだよ。放射能は金持ちだろうが貧乏人でも、分け隔てなくやってくるもんね。

あの瓦礫広域拡散して、病人を統計上全国一律にしようと考えたのは、もっと上の方の奴らだっていうのは知ってる。
そりゃ考えた奴らは責任を問われる頃、もうこの世に居ないもんな。

あなた方は公務員試験を通ってきて、俺なんかより数段頭が良いんだから、せめて生かさず殺さずの殺さずという事を、もっと真剣に考えないと、本当に手遅れだよ。

まず省内で若い味方を沢山作って、利権にあやかってる上の奴らを早く駆逐してくれ。
じゃないと昔と違ってあなた方若手が、例え出世して搾取しようとしても、その対象は滅びてしまってんだよ。

(ずくなし様この上記コメントは、不適切かもしれませんので、削除で構いません。スミマセン。)
Posted by 閻魔の弟子 at 2016年07月31日 03:24
昨日は、新居信介さんのK2Oブログて紹介されていた「シン・ゴジラ」を観に、ど田舎から片田舎へ、片道1時間のドライブ。温泉にも寄って、良い息抜きになりました。

で、「シン・ゴジラ」。噂の通り、ゴジラ=福島第一原発の、メタファー映画で、しかも一切の人間ドラマ、感情の動きを排して、淡々と政府の危機対応の失敗と挽回を描くという、会議映画? あれだけ会議ばっかりしていて、しかもいろいろな情報が一つの筋にまとまらないのに、最後まで飽きさせない?! という意味では、前代未聞の問題作かもしれない。

以下、ネタバレを気にせずに感想を。まあ、実際に観に行きそうな方もいそうにないし、何より元ネタの「新世紀エヴァンゲリオン」のテレビシリーズと序を観ている人もあまりおらんだろうし?

今回のゴジラ、と言っても、過去のゴジラは闇に葬られ、現代の日本が想定外の原因不明生物に襲われたときに、政府がどのように対応するか? という設定で話は進みますが、まあ、簡単に言えば、エヴァンゲリオンの原子炉ロボット暴走をヤシマ作戦で食い止められるか? という展開。

原子力で動き、放射能を撒き散らしながら移動する巨神獣が、小田原沖ではなく、羽田沖プラスアルファで出現し、皇居を温存したまま、霞ヶ関を焼き払い、首脳陣を日本から一掃する! って、ゴジラ、いいやつじゃん?! みたいな。

見終わって、最初に思ったのは、「これって、311の被曝者が作った被曝映画? 328(さにわ)の出演者全員が被曝しているだろうし、スタッフも被曝者、宇都宮でロケをしたそうだけど、あそこも那須塩原ほどではないけど?」みたいなこと。

目に見えるゴジラ、そして目に見える破壊に対しては、初期対応が遅れても、人命優先で避難させ、疎開させる。しかし、目に見えないゴジラ、目に見えない破壊、直ちに影響はないけど数年後に確実に影響がある破壊に対して、政府はどんな対応をとったのか?

放射能プルーム=見えないゴジラが、何度も首都圏や東北地方を徘徊して、そのはいずった後に高濃度の放射能汚染の軌跡を残した。見えないゴジラがどこに向かうか? という情報は福島県によって隠蔽され、事前の避難対応をとらず、残された汚染に対する除染も、やっても無駄な地域を重視し、無駄なお金と人員を注ぎ込んだ。まあ、見えないゴジラに対しては、徹底して「なかったこと」にしたわけですね。

映画のストーリー上、想定外に対応できない首脳陣に代わって、若手の政治家を中心とするグループが事態を打開し、日本の「スクラップ&ビルド」を行っていく? という希望が見えて終りましたが、その若手政治家のモデルが、枝野・細野ライン? 311では彼らの目先の対応こそが、後に「食べて応援」「瓦礫焼却でセシウム拡散」の災厄を残したわけで、実際の日本では、そんな希望はとっくの昔に潰えています。

まあ、被曝都市東京にしがみつく被曝市民たちが、311当時の「見えないゴジラ」に対する対応が、せめてこのレベルだったら?! せめて360万人だけでも西日本に疎開できていれば?! 暴走するゴジラ=福一のメルトスルーした原子炉群を、放水車で冷却できていれば?! といった反省というか後悔を実写化した?! という感じですかねえ。

人間ドラマがなく、感情が動かず、ゴジラに対する恐怖も湧かない。「えらい変な映画だなあ?」と思いましたが、あえてそうしているとしたら、なんかよくわからないけれど、それが成功した映画でしょうね。

これからやってくる危機への対応において、実際に、ああいう動きができるのか? 危機対応の能力が皆無な上に、戦略的な思考もできず、自らか受け売りかよくわからない妄想の実現に奔走する人物をトップに抱きながら、現実的で先を見据えた対応を生み出せる、変人&変態ワークチームを守り、育てることができるのか?

まあ、ほとんど希望はのこっていませんが、政府のなかの変態さんたちの頑張り、ってノーパンしゃぶしゃぶで、だいぶ、アメリカさんにやられたみたいですが、その方たちの活躍に一縷の望みを託しつつ、我々国民は暴走するゴジラ=安部政権から子や孫の命、良心、精神の健康を守るべく、日々の努力を行いましょう。

ちなみに、東京都知事選で、また懲りずに不正選挙をやったみたいですが、思考停止か脅迫かわかりませんが、負けた方は今回もそこを突っ込まないようですね。グルなのか馬鹿なのか度胸がないのか、よくわかりませんが、、民主主義の根幹である公正・公平な選挙、開票における透明性の確保が崩れて、やりたいように選挙結果の誘導と捏造がおこなわれているのに、それを指摘する者の方を批難して、変人扱いする。

電通という見えないゴジラが、電波メディアと押し紙メディア、さらには自らを虐げる者を何故か擁護するマゾネット右翼を使って、日本の民主主義を蹂躙すべく大暴れしているわけですが、危機対応を行うどころか、日本国民から民主主義と基本的人権を取り上げる方向で、その破壊活動を放置し続ける。

あ、「シン・ゴジラ」のエンドロールにもありました! 「協力 電通」って! 都知事選とのシンクロ率100%、日本の精神界を見えないゴジラが破壊しまくるなかで公開された「シン・ゴジラ」。ありきたりの311メタファーを超えて、制作者の意図を超えた何かを語りはじめる可能性は、、、あるかなあ? 人間ドラマや感情の動きが描かれない、無機質的な造りが、かえって観客それぞれの心のなかの何かを、映画のなかに投影する余地を作っているのかもしれないなあ。

ゴジラそのもののメッセージ、ゴジラそのものへの感情移入よりも、「うまくいったかのように描かれた危機対応」の方に感情移入してしまうということは、やはり、311そのものよりも、放射能汚染に対するその後の対応の方が、日本国民全体のトラウマになっているのかもしれない。福島第一原発の津波・地震対策を怠った当事者が、責任もとらず、謝罪もせず、国会質問の記録をもみけしながら、国のトップに君臨し、原発再稼働と汚染拡大を強引に推し進め続ける! という構図そのものが、非常にトラウマティックだからなあ。加害者が被害者に飴と鞭をふりかざして、黙らせて、虐待を秘密にして、精神的にも物理的にも支配し続けて、最終的には、「お前は、俺がいないとダメなんだ」みたいなところまで持っていく。

心理学的に見れば、そういう児童虐待的な心理過程が、国と国民の間で起こっているとも解釈できるんですが、虐待児が目覚めて、横暴かつ心理操作を行う権力者をぶちのめす日は、本当に来るんだろうか?

我が内なるゴジラを解放せよ! って、そこまで行きますか?\(^▽^@)ノ
Posted by ぶう at 2016年08月01日 09:23
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