英霊になって、骨壺におさまって帰りたい人は、自民・公明・維新に入れよう!: ずくなしの冷や水

2016年07月09日

英霊になって、骨壺におさまって帰りたい人は、自民・公明・維新に入れよう!

2016/7/2にぶうさんから寄せられた投稿を掲載する。引用開始。


なんか、三宅さんじゃないけど、選挙フェスト的なノリで、この国を楽しくするために、選挙に行こう?というコメントが、いちばんしっくりきますね。

英霊になって、骨壺におさまって帰りたい人は、自民・公明・維新に入れよう!みたいなね。というか、年金資金、概算で37兆円、株ですっていて、それで参院選挙前に発表できない?という話ですが、そんな自民に入れる馬鹿がまだいることが、爆笑もんでしょうね。

ここはやはり、ムサシの電子開票不正システムが作動か?で、不正が疑われる結果がでたときに、どう反攻するか?野党さんの中の人たちは、ちゃんと考えているのかな?不正を監視するのもだいじだけど、これまでみたいに泣き寝入りするようだったら、個人的には、『野党もグル?』説、確定ということで、それなりの対処を考えます。

私が言いたいことを、鳥取の奥様がほとんど代弁して下さったので、最後にもっと怪しげなことだけを付け加えておくと、個人の変化、家族の変化、地域コミュニティーの変化、地方自治体の変化、日本の変化、極東アジアの変化、アジアの変化、世界・人類の変化、地球の変化、太陽系惑星の変化、太陽の変化、天の川銀河の変化、銀河団の変化、宇宙の変化、、、。

ミクロコスモスの変化とマクロコスモスの変化。物質界の変化と精神界の変化。

目の前の一つのことを行う時に、そのすべてのレベル、次元の変化を含みながら行うこともできるし、ちっぽけな目先のことだけで行うこともできる。

学校教育やらメディアやらの洗脳で、その可能性すら思い浮かばないようにされているけれど、本来、我々は多次元的な存在であり、霊能者であり、霊視者であり、教えられなくても答えを知っているものであり、宇宙の知恵と一体のものであり、また、母なる地球と直接語り合うことのできる存在だと言うことを、思い出す時なんだと思う。

で、その地球母さんに何度聞いても同じ答えがかえってくるんだけど、地球の未来に、原発はいらないって。いらないものを自分のちっぽけな利益のために残そうとしている人たちに、宣言しておくけど、そんなことを続けていると、あなたの未来の地球での居場所がなくなってしまいますよ。

地球母さんとの共同創造。地球という自然の楽園のガーデナーとして、我々人類は招かれてきているのに、その本来の使命を忘れさせられて、うかうかと26000年?過ごしてしまいましたが、そろそろ本来の仕事に戻らないと、、、

日本の文化のなかでは、地球母さんの意識は、伊勢神宮の外宮の豊受大神様であり、伏見稲荷のウカノミタマノオオカミ様だと理解していますが、その意識は戦争も原発も望んでいませんよ。あべ某が伊勢でサミットを開いたのは、あらゆる意味において、神を冒涜するものであったと。

世の自称霊能者の方々、なんでそれを言わないんですかね?そろそろ目を覚まして、現実に向き合いつつ、神々の本当の意志を降ろして下さいな!演技性人格障害の病人の言うこと、やることにまどわされず、きちんと真理を伝えないと、ハーメルンの笛吹きに連れていかれますぞ!魔界に!

これでいいそうです。アディオス(=^0^=)/
posted by ZUKUNASHI at 23:14| Comment(1) | 社会・経済
この記事へのコメント
最近は、『インターステラー』から始まって、『アバター』、『カウボーイ・ビバップ』、『プラテネス』と、宇宙ものの映画やアニメばかり見ています。というか、朝の5時から夜の8時まで、明るい間は仕事でバタバタ、でも12時から14時までは暑すぎて仕事にならないし、、、で、夜は宇宙で息抜き?

いま、宇宙とか太陽系とか地球とか、大きな文脈で変化が起きていますが、それと連関して、政治、経済、社会の変化が起きています。このとき、どのベクトルで変化を理解しようとするか? 小さな文脈のなかで自己完結する説明や因果関係を探すか? より大きな文脈のなかに、その変化を位置づけ直すか?

目先の変化のために力を尽くすのは大事なことだが、大きな文脈とのつながりを見失わないようにしないといけない。言い方を変えると、目の前の人参のなかに宇宙を見る、って、誰かさんの本のタイトルのパクりですが(≧へ≦)

コメントでダーウィンを取り上げている方がおられましたが、私はラマルキアンの上に、最近はインテリジェンス・デザイナー説に与しているので、ちょっとピンと来ませんでした。

というか、人間は猿から進化したんじゃなくて、宇宙人によって遺伝子操作されて生み出された存在だ、みたいな古代史がディスクロージャーされたときに、『ふーん、なるほどね!』とついていける人は、どれくらいいるだろうか?

まあ、なんせ学校で教えられることなんか、適当なもので、真理など関係ありませんから、新しい仮説を提示されたら、古い仮説や常識は捨てて、どんどん飛びついちゃってください。

大学で教えていたときに、学生が帰納法と演繹法の違いや、相関関係と因果関係の関係についてすら、学んでいない、というか大学までの教師が誰もそれを教えてこなかったことに気づいて、愕然としたことがあります。

思考とは何か? 具体的にどういうふうに考えたらよいのか? 思考による認識の限界はどこにあるのか? 記憶と思考は、どう違うのか? 

こういうことを一切教えずに、『考えなさい!』 そして、教師の想定した解答が再生されたら○、それ以外なら×。つまり、教師の頭のなかでも、記憶の想起と、論理的な思考とが、ごっちゃになっている。

そして、ネットやスマホの時代になって、あらゆる情報をワンタッチで検索し、画面上に投影できるようになって、人々はますます考えなくなっているように思える。

そんな状況のなかで迎えつつある、人類史の非連続的変化。『考えるな! 感じるんだ!』で乗り切れればいいけど(=^0^=)/

プログラムはすでに変化していて、その変化が現実というスクリーンに投影されるまでの、わずかなタイムラグ。いま、私たちは、そこの隙間時間を生きているような気がするんだけど。

画面上の変化と、プログラムの変化、さらにプログラマーの変化。どのレベルでも変化についての説明はできるが、全体の連関を考えないと、全体像は見えてこない。

はて? 何を言いたかったのか? いや、もう、あまり言うこともないんですよね。ウカノミタマノオオカミは、生成化育の神様だそうですが、ずっと変化の原理と技法を追いかけてきて、結論的には、変化は創造のヴァリエーションに過ぎない、治療も改革も、創造によってしか、なしえない!? というところまで行きました。

古い秩序の崩壊に目を奪われるか? それとも新しい創造に注目し、参画するか? 過去の記憶に囚われるか、未来の創造に、自分の思考能力を用立てるか?

決めるのは、あなたです。
Posted by ぶう at 2016年07月03日 22:28
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