医師の中には役割を自覚して汚染地域から逃げようとしない方もいる: ずくなしの冷や水

2016年06月15日

医師の中には役割を自覚して汚染地域から逃げようとしない方もいる

2016/6/14に寄せられたコメントを掲載する。引用開始。番号は管理人が付した。

宮城県在住の医学関係者の妻です。

建築、医療が特需にあり、潤っていることは推測できます。
ただ、一言申し上げれば、それはプロセスの一部にすぎないということ。
今後来るべき道は、都市の廃墟化、医療崩壊ではないですか?@

医療に限って言えば、被爆しながら現地にとどまり限界を超えて働いているのも医師です。A
あえて、危険な状態に身を置き、逃げることもせず、苦しんでいる人を支えています。A
ここで医師が逃げてしまえば、そして次々と死んでいく医師の後継者を育てなければ、瞬く間に医療崩壊です。B

夫はそんな役割を自覚してか逃げようとはしません。逃げたら、患者なみならず、入学してくる医師の卵たちを見放すことになるからです。C

そんな人間もいることを心の片隅にもおいていただけると幸いです。

・・・引用終わり・・・

pyokotanさん こんにちは 重要な問題提起ありがとうございます。

ご指摘のように汚染地域から脱出したい、しなければと考えつつ、そこにとどまって医療を施しておられる方ももちろんおられます。ツイッターでお見受けしますし、ここにコメントを寄せてくれる方もおられます。

@ これから「都市の廃墟化、医療崩壊」が来るというのはご指摘のとおりだと考えます。今の政府のようにすべて被災者の自己責任と投げてしまえば、人々は自分の経済的、社会的な制約の下で自らの責任でとどまるか、去るかを選択させられます。

その結果は、なし崩し的な都市の形骸化、空洞化であり、それとおそらくは並行的に医療崩壊が進むでしょう。

医師の中には、西日本に避難された方も少なからずおられ、特に東日本から移転された開業医には東日本から患者が集まっているようです。

そして、医師自身が先駆けて西日本に避難し、東日本、特に東京で暮らすことの危険性を指摘していることの啓発効果は大きいです。宮城県では、元仙台赤十字病院呼吸器科医師、東北大学臨床教授岡山博氏がブログで情報を発信しておられます。

管理人がとても不思議に思ったのは、岡山博氏が定年退職されたあと、臨床治療や臨床研究の場が与えられなかったと聞きました。仙台の医師の方々は、本当に患者のために有能な医師に活躍してもらおうと考えておられるのでしょうか。

2014年05月03日
仙台赤十字病院呼吸器科医師、東北大学臨床教授岡山博氏のブログ

A、B 「被爆しながら現地にとどまり限界を超えて働いている」医師、「あえて、危険な状態に身を置き、逃げることもせず、苦しんでいる人を支えている」医師がおられることは否定しません。ですが、すべての医師が献身的、自己犠牲の精神で働いているというのは、上の例からしても若干美化されている面があるのではないかと思います。

医師だって居住の自由があるわけで、危険な場所を避けて移動する権利はもちろんあります。

管理人は、上にあげた開業医の方の例のようにむしろ医師が率先して避難、移転したほうが地域住民、国民の啓発に大きな効果があると考えています。

もともと汚染地域で被曝し、発症した方が治療を受けながら汚染地域で暮し続けたら、病と縁が切れることはないのではありませんか。再発あるいは他の疾病の発症ということになりはしませんか。

汚染地域の医療崩壊は必然です。管理人は前々から汚染地域ではいずれ適切な治療が受けられなくなるから動けるうちに動いたほうが良い、と書いてきました。

医師が使命感から住民がすべていなくなるまで、空洞化した都市地域にとどまり続けますか?

自衛隊の医療部隊ならありうると思いますが。

C 汚染地域で医師を目指す学生を育成することには、管理人ははっきりと反対です。若い人を汚染地域に住まわせるべきではありません。医学教育は、全国どこでもできます。仙台の医学生の枠を汚染の少ない地域に再配分すべきです。

最後に、医師の職責を自覚して汚染地域から逃げようとしないご主人様には、心から敬意を表します。

医療関係者がご自分のご家族を犠牲にすることのないよう願っているところです。

・・・・・

この記事については、深い問題が根底にあり、読者に議論参加を呼びかけようかと思ったところでした。ぶうさんから、すかさずコメントが入りました。ぶうさんのコメントを参照しつつ読者各位がそれぞれにこの問題を考えていただくようお願いします。ぶうさんのこのコメントは、日本における福島第一原発事故を巡る社会ダイナミズムを解き明かした論考として歴史に残ります。引用開始。

非常に本質をついた議論が出てきたのではないかと思います。一つは、『あんたも電気を使っていて、原発の恩恵を受けているんだから、とやかく言うな!』の、様々なヴァリエーション。『恩恵を受けていようがいまいが、おかしなことには、『おかしい!』と言わせてもらう』で、個人的には切ってきましたが、どうもそれで黙ってしまう人も多いみたいですね。

もう一つは、自分を犠牲にしてでも、被災者を救いたい! いや、救わなければならない! という救済者的な意識。対人援助職の人を突き動かし、時には燃え尽きに至る動機ですが、しかし、時々、離れた眼で振り返ってみる必要があります。『本当に、援助になっているのだろうか?』と。

もっと言えば、原子力村は、困っている人たちを助けたいという善意の心を徹底的に利用してきた、ということも考えなければなりません。 『食べて応援』で、いったい誰の何をを応援しているのか? 自分や家族を被曝させながら、福島や東北、北関東の農家さんたちを応援しているのか? 確かに、農家さんたちの経営は立ち直り、今まで通り暮らすことはできるかもしれない、チェルノブイリの強制避難地域で。そのおかげで東電の補償金負担は減り、放射能被害を隠蔽、矮小化できるかもしれない。つまり、原子力村の応援なんですね。

医療に関して言えば、放射線障害の診断と健康保険支払いを禁じている下手人を明らかにすべきだと思いますが、放射線障害に対する治療を行わずに、被曝症状への対症療法を行うというのでは、かえって患者さんの苦しみを増やすだけではないのか? パスツール以前、病気の原因は汚れた血液のせいだとされて、弱っている患者から血を抜いて死にいたらしめていましたが、それと同じことを繰り返しているのに、恥ずかしくないのだろうか? 

内部被曝との因果関係を否定して、その可能性すら研究しようとせずに、被曝症状に対するそれ以外の原因を、無数にあげてみせる。 末期がんの宣告を避けて、いろいろな理由をつけて、手術や放射線治療を行い、最後まで隠し通すのと、似ている気もしますが、しかしそれは本当に患者さんや家族の助けになっているのか? 医師や教師をはじめとする対人援助職の人たちにこそ言いたいが、自分の知識と経験に基づいて、自分と家族の命をまもることを最優先していただきたい。

自分が残らないと、汚染地に住む患者さんが困るのではない。あなたが避難して逃げないで、その地にとどまるから、患者さんたちも逃げられないのです。医療が崩壊し、学校が崩壊したら、人は余所に移ります。実際、過疎地や限界集落ではそうなっています。強制避難地域に、今もって人が住んでいるのは、あなた方が知っていながら逃げないからです。

例えば、火事で燃えている家の中で、焼けどを負った人の治療をしますか? 治療より先に一緒に避難するのがさきですよね? 治療は安全なところに避難してから行えばいい。地域全体が放射性物質で燃えているなかで、被曝症状を訴える人たちに対症療法をして、また元の環境、元のライフスタイルに戻す。

『食べて応援はまずいから、少しでも内部被曝を避けるように気をつけなさい』とでもアドバイスするならわかるが、放射線の影響に触れないで終わるなら、家の火事で焼けどした人を治療して、もう一度、まだ燃え盛っている家の中にほうり込むのと変わらないですよね。

治療行為だけ見れば助けていますが、また元の環境に送り込むのでは、治療費をとりながら患者さんたちをじわじわ殺すのと変わりないですよね。自分や家族もじわじわ死んで、残った財産は、国に取られて原子力村の維持広告費に回される。最後に笑うのは、さっさと5億円の退職金を持ってドバイに避難した清水さんや勝俣さんですか? 

自分らを訴えるはずの人たちが、黙って死んでいってくれる。残した財産も、自分らの懐に入ってくる。考えれば考えるほど、いい商売じゃないですか? 

そういう構造もわかっていながら、それでもあえて、汚染地に留まり、無知な患者さんたちに、放射線被曝のことは伏せたまま、援助の手をさしのべ続けますか?

精神科の医師なら当然、知っているはずの概念に、『解決努力』というものがあります。システム論的家族療法で使われる概念ですが、家族の問題を解決しようとする家族の努力が、かえって家族の問題を維持し、問題解決を阻んでいることがある、ということです。

その場合には、治療的介入は、何とかしてその『解決努力』をやめさせて、別の新しい行動や関係性を実現することが目標になります。 チェルノブイリの強制避難地域に該当するような地域に留まり、医療崩壊や学校崩壊、さらには自治体の崩壊を食い止める! という『解決努力』そのものが、住民の避難や被曝回避という、より本質的な解決を妨げているのではないか? 

福島県知事だった佐藤某も、宮城県知事の村井某も、県民ではなく、県を守ろうとした。いや、県を守ることによって、佐藤某は東電を守ろうとし、村井某は経産省を守ろうとした。そして、原子力利権の上に、復興利権を積み上げて、原子力村に国民の税金を還流した。そのための駒として使い捨てにされようとしているのに、さらに医師の卵を育てなければならない? 政府も原子力村も、国民の無知と善意に付け込んできている。特に、善意に付け込んでくる相手に、どう対峙すべきか? 

そういう意味では、日本で対人援助職に携わる方たちのすべてが、その専門性を問われていると言えるでしょう。優しくすると付け上がってくる相手、依存させると、とことん依存してきて吸い付いて離れない相手、そういう相手に対して、どうやって線を引き、自分を守りつつ、相手に分をわきまえさせ、相手を自立させるか?

インパールやガダルカナルが、実際にはどんな状況だったのかは、わかりませんが、玉砕に向かっているという意味では、似たような状況でしょう。ただ、逃げようと思えば逃げられるのに逃げない、避難のタイミングを逃した、という点は違うし、自主的に逃げた人たちへの補給は打ち切られ、逃げずに死に向かって行進を続ける人たちには、手厚い補給が送られる、税金から! という点も違うでしょう。

放射線被曝との戦いが、いつのまにか風評被害との戦いにすり替えられ、西日本だけでなく国外にも汚染食品を売り付けて、被曝戦線をワールドワイドに拡大しようとしている現状。

汚染地に留まり、自分と家族の命を削りながら、医療崩壊を少しでも先に伸ばそうという、英雄的に努力。その努力が、国外にまで内部被曝を拡げようとする、破廉恥な行為を支えていることが、みえませんか?

汚染地の医療崩壊を防ぐより前に、内部被曝の影響をきちんと認めて、対症療法だけでなく、避難や疎開も含めた被曝治療も、健康保険でちゃんと行えるようにするのが、先決ではないですか? それを妨害する者が、日本医学会にいるのなら、その者こそ医学の理念に反する犯罪者です。別に断罪する必要はありませんが、その影響を排して、日本の医療を正常化する努力をしていただきたい。

今の日本の現状において、初期被曝や内部被曝との因果関係を否定して無視することは、感染症の原因としての細菌やウィルスの存在を無視して、汚血や悪魔の憑依のせいにして、しゃ血や悪魔祓をもって『治療』と称するのと、論理的には同じことです。

そして、あなた方も、原子力村の原発安全神話のための、人質になっていることに気づいてください。自分から逃げようとせず、その権威と知識によって、他の人質も引き止めてくれる人質ほど、彼らにとって好都合な人質はいません。

高給と高待遇を与えてくれるかもしれませんが、彼らにすれば、どうせ後で回収できるのだから、安いものです。 放射能汚染地で、被曝症状に苦しむ患者さんを救うために、本当はどうすればいいのか? 医師や教師として叩き込まれた倫理観や使命感から離れて、あなた自身の心身に耳を傾け、家族の顔を見て、自分の直観に基づいて動くべき、最後のタイミングではないでしょうか? 

おそらく、内部被曝の進行と多忙のなかで、冷静に考えることすらできなくなると思います。 崇高な倫理観や使命感に付け込んで、この期に及んでも金儲けのネタにしている人たちのために、あなたの命、家族の命を捨てますか? 

あなたを頼る患者さんたちを、巻き添えにしますか? インパールやガダルカナルから生還した人たちの中には、自分だけが生き残ったことに罪悪感を抱いた方もいたと聞きます。自分が死ぬまで職務をまっとうすれば、そういう罪悪感は感じなくて済むかもしれませんね。

しかし、私なら、無謀な戦略でインパールやガダルカナルに自分を送り込み、戦友を無駄死にさせた張本人をたたきのめしにいきますね。まるで、奥崎謙三みたいですが。
posted by ZUKUNASHI at 01:12| Comment(14) | 福島原発事故
この記事へのコメント
ずくなし様こちらのブログでも以前取り上げていた映画での一台詞。「このまま何もせん方がいい。」歴史上度々繰り返されてきた、滅びの美学。
今多くの医療関係者の心境は、諦めが大部分を占めている。そんな気がしてなりません。

人類は放射能には決して勝てません。そんな事は十分承知の上で、後は寿命と競争だからと、汚染地に踏み留まり医療行為を続ける方。どうしても周囲の人々達を、見棄てられないんでしょう。

でもこれも、一つの日本人らしい生き方なのかとも、最近思いつつあります。
ただ若い人は、やはりこれからなのですから、名誉ある撤退を早めに考えて頂きたいです。


Posted by 閻魔の弟子 at 2016年06月14日 16:41
滅びの美学、おろかな美しさですね。
与えられた命であるならば、生きようとすべきだと思います。
日本人は命を無駄にしすぎる、
と戦後アメリカ兵であった人が当時戦地に赴き生き残った人との交流の場で言っていました。

でも、もしかしたら無意識のレベルで
増えすぎた人口の調整に寄与しているのかもしれない、
とも思っています。

それも必要なことかも知れず、
そういう観点から見れば自然なことかもしれません。

でも、すべての東北の人たちはより原発から離れた場所に移るべき
これもまた自明の理だと思います。
おそらくそして不思議なことにそうはならないでしょうが。
Posted by ゆめの at 2016年06月14日 20:58
非常に本質をついた議論が出てきたのではないかと思います。一つは、『あんたも電気を使っていて、原発の恩恵を受けているんだから、とやかく言うな!』の、様々なヴァリエーション。『恩恵を受けていようがいまいが、おかしなことには、『おかしい!』と言わせてもらう』で、個人的には切ってきましたが、どうもそれで黙ってしまう人も多いみたいですね。

もう一つは、自分を犠牲にしてでも、被災者を救いたい! いや、救わなければならない! という救済者的な意識。対人援助職の人を突き動かし、時には燃え尽きに至る動機ですが、しかし、時々、離れた眼で振り返ってみる必要があります。『本当に、援助になっているのだろうか?』と。

もっと言えば、原子力村は、困っている人たちを助けたいという善意の心を徹底的に利用してきた、ということも考えなければなりません。

『食べて応援』で、いったい誰の何をを応援しているのか? 自分や家族を被曝させながら、福島や東北、北関東の農家さんたちを応援しているのか? 確かに、農家さんたちの経営は立ち直り、今まで通り暮らすことはできるかもしれない、チェルノブイリの強制避難地域で。そのおかげで東電の補償金負担は減り、放射能被害を隠蔽、矮小化できるかもしれない。つまり、原子力村の応援なんですね。

医療に関して言えば、放射線障害の診断と健康保険支払いを禁じている下手人を明らかにすべきだと思いますが、放射線障害に対する治療を行わずに、被曝症状への対症療法を行うというのでは、かえって患者さんの苦しみを増やすだけではないのか? パスツール以前、病気の原因は汚れた血液のせいだとされて、弱っている患者から血を抜いて死にいたらしめていましたが、それと同じことを繰り返しているのに、恥ずかしくないのだろうか? 内部被曝との因果関係を否定して、その可能性すら研究しようとせずに、被曝症状に対するそれ以外の原因を、無数にあげてみせる。

末期がんの宣告を避けて、いろいろな理由をつけて、手術や放射線治療を行い、最後まで隠し通すのと、似ている気もしますが、しかしそれは本当に患者さんや家族の助けになっているのか?

医師や教師をはじめとする対人援助職の人たちにこそ言いたいが、自分の知識と経験に基づいて、自分と家族の命をまもることを最優先していただきたい。自分が残らないと、汚染地に住む患者さんが困るのではない。あなたが避難して逃げないで、その地にとどまるから、患者さんたちも逃げられないのです。医療が崩壊し、学校が崩壊したら、人は余所に移ります。実際、過疎地や限界集落ではそうなっています。強制避難地域に、今もって人が住んでいるのは、あなた方が知っていながら逃げないからです。

例えば、火事で燃えている家の中で、焼けどを負った人の治療をしますか? 治療より先に一緒に避難するのがさきですよね? 治療は安全なところに避難してから行えばいい。地域全体が放射性物質で燃えているなかで、被曝症状を訴える人たちに対症療法をして、また元の環境、元のライフスタイルに戻す。『食べて応援はまずいから、少しでも内部被曝を避けるように気をつけなさい』とでもアドバイスするならわかるが、放射線の影響に触れないで終わるなら、家の火事で焼けどした人を治療して、もう一度、まだ燃え盛っている家の中にほうり込むのと変わらないですよね。治療行為だけ見れば助けていますが、また元の環境に送り込むのでは、治療費をとりながら患者さんたちをじわじわ殺すのと変わりないですよね。自分や家族もじわじわ死んで、残った財産は、国に取られて原子力村の維持広告費に回される。最後に笑うのは、さっさと5億円の退職金を持ってドバイに避難した清水さんや勝俣さんですか? 自分らを訴えるはずの人たちが、黙って死んでいってくれる。残した財産も、自分らの懐に入ってくる。考えれば考えるほど、いい商売じゃないですか? そういう構造もわかっていながら、それでもあえて、汚染地に留まり、無知な患者さんたちに、放射線被曝のことは伏せたまま、援助の手をさしのべ続けますか?

精神科の医師なら当然、知っているはずの概念に、『解決努力』というものがあります。システム論的家族療法で使われる概念ですが、家族の問題を解決しようとする家族の努力が、かえって家族の問題を維持し、問題解決を阻んでいることがある、ということです。その場合には、治療的介入は、何とかしてその『解決努力』をやめさせて、別の新しい行動や関係性を実現することが目標になります。

チェルノブイリの強制避難地域に該当するような地域に留まり、医療崩壊や学校崩壊、さらには自治体の崩壊を食い止める! という『解決努力』そのものが、住民の避難や被曝回避という、より本質的な解決を妨げているのではないか? 

福島県知事だった佐藤某も、宮城県知事の村井某も、県民ではなく、県を守ろうとした。いや、県を守ることによって、佐藤某は東電を守ろうとし、村井某は経産省を守ろうとした。そして、原子力利権の上に、復興利権を積み上げて、原子力村に国民の税金を還流した。そのための駒として使い捨てにされようとしているのに、さらに医師の卵を育てなければならない?

政府も原子力村も、国民の無知と善意に付け込んできている。特に、善意に付け込んでくる相手に、どう対峙すべきか? そういう意味では、日本で対人援助職に携わる方たちのすべてが、その専門性を問われていると言えるでしょう。優しくすると付け上がってくる相手、依存させると、とことん依存してきて吸い付いて離れない相手、そういう相手に対して、どうやって線を引き、自分を守りつつ、相手に分をわきまえさせ、相手を自立させるか?

インパールやガダルカナルが、実際にはどんな状況だったのかは、わかりませんが、玉砕に向かっているという意味では、似たような状況でしょう。ただ、逃げようと思えば逃げられるのに逃げない、避難のタイミングを逃した、という点は違うし、自主的に逃げた人たちへの補給は打ち切られ、逃げずに死に向かって行進を続ける人たちには、手厚い補給が送られる、税金から! という点も違うでしょう。

放射線被曝との戦いが、いつのまにか風評被害との戦いにすり替えられ、西日本だけでなく国外にも汚染食品を売り付けて、被曝戦線をワールドワイドに拡大しようとしている現状。汚染地に留まり、自分と家族の命を削りながら、医療崩壊を少しでも先に伸ばそうという、英雄的に努力。その努力が、国外にまで内部被曝を拡げようとする、破廉恥な行為を支えていることが、みえませんか?

汚染地の医療崩壊を防ぐより前に、内部被曝の影響をきちんと認めて、対症療法だけでなく、避難や疎開も含めた被曝治療も、健康保険でちゃんと行えるようにするのが、先決ではないですか? それを妨害する者が、日本医学会にいるのなら、その者こそ医学の理念に反する犯罪者です。別に断罪する必要はありませんが、その影響を排して、日本の医療を正常化する努力をしていただきたい。

今の日本の現状において、初期被曝や内部被曝との因果関係を否定して無視することは、感染症の原因としての細菌やウィルスの存在を無視して、汚血や悪魔の憑依のせいにして、しゃ血や悪魔祓をもって『治療』と称するのと、論理的には同じことです。

そして、あなた方も、原子力村の原発安全神話のための、人質になっていることに気づいてください。自分から逃げようとせず、その権威と知識によって、他の人質も引き止めてくれる人質ほど、彼らにとって好都合な人質はいません。高給と高待遇を与えてくれるかもしれませんが、彼らにすれば、どうせ後で回収できるのだから、安いものです。

放射能汚染地で、被曝症状に苦しむ患者さんを救うために、本当はどうすればいいのか? 医師や教師として叩き込まれた倫理観や使命感から離れて、あなた自身の心身に耳を傾け、家族の顔を見て、自分の直観に基づいて動くべき、最後のタイミングではないでしょうか? おそらく、内部被曝の進行と多忙のなかで、冷静に考えることすらできなくなると思います。

崇高な倫理観や使命感に付け込んで、この期に及んでも金儲けのネタにしている人たちのために、あなたの命、家族の命を捨てますか? あなたを頼る患者さんたちを、巻き添えにしますか?

インパールやガダルカナルから生還した人たちの中には、自分だけが生き残ったことに罪悪感を抱いた方もいたと聞きます。自分が死ぬまで職務をまっとうすれば、そういう罪悪感は感じなくて済むかもしれませんね。しかし、私なら、無謀な戦略でインパールやガダルカナルに自分を送り込み、戦友を無駄死にさせた張本人をたたきのめしにいきますね。まるで、奥崎謙三みたいですが。
 
Posted by ぶう at 2016年06月15日 00:30
最近の記事を拝読して、思ったことと、当地での出来事をコメントさせてください。

「今は戦時…」と日本人やめさん。おっしゃる通りですね。フクイチ爆発で、直ちに遠方に逃げられず、長期戦を覚悟しながら生活している者にとって、ついつい薄れていく「戦時」という認識。そうでした。我々一般国民は、『大鍋の中の茹でガエル』。
加えて「放射線被害から家族を守ろう!友人知人らに知らせよう!」と頑張るほど孤立し、放射能の「ホ」と言うのさえ憚られるこの国の現実。敵は原発ムラだけでなく、家族やコミュニティの中にいたりもします。原発事故さえなかったら、こんなに家族間で苦しい思いをしなくても良かったのに…と歯噛みすること度々。どうやらこの国では、放射線による健康被害は、存在してはならないことのようですね。診断技術も知識も発揮できないお医者様方は、お気の毒。

さて、当地は中部の地方都市。この夏「大学進学説明会」が開催予定。なんと、東北地方のいくつかの大学主催で、当県内では初の試み。仙台や筑波等に行かずとも大学関係者から説明が聞けたり、進学相談ができたりと、そちら方面に進学希望の学生さんにとっては願ってもない企画かと思われます…が、私の心は千千に砕けるようです。できることならば、大学ごと当地へ移転してきていただけたら…と願うばかり。

とりとめもなく失礼しました。どうか、ご健康に留意されまして、これからも貴重な情報を発信し続けてくださいますようにお願いいたします。
Posted by k at 2016年06月15日 01:58
東京から岡山へ移住された三田医師について、わりと近くに住んでいる夫親の周囲では「医者が逃げちゃダメじゃん」と言う、批判的な意見ばかりだったそうです。
それを聞いた時、違和感を覚えてずっと消化できずにいました。。
ぶうさんのこのコメントを読んでスッキリしました!
また、彼らは三田医師自身の事も、変わり者として囁き噂しているそうですが、そうやって悪く言う事で、移住しない自分を無意識で守っているんでしょうかね。。
ちなみに、、私も放射能汚染を火事に喩えて夫に話した事がありましたが、伝わりませんでした。。
また、話は飛びますが、、我が家の最近のヒットは、各国大使館が東京から関西へ続々と移管している、と言う話に夫が少し興味を示した事です。
ホント、男の人は権威に弱いんですね。
いや、ウチの夫が、ですかね。。(^_^;)
Posted by りえぴん@沖縄 at 2016年06月15日 06:55
人を救う立場にある方が3・11後の日本の実情に気付いている場合、心ある方ならば相当悩まれることと思います。
そうした難しい立場にある方で、今目の前の人を救うか、汚染地を去るか、ギリギリの勇気ある選択をされた方を知っています。
妻子は非汚染地へ避難させました。彼は汚染地にとどまり各地を巡って被曝の被害実態を聞き取り取りまとめ、真実を伝えるための講演を行っています。避難を求める人には避難を、とどまると決めた人には被曝防御の支援を組織的に行っています。被曝を防ぐには移住以外に決定的な方法はないと示しながら。
彼はキリスト教の牧師。
草の根の活動は静かに芽吹き広がってゆく。そう願ってやみません。
私の発言が彼の活動の妨げになりませんよう、そしてずくなしさんのブログ読者の方々に希望を感じていただけたらと思います。(注・私はキリスト教信者ではありません。)


Posted by おじょう at 2016年06月15日 12:21
もう、妨害を恐れている段階ではないです。
働きかけをしている人は、それなりの覚悟でやっているはず。
いつまで頭が働き、身体が動くか分からないのに。
目立たないように活動するのも、爆発炎上を辞さないで臨むのも、各人の選択ですが、知らないところで知らない人が頑張っていると聞かされても慰めにはならない。。
Posted by ずくなし at 2016年06月15日 12:50
医師が避難しようと、残って頑張ろうと、
どちらもありでしょう。
本人の哲学とか人生観で決めることで、
他人がとやかく言える問題ではないのは自明でしょう。
Posted by hiyaase at 2016年06月15日 12:55
ずくなし様。大変ご無沙汰しております。かわうそです。
知人に、震災後福島から家族で移住してこられた40代半ばの医師がおります。
彼は今も隔週ごとに福島へ診療支援に行っていますが、最後に会った昨年末には白髪が目立ち、急に老け込んでいたので驚きました。周囲にいる同年代医師に比べ明らかに老化が速いと思います。
本人が気づいているのか訊くことはできませんでした…。
ただ、以前聞いた話では福島に留まることは子供のことや妻のことを考えるとできなかった。それでも、医師として「移住できない、しない」で残っている患者さんをなんとか看たいという思いで今も通っていると話していたのを覚えています。

医師を志す若者が、被爆に対して鈍くては将来医師免許は取得できても、有能な医師になれるかどうかは疑問です。
目の前で起きている現状、現象を受け入れず理解しようとしない人はすでに科学者ではないと思いますから…。
Posted by かわうそ at 2016年06月15日 17:08
こんにちは
ぶうさん なかなか本質をついたよいコメントですね。
私も もやもやがとれました

今の時代はいかに放射能をかわす生き方が試されているサバイバル、
知識のないかたや、お人好しから淘汰される恐ろしい世の中

その原因の一つとして 福島第一原発事故の放射能もれがあるという
事実を忘れないことと
死の灰と致死性ガスがもれているという事実をちゃんと認識することなのでしょうね。

ジョークを踏まえ 三原則をかいてみました。

「被曝三原則」

1.食べて応援 (TOKIOは汚染食品をもう食べてない疑惑があります)
2.現地に行って応援、そこにふみとどまって応援
3.地産他消 (汚染地で生産、非汚染地で消費)


その反対が 「核汚染サバイバル」 「ステルス核汚染サバイバル」

1.汚染地の物を食べないこと
2.汚染地から逃げること (立ち入らないこと)
3.汚染地の食材や物を拡散しないこと (汚染食品を拒絶すること)
Posted by とおりすがり at 2016年06月15日 17:49
ぶうさん、やつと日本は、世界一の原子力事故を処理する技術を持つているロシアに頼みました。70年の技術の蓄積とチェリャビンスクとチェルノブィリの核爆発事故の経験をもつたロスアトムの子会社TENEXです。日本人は、バカですよ、6年間技術も経験もないバカな日本の会社に頼んだのが、失敗でした。救えた命の数は巨大ですよ。はじめからロシアに頼めばよかつたのに。
Posted by 西 亨 at 2016年06月16日 12:51
とうとうロシアからの申し出を受けましたか。
安倍は1つだけ善いことをしましたね。
そういう時代なのかなあ。
Posted by hiyaase at 2016年06月16日 14:09
いやいや、いつも安倍さんをディスっていますが、これは評価せんといけんですね。ちゃんと動き出せばの話ではありますが。

昨日は、なかなか寝付かれなくて、やっと寝れたと思ったら、夢のなかでも寝ていて、布団のなかに蛇みたいな生物が数匹、潜りこんでくるので、『まあ、毒蛇じゃなければいいか?』と思いながら放置。そのあと、夢のなかで目が覚めて、確かめてみると、でっかいニホンオオウナギと、ピラルクの子供でした。

そのあと、現実に目覚めてから、『変な夢! というか、やばい夢ちゃうん?』と思いながら、『でも、ニホンオオウナギだからいっか!』ということにして、朝からバタバタしていました。大きな地震の前には、変な夢を見るので、『まさかね、鯰じゃなくて鰻だし』と思っていましたが。

皆さんも、ウナギの夢を見たら、要注意です!?
Posted by ぶう at 2016年06月16日 20:49
庇をお借りして、よくわからんことを書いていますが、どうもいろいろなものが、夏至の満月を前に始まりかけているようで、変化をごまかしたり先送りするためのディスインフォメーションを見分けながら、変化そのものの予兆を見て、動いていく必要がありそうです。

変化、もっと言えば『変曲点』、ベクトルの向きが変わるポイントこそが、『情報』です。野外で仕事をしていると、雨の直前に、ビミョーに風が変わり、空気に雨の匂いがまじる瞬間がわかります。土地によりますが、それで『2時間後には振りはじめるから、濡れたらまずいものは先に片付けておこう』となります。

半日前、あるいは一日前のスパンでも風が変わるので、『明日は雨だなあ』という予報も可能です。そういう意味では、風の変化が、最低でも2回あるわけです。

今朝は、久しぶりに大学に教えに行く夢を見たんだけど、どこで何を教えたらよいのかもわからないまま、『先生、こっちこっち!』と誘われるがままに入った教室は、隣の教室と筒抜けで、『まず、壁をなおさんといかんでしょう』みたいな。その後、これまた久しぶりに瞑想の呼吸法を始めたので、そろそろ心の準備をしろ! ということなんでしょう。

この2、3日で、雨の直前の風の変化のようなものを感じたので、個人的には注意深くアンテナを張ってあるところです。変曲点というよりは、現象化が始まりかけているという感じなんですが、それが何かはよくわかりません(>w< )

Posted by ぶう at 2016年06月17日 08:21
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