@ 2011/03/31 14:02 【共同通信】
20キロ圏に数百〜千の遺体か 「死亡後に被ばくの疑い」
福島第1原発事故で、政府が避難指示を出している原発から約20キロの圏内に、東日本大震災で亡くなった人の遺体が数百〜千体あると推定されることが31日、警察当局への取材で分かった。27日には、原発から約5キロの福島県大熊町で見つかった遺体から高い放射線量を測定しており、警察関係者は「死亡後に放射性物質を浴びて被ばくした遺体もある」と指摘。警察当局は警察官が二次被ばくせずに遺体を収容する方法などの検討を始めた。当初は20キロ圏外に遺体を移して検視することも念頭に置いていたが、見直しを迫られそうだ。
警察当局によると、高線量の放射線を浴びた遺体を収容する際、作業する部隊の隊員が二次被ばくする可能性がある。収容先となる遺体安置所などでも検視する警察官や医師、訪問する遺族らに被ばくの恐れが生じる。
遺体は最終的に遺族か各市町村に引き渡すことになるが、火葬すると放射性物質を含んだ煙が拡散する恐れがあり、土葬の場合も土中や周辺に広がる状況が懸念される。
警察当局は現場での除染や検視も検討しているが、関係者は「時間が経過して遺体が傷んでいるケースは、洗うことでさらに損傷が激しくなり問題だ」と指摘している。
身元確認のため、遺体から爪だけを採取してDNA鑑定する方法もあるが、爪も除染する必要があり、かなりの手間と時間がかかるという。
27日に、大熊町で見つかった遺体は、除染が必要な基準の一つである10万cpm(cpmは放射線量の単位)まで計ることができる測量計の針が、振り切れる状態だったという。このため福島県警の部隊は遺体の収容を断念している。・・・引用終わり・・・
A 福島第一原発事故直後の周辺MPの空間線量率測定値
縦軸単位nSv/h、福島県公表資料から管理人作成。

元記事福島第一原発事故後 1ミリシーベルト近いプルームが近傍を次々と襲っていた
B 2011/3/27、大熊町地内で被爆遺体が確認された。
2011/3/27時点、福島県警公表写真。

元記事は2011/3/27福島県警の大熊町地内被爆遺体確認地点
2011/3 大熊町地内遺体発見地点の衛星画像
次の避難指示区域の図の★印が確認地点。共同利用の農機の保管施設です。ここの屋外作業場兼駐車場が広く、ここに自動車を置いて避難した人がいました。遺体発見現場は、屋外作業場兼駐車場の奥に入ったところです。農機の搬出に来たのか、盗難防止に来たのか、あるいは駐車した自動車を取りに来たのかは不明です。この施設の脇に自転車が1台残っています。

次の記述もネットで注目されました。例えばここで全文を見ることが出来ます。10万CPMは、被曝遺体の除染を要する基準です。

この記事の末尾にある国の通達文書によると、表面汚染検査計がない場合、1m離れた場所で10μSv/hあれば衣類脱着とされていますから、表面での10万CPM=1m離れた場所で10μSv/h と推定できるとの見解です。
上のMPのグラフで、2011/3/12の日中にはすでに空間線量率10μSv/h、夜にかけては100μSv/h近くを示しています。周りに放射性物質の沈着はまだ進んでいないと見られますから、空気だけで10μSv/h以上出ています。衣類表面に付着した場合には衣類を除去しなければならないほどの放射性物質濃度の空気を呼吸していたわけです。
空間線量率が0.32μSv/hを超えれば、軍隊は兵士を撤退させると言われます。10μSv/hはその31倍です。

元記事は、2011/3/27大熊町で被爆遺体確認 関係情報
大熊町の双葉病院では、避難が遅れた患者の中に死亡者が出ています。
「原発近くのオフサイトセンターでは陸自の幹部が焦っていた。救出担当部隊から「双葉病院にはまだお年寄りがいる」と連絡があったのに、行政の職員は「県警から避難は完了したと聞いている」の一点張りだったからだ。15日午前に病院に行くと、院内各所に寝たきりの患者がおり、異臭に包まれていた。」
この行政の職員が県庁の職員か役場の職員か不明ですが、「県警から」と言っていますから県庁職員のことでしょう。
そして、2011年4月6日、県警が双葉病院で患者4人の遺体を発見しています。2011/3/15の第3陣避難に決死の出動に踏み切ったのは自衛隊です。存命の方を置いていくはずはありませんから、これらの方々は、3/15の時点ですでに絶命しておられたと見られます。
大熊町双葉病院問題に思う
C 避難指示区域
○平成23年3月11日 福島第一原発の半径3km 圏内に避難指示
福島第一原発の半径3km から10km 圏内に屋内退避指示
○平成23年3月12日 福島第一原発の半径20km 圏内に避難指示
福島第二原発の半径20km 圏内に避難指示
上に図面を掲げた。20kmというと西にかなり遠くなる。
避難指示区域になると、入ることは出来ませんが、前から中にいた人は隠れて居続ける人もいます。
※ Akira Tsuboi @1876to1945 氏の2015/9/25のツイート
ー「逃げないで”隠れてる”ひとがいた。わたしみたいに、”いるよ”って正々堂々やってるんじゃなくて、隠れてたのね。(自分:なぜ?)いや、それはもう、。そのまま居たかったんでしょ。なんか心理的にそういうのもあるみたいなんですよ。ある社長さんなんかは『おめえら騒ぎ過ぎんだッ』なんてー
ー「言ってマスクもしないでそこに居ましたからね一番高い時に逃げないで。うちの後ろのおばあちゃんなんかもテレビ使ってたんですよ。それでもいるんですよ。いるのは分かってるんですよ。気配で感じますから。”なのに”隠れてるんですよ、わたしがいったら。そうやって出てこないひともー
元記事双葉病院事件から見えるもの 公務員だって命が惜しい 県庁の情報かく乱が目立つ
そういう方が、用事で外に出たときに強力なプルームが襲えば、被曝で死ぬということが出てきます。双葉病院の場合は屋内です。
県警は、大熊町内の農機具保管施設で発見された御遺体を2011/4/1に回収しています。
2011年05月20日付けの河北新報ニュースは、「県警や警視庁が、南相馬市の南部や楢葉町など原発10〜20キロ圏で、本格的な捜索を始めたのは4月7日のことだ。大熊町や浪江町請戸など10キロ圏内の捜索の開始は14日まで遅れた」と伝えています。
県警が双葉病院で患者4人の遺体を発見したのは、2011/4/6ですが、2011/3/28には、福島第一原発から20km程度ほど南に離れた楢葉町で警察官が一軒一軒安否確認して回ったようです。

【意見映像】福島の小学生が急性放射線障害で死亡した? からの切り取り画像。
D 冒頭に引用した共同通信の見出しに「死亡後に被ばくの疑い」とあります。これが正しければ、衣類の表面に放射性物質が10万CPMも付着する前に絶命したことになります。一人だけのことなら、病死した後に被曝した例も考えられるでしょうが、複数人が被曝の前に死亡したのだとすると、死亡原因は、放射性物質が衣類に沈着、付着する前に生じたということになります。
管理人の考えは、福島第一原発事故では、ベントの前に放射性物質が漏れてきてMPの値を大きく押し上げています。最初に漏れ出すのは、希ガス、ヨウ素です。セシウムもあるでしょうがヨウ素が多いはずです。
特に強力な点線源、面線源もないのに空間線量率が10μSv/hも出るような空気を吸ったら死ぬ人も出るということではないでしょうか。
次は、2011/3/15の福島第一原発から北西と南にあるMPの測定値の推移です。

福島第一原発にごく近いところを除くと、いわき市で3/15の午前2時から4時にかけて18μSv/hから23.72μSv/hの高い値を記録しています。他には北茨城市で5.58μSv/h、高萩市で4.47μSv/h、那珂市で4.88μSv/h、ひたちなか市で4.42μSv/hなどもあります。
一方福島第一原発の北西方向の福島市では夕刻から20μSv/h以上の高い値が続きました。こんなに高い値が続けば、被曝により短時間で亡くなる方が出ている恐れがあります。
次はいわき市の月別の死亡数ですが、2011/3が特に大きくなっていることが分かります。福島県、茨城県などでは、2011/3にその年の死亡数のピークをつけたところが少なくありません。

福島第一原発のごく近いところで被曝で死亡する方が出たことは想像に難くありません。
なお、福島市も高い値が出ていますが、福島市は3/15の午後になって降雨が始まっています。3月半ばの火曜日の夕刻ですから屋内にとどまっていた方が多かったでしょう。
それに、プルーム襲来時に降雨があると、放射性物質が雨滴に付着します。細かい雨滴であればガンマ線は減衰しませんから空間線量率は下がりませんが、吸気被曝は大きく抑制されます。霧雨でもそれを深く吸い込む人はいません。
この二つの要因で、福島市では死亡数の増え方が抑制されたと管理人は見ています。
この日の那須地方は霧雨でした。東葛地方に濃厚汚染を生じた3/21のプルームは濃度が特に濃かったと見られ、大気汚染測定用のフィルター分析結果からはそのように判断できます。これらの降雨地域は、雨滴による洗脱で濃厚汚染が生じましたが、吸気被曝が抑制されたことは間違いありません。
福島第一原発事故時 近傍市町の避難はこんなふうに進められた
大熊町の避難はうまくいったのか
25万都市に全市避難指示?! そんなのは無理です 運を天に任せて諦めてもらうしかない
E 以上のところから、管理人は、福島第一原発事故により放出された放射性物質を主として吸入したことにより亡くなった方は少なくないと判断しています。プルームの襲来から絶命するまでの時間は、数時間の場合もあれば、数日の場合もあるでしょう。
福島第一原発事故後、比較的短時日で亡くなる方も少なくなかったようです。救援活動に出た自衛隊員には、高線量の御遺体があることは認識されていたようです。
初期吸気被曝が大きかったところでは、5年経過した今なお、死亡数の伸びが相対的に高いところが見られます。数日、数ヶ月、数年経て命を落とす方もおられるのです。
2011年に3月が死亡数最大となった小選挙区 初期吸気被曝の多寡がその後の健康被害に大きく影響
そのような考えから、冒頭の共同通信の記事は、根拠のないものではないと考えています。ただ、「20キロ圏に数百〜千の遺体」とありますが、数百で千まで行かなかったのではないかと考えています。
次の国の通達文書では、「年間1000体分実施したとしても被曝線量は5mSv/年を下回る」との記述が見られます。
この通達は、福島県内の行政当局にとどまらず全国に発せられています。これは、御遺体の火葬を他の県に依頼して行わざるを得なかったためです。北海道の道東地方では一時福島の家族の催す葬儀が多かったと読者から聞いています。受け入れ自治体の不安解消も意図したものと見ています。
国の通達文書
平成23年3月31日付け 厚生労働省健康局生活衛生課長から都道府県衛生主管部局長宛
「東京電力福島第一原子力発電所災害に係る避難指示区域内の御遺体の取扱について」
(初出 2016/5/24 追記5/25)
もう5年…
続けてくださってありがとうございます。
@の遺体のことですが、
http://www.iza.ne.jp/topics/events/events-9274-m.html
http://www.rbbtoday.com/article/2011/04/04/75764.html
「GReeeeN」のメンバーのひとりが身元特定作業に参加しました。
彼らは福島県内の歯科大生で、
当時も福島県に住んでいたと記憶してます。
この時も、え!こんなに早く!と思っていましたが、
今見ても4月という時期には驚きますね。
こんな早い時期で、遺体の汚染は下がってたのでしょうか。
綺麗事になっていてなんだかなーなんですが、
その後、死亡原因については見たことはありません。
この件とは全然違うのですが、
口の中に出来る血豆ですが、
どんなタイミングでできているか教えていただけませんでしょうか。
私は、2度出来て、
それは、ドイツのクッキーと原料が九州産の煎餅を食べているときでした。
それ以来どちらのものも避けているのですが、
口で咀嚼してる間に出来てしまうものなのでしょうか。
勝手なお願いで申し訳ないのですが、
ご存知でしたら教えていただけませんか。
どうも固いとんがったものの刺激が血豆の原因のようで、煎餅でもクッキーでも唾液の水分を含んで柔らかくなれば、その咀嚼中に血豆が出来ることはないのではないかと思います。そうでないと、おにぎりを食べても血豆、肉を食べても血豆ということになるはずです。
このように考えますが、固いとんがったものが軽く口の中の粘膜に触った、押したくらいで血豆のできるメカニズムが謎です。
ただ、口の中に血豆のできる人は、粘膜などが過敏になっているということはあるのかもしれません。原因としてはやはり被曝を疑っておいたほうが良いかも知れませんね。
やはり血豆ができたものは用心の為にも食べないようにします。
私は体質的には軽くカナリアだとは思います。
食べるものはできるだけ西日本や海外のものにしても
福島にいたときの蓄積なのか、新しく取り込んでしまったものかわかりませんが、
背中がズキズキするときがありますから。
(この症状は、紹介されて大学病院までいきましたが、話の流れで福島から来てることを言ってしまったせいか、
気のせい扱いされて何もしてくれませんでしたが^_^)
日本で安全な食べ物をいつまで入手できるか、考えると暗くなってしまいます。
煎餅が食べれなければ人生の価値がなくなるわけではありません。
@ 西日本産だって偽装やらいろいろあるので安心できません。ウランやストロンチウムの汚染状況が分かりません。西日本も汚染があるはずです。
A 福島のどこにおられたか分かりませんが、セシウム以外の核種にも気をつける必要があります。
B 米国産、欧州産はできるだけ避ける。南半球産食品を主体にする。
C 病院にかかる際は、聞かれなければ福島にいたこと、被曝のことは話す必要はありません。対症療法では化学物質の毒物の影響がある場合は解毒措置をするかもしれませんが、放射性物質に関してはそれはありません。被曝のことを話すと医師がビビルだけです。
ほかにも深刻な悪いところがあるかもしれないと心配するでしょう。よほどできる医師でなければ積極的に難しい症状には取り組まないと思います。
昨年夏には皮疹も。2日程様子を見たのですが足の甲から少しずつ範囲が広がってきているのを見て受診。血液検査特に異常なし、アレルギーテスト全て陰性でした。私は被曝の影響を疑っていましたがホ≠直接言葉に出せばDr.が避けるだろうと思い「先生、例えば環境汚染などの影響で皮疹が出るというのも考えられますか?」と(あえて)尋ねた所、「…ないとは言えないですね」とやんわりと遠回しな回答が返ってきました。皮疹は軟骨塗布で3日間で症状消失しましたが…。
体の反応あってこそ気づかされるという出来事でしたが、自己管理の甘さにも同時に痛感させられます。
又、最近は都内在住の友人から「最近やたらと眠い。私グータラなのかな?気管支炎流行ってるみたいだから気をつけてね」といったメールをもらいました。ですが昨年の夏、私が放射能について触れた(お節介ながら注意を呼びかけた)直後に千葉の海水浴場へ家族ぐるみで遊びに出掛けていた様な人なので…。
そういえば、大人子供問わず骨折で片腕に包帯巻いて歩いてる人を最近見かけてます。立て続けに見かける、それだけ増えた…という事でしょうね。又、新築一戸建て工事があちこちで見られる一方で、空き家も増えて来たのに気がつきます。新規入居者が中々決まらず家賃下げても空室状態のままな賃貸など。この様に健康被害(の影響)でもって集合住宅の場合、事故物件(事故扱いの範囲はありますが)も増えていくのかも知れませんね。心筋系の場合、火災に繋がる恐れもあるなと思ってみたりします。
ご丁寧にありがとうございます。
食品は気にしていて、お米は農家より直接購入、
野菜は地元産のもの〜と頑張ってます。
魚もほとんど食べないですし、
原発爆発前はお惣菜も大活躍してくれてましたが、
今では買わなくなりました。
我が家の食卓はホント寂しい限りです。
大好きだったお菓子も今は本当に我慢しまくりなんで、
偶々、スーパーで食べれそうなお煎餅見つけ、
嬉しくてバリボリしてたら血豆が…なんです。
ただ欧州が未だに汚染がひどいとは思っていなかったんですよね。
被ばく回避は難しいです。
体調もご心配おかけしてしまったのかもしれませんが、
今のところ良好です。幸いにも、こちらでは甲状腺とかを見てくれる病院もあるんですよ。
放射能だけでなく、添加物とか遺伝子組換えとかも避けていたせいか
軽くカナリア体質になったようで、WiFiなんかで頭痛を感じるようになってるんです。
子どもにさえ、気のせいと言われてますが…
福島にいたときもいろいろ放射能を身体で感じていましたが、
2011年、外部被ばくで怖い思いをしたことがあります。
大雨の日に車で停車していたときに、何かが落ちてきたんです。
車の上に。それが雨で下に落ちるのが、身体でわかるんですよ。
で、心臓の辺りに来たときに、軽くウッとなったんです。
ホントに軽く、一瞬ですが、心臓が止まるというか息がつまるというか、
ウッとなったんです。
原発から70キロ位のところでした。
内部被ばくは勿論ですが、外部被ばくも怖いですよ。
放射線影響研究所で、被ばくによる脳卒中と心臓病のリスクの増加を近年認めてるみたいですね。
白様
やっぱり、お煎餅かもしれませんね。
お米の産地偽装は、原発事故のずっと前からあるのは聞いていたんです。
落とし穴に気をつけて生き抜きましょうね。