黄色い粉、白い粉は強いベータ線源であったことは確実 関西にも降下している: ずくなしの冷や水

2016年02月20日

黄色い粉、白い粉は強いベータ線源であったことは確実 関西にも降下している

妻が奈良で被曝、夫婦で相談すぐ決断して行動へ 鹿児島へそして沖縄へ」を投稿してくれたまみさんから、2016/2/20、追加の情報提供があった。原文のまま引用開始。


ずくなしさま、2月15日に被曝体験記を取り上げていただきました、元奈良在住のまみです。 大勢の人に目を通していただけたかもしれないと思うと、勇気を出して思い切って綴ってみてよかったと思いました。 ありがとうございました。

みなさんの「黄色い粉」の目撃情報を読んで思い出したことがありました。 2011年の気象庁のデータを調べてみたところ、2011年の奈良県の桜の開花日は3月31日で、満開日は4月8日となっておりました。

その頃私は1歳になったばかりの子供を連れて、天気さえ良ければ毎日散歩をしていました。 その頃の散歩コースは、地元では有名な桜の並木道だったのでしっかりと覚えています。

自分の感覚で「まだまだ三分咲きだな」と思った日のことですが、子供をベビーカーに乗せてゆっくり押しながら歩いていたところ、普段はじっと景色に見入っている子供が、突然ガードレールを右手でガシッと掴んで離さなくなったことがありました。

ガードレールを見てみると、うっすらと細かい埃のような、淡いベージュがかった粉のような物質がついていました。 ちょうど、黄砂がやってくるとTVで盛んに言われていた時期でしたので、これが黄砂なのかな?と思いながら、 (私は東北出身で、東京にも十年住んでいましたが、黄砂というものを見たことがなかったので) 「お外はホコリで汚れているから、物に触っちゃだめよ」 と言いながら、ガードレールをギュッと掴んでいる子供の右手を離して、すぐにウェットティッシュで手を拭いて、家まで連れて帰った、という記憶が蘇ってきたのです。

問題は帰宅後です。 家に連れ帰った後、子供の手を洗おうと思って洗面所に連れて行き、なぜか子供が握りしめていた右手を開いてみたところ、5mm前後の透明の体液が入った小さな水ぶくれが、手のひらにびっしりと無数にできていました。 手のひらのみで、指にはできていませんでした。

一瞬、汗が皮下に溜まる「汗疱」を疑ったのですが、こんなに手に汗をかくほど暑くはなく、むしろ少し肌寒いくらいで説明がつきません。 もう一方の左手は何ともないのです。

本人は不思議そうな顔で水ぶくれを眺めていて、赤みも見られず、触っても特に痛くも痒くもなさそうな状態でしたので、しばらく流水でよく患部を冷やした後、様子を見ようとそのままにしておきました。ニ週間ほどは水ぶくれがありましたが、やがて自然に治っていきました。

治った後で、あれはガードレールに何らかのα線やβ線を出すような放射性物質が付着していて、極めて軽い一種の熱傷を起こしたのでは?、と疑いました。 桜の開花日から考えると、4月2 〜5日頃ではなかったかと思います。

それから、体験談に記した、私自身が猛烈な体調不良を起こした原因の雨水を飲み込んだ日ですが、スイスの気象局による放射性物質の拡散予測で、2011年5月の第一週に、福島から関西方面に気流が流れるので要注意という記述をあちこちのサイトで見かけた記憶があります。 当時のカレンダーを見返してみたのですが、2011年5月4日(水)の午後の散歩時に、大気がとんでもなく金属臭いと感じました。 住んでいたのは奈良市内でしたが、街全体を包む大気が、金属を加工する鉄工所のような、鉄が焼けるような異常な臭さだったのを感じたのです。

チェルノブイリの記録を色々と読んでいて「金属くさい」という表現が多々あった記憶があり、ああ、とうとう関西にも放射性物質を含んだ大気が到達したんだなと考えました。

翌日の5月5日(木)は、主人が夜勤明けで帰宅し、睡眠をとった後の午後3時頃、親子三人で散歩に出かけました。 本当は放射性物質が来ているのであれば、外出は避けるべきであることは重々承知していたのですが、子供が散歩に行きたいとごねてかなりぐずって対処に困ってしまい、ほんの短時間だけなら、と15分ほど外出してしまったのでした。 今考えるとなんて愚かなことをしてしまったんだろう、と…。 ある程度の被曝の知識があったにも関わらず、でも結局は「ここは遠く離れた関西だから…」という驕った気持ちが勝り、油断を招いたのだと深く反省しております。

散歩前から雨が降りそうな怪しい雲行きだったのですが、やはり15分も経たぬうちにポツポツと大粒の雨が降り始めました。 本当にあと数歩で家の入り口というところで、落ちてきた大粒の雨粒が不幸にも偶然口の中に飛び込んできてしまい、あまりにも衝撃的な金属の味が一気に口中に広がり、驚きのあまり吐き出すこともできずに、ゴクンと飲み込んでしまった次第です。

あれはやはり、飛んで来ていた大気中の放射性物質が含まれた雨水だったと思うのです。 子供がガードレールを触って手に水疱ができたのが4月2日〜5日頃、私が汚染されたと思われる雨水を飲み込んだのが5月5日、体調を崩したのが翌日6日〜です。 参考になりましたら幸いです。

・・・引用終わり・・・

前回もそうだが、まみさんの文章表現力の高さに驚く。そして同時に、生活面での観察や配慮も行き届いていることを感じる。

まみさん、今回もありがとうございます。前回の投稿に触発されて多くの方が新しい情報を寄せてくれました。

お書きになった中で下線の部分は、お考えのとおりで間違いないのではないかと管理人は考えます。ベータ線源だけでなくアルファ線源もあったかもしれませんが、皮膚に直接付くと、水ぶくれが生じるというのは、多くの方が体験して報告しています。

火傷と同様に患部を流水にさらしたことは、被害を最小限にとどめる上で有効でした。このことにより放射性物質が洗い流されたはずです。

まみさんご自身の内部被曝の原因となったと見られる雨滴の一滴。降り始めの雨には特に放射性物質が多量に含まれますが、上空の大気にはかなり高濃度で放射性物質が浮遊していたと推定されます。

読者から、東京で2011/3/23に白いものが付着した傘を水道水で洗った際に直接手には接していないはずなのに、その後手の皮膚に障害が出たとの話も寄せられており、その例も考え合わせれば、雨水が内部被曝の原因と見て間違いないでしょう。ほんのしぶきの一つでも異常が生じうる可能性が否定できないわけですから。

中京以西も安全ではない、場所と時間、それにその際の生活行動によっては、強い初期被曝を受けたおそれのある方も少なくないはずということを前提として、体調異常を見ていく必要があるということが分かりました。

まみさんのご投稿が、管理人にとって大きな転換点になりましたし、西日本の方に警鐘を鳴らすことができたと感謝しています。
posted by ZUKUNASHI at 12:11| Comment(3) | 福島原発事故
この記事へのコメント
>>読者から、東京で2011/3/23に白いものが付着した傘を水道水で洗った際に直接手には接していないはずなのに、その後手の皮膚に障害が出たとの話も寄せられており、その例も考え合わせれば、雨水が内部被曝の原因と見て間違いないでしょう。ほんのしぶきの一つでも異常が生じうる可能性が否定できないわけですから。


上記引用の通り、はい。私です。先日の雨でも傘を洗いました。あれ以来、傘が濡れるといつも帰って傘は洗います。
実験でも洗って再現しましたが、仰るように、手の甲にしぶきが少しは付きます。足の甲は洗う場所が、バスタブの中か外かで違いますが、上下肌着だけの格好で洗いますから、外で洗うときは足の甲も少しだけ濡れます。腕の下部のほうも少し濡れるときがあります。

たいてい、出血するのは手の甲でしたが、その次は足の甲でした。いきなり出血に気付きますが(2011年は2011/3/25など3回)、まみさんの書き込みを見て、調べましたら、水疱が出てから出血した記録もありました。いつも水疱が出ていたのに気付かなかったのかどうかは不明です。

2012/9/19 左手甲に水疱。こすると潰れて赤くなる。水疱は1個所。赤い噴火口は4個所。噴火口が穴が開いて、周囲に山腹が。

Posted by hiyaase at 2016年02月20日 13:04
http://www.chunichi.co.jp/article/front/list/CK2016021902000263.html


ずくなし様今日は。
5年経つと色々出てきますね。
ベントが成功、って、何か私には凄く違和感感じますが…



Posted by 紫禁城の黄昏 at 2016年02月20日 14:00
私は手の甲の出血から始まって、2013年、2014年春まで、いろいろ苦しみましたが、少しずつ克服して今は全部治癒。
排出は諦めずに。根気ですよ。
Posted by hiyaase at 2016年02月20日 21:53
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