妻が奈良で被曝、夫婦で相談すぐ決断して行動へ 鹿児島へそして沖縄へ : ずくなしの冷や水

2016年02月15日

妻が奈良で被曝、夫婦で相談すぐ決断して行動へ 鹿児島へそして沖縄へ 

2016/2/15に寄せられた投稿を掲載する。引用開始。

ずくなしさん、いつも本当にお世話になっております。 当方、原発爆発後、3ヶ月で沖縄に移住した者です。 40代半ばの夫婦に、5才の子供が一人の三人家族です。

事故後、奈良➡鹿児島(2年)➡沖縄(3年目)と移住した経験をお話しします。 少し長くなりますが、今からでも移住を考えていらっしゃる方の参考になればと思います。

2011年の爆発時は奈良県在住でしたが、5月初旬に関西方面にも放射性物質を含んだ気流が流れてきました。 (スイスの予報を毎日欠かさずチェックして、覚悟していましたが) 当時、電車の運転士だった主人は5月を過ぎたあたりから鼻血をよく出すようになりました(それまで全く出したことがない)。

子供を産んで一年経過し授乳中だった私は、散歩中に夕立に襲われた際に誤って雨水を口にしてしまい(錆びた釘を百本くらい浸けて放置したような、他に例えようがないほどもの凄く金属味の雨)、直後から、猛烈な体調不良に襲われて、一ヶ月半寝たきりの状態になりました。

ぶつけていないのに青アザが下半身にいくつもできて、髪の毛が毎日ごっそりと抜け、歯が痛みもなく、何の前触れもなく突然欠けたり抜けたりしました。

経験したことがない異常なだるさで起きていられず、授乳以外は死んだようにコンコンと眠っていました。背中に大きな岩を背負ったようにとにかくだるいのでほぼ寝たきりの生活になり、トイレのために起き上がるのもかなりの苦痛で、本当に廊下を這ってトイレに行きました。

一日に粘膜が出るような下痢を何度も繰り返し、体力がみるみる落ちて死を覚悟しました。 あまりにも急激かつ猛烈な体調の悪化に家族も大変心配し、病院で検査を受けましたが、白血球の値が僅かに高いだけで他に異常が見られないと言って、結局原因不明。

医学的に認められることがなくても、長年付き合っている自分の身体のことですから、これは間違いなく放射性物質による体内被曝だろうと夫婦で結論を出し、関西にいてもこの有り様ではまだあまりにも幼い我が子の将来が考えられないということで、家族の健康を最優先することにして早々に移住を決断しました。

元々どんな天災が起きるか分からないこの日本で、長期のローンを組んで家を買うということにかなりのリスクを感じていましたので、貸家住まいでほぼ無借金という家計も身軽に動けた要因の一つです。

元自衛隊の主人は素早く対応してくれて、安定した職場をすぐに退職し、住宅の手配・引越業者・移動などの手配をし、素早く荷物をまとめて6月下旬に九州・鹿児島に引っ越しました(下見などは一切せず、ネットのみであらゆる情報を徹底的に検索)。 贅沢を言わなければ、敷金・礼金などの初期費用の掛からない格安物件はネットでいくらでも探し出すことができます。 地方は車は必須ですから、引っ越し直前に、オークションで程度のいい車を格安で購入しました。

関西に比べると、やはり鹿児島は仕事の種類がだいぶ限られてきます。 主人はいざという時を考えて、関西在住時に大型(牽引も)の免許を取得していたので、割と条件のいい仕事を探してきてくれましたが、それでもやはり稼ぎに満足できず、結局私たち母子を残して関西に出稼ぎに行くことになりました。

現在も主人は一年の大半を単身関西で過ごしています。 家族は確かに離れて暮らしていますが、子供が被曝する危険度を考えたら、少しでも汚染地や汚染された空気・食品から遠ざけたいので、極力ベクレルフリーの生活を維持したいという一念で頑張って凌いでいます。

私は酷い被曝で腸が異常に過敏になったせいで、少しでも汚染された食品を口にするとすぐに下痢をする身体になってしまいました。 痛みがなく、抑えが効かないため容赦なく瞬間的に出てくる下痢ですので、汚い話で恐縮ですが、おならだと思ったら便が漏れてしまったということも多々あり、まともに勤めに出ることができないので、フリーランスでポツポツと仕事をしています。

鹿児島は農業がとても盛んな土地で、美味しい食材が安く手に入ります。 人々も優しくあたたかく、また面倒見の良い方々が多いです。 右も左も分からぬ私たち母子をとても気遣っていただき、色々と助けてくださいました。

しかし、川内原発の存在がどうしても許せず(30km圏内)、借家の敷地(雨樋下)が軽く0.3を超えてアラームがなる現状も看過できませんでした。 汚染チップの持ち込みの問題も、汚染土の最終処分場問題もあり、原発のない土地を求めると最終的に沖縄しかなく、やむなく本土を後にして海を渡りました。

沖縄はとりあえず幾らか距離がありますから、空気の汚染の恐れからはひとまず解放されました。 地元産食品の他に、米軍駐留の副産物で海外製の食品や生活雑貨が驚くほど安価で入手できます。

ただ、福島から離れすぎていて県民に危機感が全くありませんから(本当に他人事です)、汚染度の高い食材が多数送り込まれていて、安いが故にそれを積極的に食べる方が多いです。 県民の放射性物質に対する意識の低さと、所得の低さを思いっきり悪用されてます。

仕事は割とあるのですが賃金がかなり低いので、家庭を持っている場合、本土と同じ生活レベルを維持するのは厳しいと思います。 特殊な技能を身につけていない場合は、家長が割り切って県外で稼ぐかしかないのではと思います。

夫婦の目的意識がはっきりしていて(家族の被曝回避、健康第一!)、かつ夫婦の結び付きが強ければ、沖縄移住は確かにかなりメリットが大きいでしょう。 少なくともマスクなしで過ごせて、スーパーに行くたびに「ああ、食べられるものがどんどん無くなっていく…」と絶望することからはやや解放されます。

ただ、住居地の選定にはかなり気をつけた方が良いです。 当方は当初、中北部の恩納村におりましたが、ここはリゾート地であり生活の場ではありませんでした。 村内にはスーパーが一軒もなく、コンビニと土産物屋と飲食店とホテルがメイン。 買い物の度に車で30分ほど掛けて、隣接市の商業施設に行かなければなりません。

米軍基地が県民生活に与える影響も大きく、オスプレイの爆音は半端なく凄いし、演習場の近くだと年中機関銃や大砲の音や振動が容赦なく襲ってきます。 演習中の火災やヘリコプターの墜落などの事故もよくあります。 一般道を走る軍関係者の車と事故を起こすと苦労するとも聞きます。 犯罪も馬鹿にできません。

また、沖縄本島の西の海上に「鳥島」という小さな無人島がありますが、ここは米軍の射爆撃場になっていて、20年ほど前に劣化ウラン弾を1,500発以上誤射する問題も起きています。 公式には「影響なし」とされてます。 ですが、鳥島のほぼ真東に位置する貸家の吹きだまりでも0.4を超えていました。

入念に除染はしたものの、こういう現状では長期的に住むことは厳しいと思い、さらに南部に移動しました。 住むなら農産物が豊かで基地のない県南部の、糸満市・八重瀬町・南城市あたりが、軍関係者とも観光客とも距離が置けて無難かと思われます。 那覇市内まで十分通勤できる距離です。

学校給食も自治体によりますが、基本は県産品の地産地消を積極的に進めているので、給食に極端に不安を感じる親御さんでなければ、まずまず安心できるかと思います。 ただし、海に囲まれた小さな島という土地柄、魚を使ったメニューが割と頻繁に出てきます。 沖縄近海の小魚ならいいのですが、我が子はマグロやカツオ、サバ・サンマを食べると下痢をします。

学校関係者は当然「放射性物質の影響による体内被曝の危険度」など気にもしていないので、ハナから相手にしてもらえません。 ですので、我が家は放射能の「ほ」の字もほのめかさずに「重金属アレルギー」と「アトピー性皮膚炎」という言葉で何度も粘り強く交渉(洗脳)したところ、打て打てというワクチン問題も無事クリアし、給食の魚メニューもだいぶ配慮してもらえるようになりました。

子供の話では最近は、お腹壊すといけないから牛乳は飲まなくていいよ、と言ってくれるそうです。 それでもPTAバザーなどのイベント時に、カレーライスや炊き込みご飯を作るとなると、材料の買い出しで北関東の安くて危ないお米を平気で買ってくるので、注意は必要ですが…。

あくまで当方の価値観や経験上のことなので万人に言える言葉ではないと存じていますが、それでも今はとにかく非常時ですから、 「案ずるより産むが易し」 「命どぅ宝(命は宝)」 を常に心で念じて、一人でも多くの子供さんを放射能から遠ざけるために、ご家庭の方々は意を決して、一歩ずつでも着実に前に進んでいただきたいと、切に切に願っております。

・・・引用終わり・・・

まみさん、ありがとうございます。ご経験が大変よく理解できました。管理人は、関西でもプルームが襲来し、ホットスポットができたはずと見ていますが、まみさんの体験記で確信できました。

観察されたことも客観的に書かれていて、ご夫婦の洞察判断力、行動力に感嘆しました。優しいご主人ですね。とても立派だと思います。
posted by ZUKUNASHI at 10:17| Comment(1) | 福島原発事故
この記事へのコメント
 ずくなし様、毎日必ず拝読させて頂いています。感謝の限りです。
 今も事故時も海外にいました。教え子が京都大大学院に留学中に癌になり帰国し就職したという話しを人づてに聞き、当時まさか京都で被爆はないだろう、連絡してくれば京大病院で最先端の癌治療を無料で受け、学位取得に向かうように助言したと厳しく思っていました。しかし、奈良でこの状況、今日鹿児島でこの事態だと、当時の京大で被爆、癌もあり得たのでしょうか。本当にもう寂しいですね。
Posted by こころ at 2016年02月16日 22:07
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