お節料理の投稿者は厳しいコメントを予見していた そして料理にかかる前にとんでもないことが判明!: ずくなしの冷や水

2015年12月26日

お節料理の投稿者は厳しいコメントを予見していた そして料理にかかる前にとんでもないことが判明!

2015/12/26に寄せられた投稿を掲載する。これが驚かずにいられるだろうか。引用開始。

歳も押し迫る中、皆様からの有益な情報提供ありがとうございます。

私の、おせち料理に関する投稿への反応は、予想通りの厳しいコメントでしたが、これで覚悟ができました。 伝統的なお節ではなく、亡き母や祖母の得意料理等、懐かしいメニューの中から有害物質含有リスクが少ない物を選んで作ることにしました。

売り場に並ぶ食品を見ていると、美味しいお出汁の風味や魚介類の味や歯ごたえがリアルに蘇り、私自身、喉から手が出るほど食べたいのですが思い切って決別します。

「正月にはお節」という固定観念の強い夫は不満でしょうが、美味しければ何でもOKの子供達を私の味方に付ければ3対1で観念すると思います。

今回、海外に避難した方の一時帰国時の体験が掲載されましたが、私も、年末年始だけの一時帰国のつもりで帰国しました。 空港到着直後から、喉の痛みと目の縁のチリチリ感が始まり、到着した晩から毎晩、夜中に何度も脹脛が攣って(ふくらはぎがつって)目が醒めています。滞在4〜5日程で、インフルエンザ罹患時のような関節や筋肉の痛みと軽い耳鳴り、1週間程で、路上歩行の際、時折バランス感覚が狂うような不思議なクラクラ感を感じ始めました。

帰国の度に症状は顕著に、そして重くなってきており、早く移住先に戻りたいです。 ですが、今回、とても心配な事が起き、予定を変更しました。

私が海外移住を何度勧めても、東京で仕事を続けたい、自分は移住したくない、と抵抗し都心で一人暮らしを続けた上の子供(20代後半)に異変が起きました。

私は、帰国の度に一人住まいの部屋の様子を見に行きますが、これまで、残業過多の生活にも関わらず自炊も含め家事をきちんとこなし家の中が整然としていたのに、今回訪ねると、洗濯機の中に洗った後の洗濯物が入ったまま、テーブル上に郵便物や書類が散在、回収日に出せなかったごみ袋が玄関ドアの内側に放置。

積まれた書類を覗き見したら、総合病院の入院の支払明細書を発見。誕生以来、健康な子が入院???と驚き、子供にそれとなく尋ねると、同僚と仕事の後に飲食していたら突然意識を失い救急搬送された、とのこと。 本人は、急性アルコール中毒、と言っていますが、過去に大学時代等も含め、相当量飲んでもお酒に強い子で意識不明になるなんて一度も無かったのに・・・。

何を食べていたのか、私は気になりますが、子供は、昏倒前後も含め良く覚えていない、残業続きで過労状態が慢性化しているから、お酒が急激に回ってしまったんじゃないか、と言います。私には、どうしてもそう思えません。1日だけ入院し、その後、体調は戻り通常通りの勤務をしている、と子供は言いますが、入院から既に2か月が経過しているのに、その顔にも声にも以前のような覇気がありません。

こんな状態の子を日本に残して移住先に戻るのが心配で心配で、帰国時期を延ばして暫くの間、私が手作りの食事を届け家事を手伝うことにしました。

本人は、昏倒や入院のことを私に言えば、心配して移住先から飛んで来るだろう、放射能の影響だと言うだろう、と思って言いたく無かったようで、LINEやメールで私や下の子が移住先からメッセージを送っても電話をしても全く返答をしなかったのは、単に多忙が理由では無かったようです。

今回、私が健康状態に関して尋ねても入院について本人からの報告は無く、私が、入院明細を見た、と言って初めて、仕方なく認めた格好です。そんな経緯の為、私が日本滞在を延長し家事を手伝うと伝えても「そんなことしなくて良い。」と突っぱねます。

この出来事を通じ、移住や放射能汚染について家族間で意見が分かれた場合、その時に起こる感情的な対立・不和だけではなく、ずっと後になって(汚染の拡大・長期化、健康被害が深刻化するにつれて)起こる問題に気づかされた気がしています。

「移住したくない」「放射能汚染なんてありえない・問題無い」と思う家族が病気になった時、協力・支援できるはずの家族がいても、その家族が「移住賛成・放射能汚染ありきで防御対策を」と主張する人だと、その人達に本当の事を言いたくない・知られたくないが為に家族とのコミュニケーションを避ける・隠す、こうした事がこれからあちこちで起こるように思います。

隠している間に病状が悪化し、隠せない程の事態になって家族皆が知る所となるなんて「知識・情報を持っている家族」にとっては悔やんでも悔やみきれない事なのに・・・。

でも、汚染を否定・拒否し続けてきた家族は、病気になった、と言った途端に「放射能のせいだ」とか「警告していたのに聞いてくれないから」なんて言われるかも、と思ったら、考えるだけで鬱陶しく、知られずに死んだ方がマシ、と思うのかもしれません。

放射能汚染と健康被害に関して家族や友人が理解を示さず、彼らから変人扱いされるだけなら、まだ私は我慢できます。でも、病気になって心細かったり苦しんだりする家族や友人が、放射能に関する見解が違う事を理由に、私との関わりを避けようとするとしたら、それはとても辛い事です。

何故なら、自分にとって大事な家族や友人の命と健康を守りたいと思って、色々調べ伝えて来たのですから。それが逆に彼らの心を閉ざし、私を避ける要因になるとしたら、何という皮肉でしょう。 汚染や移住に関して見解の違う家族・友人が体調を崩した時に、避けたり実態を隠したりせず率直に話ができる関係、どうやったら作れるんでしょう。

私は今回の滞在中に子供と話し合い、今後、子供が深刻な病気になったり、その危険が予見される場合、私はパニックになったり責めたりせずに、治療・回復に役立つことだけに専心するから、と伝え、何かあった時にすぐ相談してもらえる関係を作りたいと願っています。

と言いつつ、首に縄を付けてでも連れて移住させてしまいたい、が本音です。
posted by ZUKUNASHI at 17:15| Comment(6) | 福島原発事故
この記事へのコメント
おせち料理様

息子さんは、意中の女性が東京にいるんじゃないですか?
私が今もし若かったら、他に拒む理由が浮かばないです。
違うかな??
Posted by hiyaase at 2015年12月26日 21:31
この方のお子様の体調不良が、放射性物質による倦怠感などに起因している場合には、日本国内に留まり料理の差入れなどをするのでは無く、仮に意中の女性が居られるのならばそのご家族共々海外で年末年始を迎えてみる様に話されては如何でしょうか?

以前は出来て居た家事も満足に出来ない状態になり、お酒に強いのに倒れる程ならば、海外で数日間過ごす程度でも体調の変化を感じ取れそうですし、御相手が居るのならばそのご家族も共に海外で過ごしてみる事で同様に体調の好転を感じ、海外移住を積極的に支援される事も考えられそうです。

何より危険を承知で日本に留まり、御自身の健康を害するのは最悪の選択だと思いますし、何かあった場合にはお子様が自分を生涯責め続ける事になったり、自棄を起こして更に状態を悪化させる事すら有り得ると思うのですが、、、。
Posted by 命は大切 at 2015年12月26日 23:52
とても共通・共感する事が多く思わず私の周囲の状況もシェアしたくなり、コメントさせて頂きます。

私は原発事故の際に子供が小さかったのですぐに避難し、その後情報収集欠かさず、結果東京は人が健康に暮らせる場所ではなくなったと判断して早々に関西に移住しました。

が、家族は皆東京に残っています。
この4年で知人に突然死や癌、白血病など驚く頻度と人数で起こり震撼しております。

私の母は1年前に外を歩いていて突然真っ暗になったとかで、気を失い通行人に救急車を呼ばれて隊員到着前に意識が戻ったと。その同じ症状がまたつい先日自宅であったと。

母は、私の影響で多少食べ物の産地には気をつけていますが、周囲は皆無頓着。

その母の親友や兄弟が次々に癌になり、また本当に親しい人の中に二人も急に意識がなくなり、倒れた時に打ち所悪く、頸椎損傷で後遺症残り、今もリハビリという人がいます。

母の姪は腎嚢胞が左右に出来たと話しているし…被曝症状について勉強している私から見れば原因は明らかなのに…

母は『今年は星回りが悪いのかしら…』と。私が『東京に住み続けるというのは、こういう事が起きてくるんだよ。放射能汚染された土地なんだから』と言うと『またそれ!?』というウンザリした感じでその話題はスルーされます。

そして関西でも、体調不良で…という話が多く、聞けば何週間も下痢が続いてダルいとか、甲状腺疾患だとか…そんな話ばかりが耳に入ってきます。

本当に、これから日本人の多くに何が起きてくるのか恐ろしいです。
Posted by 関西に移住済み at 2015年12月27日 00:24
私も、役所や大手スーパーが、”食べて応援”を言うだけで、何も、食品に対しての被ばく対策をやってくれないので、福島、住んでいた関東には、かなり警告を発した上で、事故後、2.3年くらいで、海外に、移住した口です。
今も、定量的に見ても、患者発症のデータが下記で
http://textream.c.yimg.jp/res/textream-cimg/2f/ec/200000001-e0144fe7fdb7cd3a506a29adc94b3fe3/1103/e883376f53ad558a1a5e1c5fdc0e6f22.jpg
有名人の早逝が相次ぎ
http://textream.yahoo.co.jp/message/1009505/klna6eeno/2/159
首都圏の駅構内・電車では、皆がぶっ倒れたり、タクシーに顔を突っ込んだまま
失神したりする、この状況
http://textream.c.yimg.jp/res/textream-cimg/2f/ec/200000001-e0144fe7fdb7cd3a506a29adc94b3fe3/1112/a1de57abfe34d2aa3716d0a9a7c38b82.jpg
http://textream.c.yimg.jp/res/textream-cimg/2f/ec/200000001-e0144fe7fdb7cd3a506a29adc94b3fe3/1100/17db22e09d536b114f8fe673ffdde905.jpg
前もって、そこの土地で線量がどのくらいか、測るか情報を得ておいて、
(風の流れによっては、住んでる日本の土地よりも、
 高線量になっていた、と言うストーリーもあり得るので。
 ハワイや、カリフォルニア、カナダの太平洋側なども、
 かなり、被っていますよね)
海外移住も、1つの選択だと思います。
ただ、経験則上、何倍から10倍にもなる就職試験にパスしたからと言って、
(必ず、競争率は伴いますね、通常は)
最初から、高い地位を得られる訳ではない。
むしろ、日本より、最初は低い地位でしょう。
日本で、プライドを持って、やって来た人が、
そこに耐えられるかどうか、だと思う。
厳しい状況でも、
努力し、また切れず、自分の中で、戦略もって、
ある程度、自分のやり方に批判側の意見も、冷静に咀嚼・吸収して、
継続的に努力して行けるかだと思う。
私も、「仕事のやり方が下手だ。君など、要らなくていい。」
と露骨に言われましたからね。
そんな、状態になるくらいなら、身体に、放射線物質抱え込んで、
病気になり、早死にした方がマシだ。」
とする人もいるかもしれませんね。
モノや人が動くことで、かなりの労力も使いますので、
そこも大変です。
日本は、元々便利な国で、外国特有の不便性、
文化・人のものの考え方の違いによる
ストレスも乗り越えていかないといけない。
私の国ではないですが、事故前の、
ニュージーランドなどでもそうですが(南のあそこでも、最近、ツナと牡蠣から、
若干ですが、フクシマからのポロニウムが検出されましたね)、
移住したはいいけど、あらゆることで、ブーブー言う人は絶ちません。
プータローになって来るのは、気が楽だけど、やっぱり、仕事を見つけないと、
経験則上、惨めです。生活もできない部分もあるでしょうし。
それを見つけ、ビザが確実に取れることが明らかになってから、入国すると。
入ったはいいが、最終的に仕事が見つからず、
人に嫌みだけを言て、人の行く手を妨害するだけの、小姑になってしまった、
と言う例も見て来ました。
わりと、日本人は、生活が恵まれずぎて来ましたので、大変な面もあるでしょうが、投稿者の息子さんの場合は、何とか、東京から離れた方がいいような気もしますね。命あっての、何とかですので。それと、うまく仕事を見つけたら、その国のアグレッシブな人、その国に住む日本人のアグレッシブな人、日本国内のアグレッシブな善人とだけ付き合うようにしたらいいですね。日本含めて、どこの国にも悪党もいれば、堕落人もいるので、そう言う人は、早めに見極めて、ミュートしておくことです。いろいろなことに耐え、日本と同等以上の地位と信頼を勝ちうるには、だいぶかかると思ってください。私も2年半いて、ようやく、日本にいた時の地位以上になりました。その過程で、どこの国でも、耐えられなくなって、帰国する人も多いです。私の場合は不本意に、日本で、危ないものがばら撒かれたので、し方がない、と言う気持ちでやっていました。(2年くらいいて、戦略的なもの、
融通性、駆け引き等、覚えると、完全ではないものの、比較的ストレスは軽減できる側に行くのでは?)そんな感じですね。ちなみに、1時帰国したとき、西日本にしばらくいましたが、そこでも、寒い時期ではないのに、20日くらいすると、幾つか、再入国者の同例が紹介されているように、胸が痛くなりましたね。東日本の食品とブレンドされて来ているせいかな、とも思いました。それから、10日いて、国を出られたので、ホッとしたと言う経緯もあります。(在所は、安定して、0.06μSv/hくらいの国であるのも幸いしているのでしょう。今は、大丈夫です。)。今後、そのことで、犠牲がどんどん増えて行くことを懸念しますが、明らかに危ないことを“危ない”、と、自分が信じて来た所に、言って貰えないのは、本当に悲しいですね。
Posted by 浮き船 at 2015年12月27日 09:40
命は大切 さん
私の想像でしかないのですが、
デートしているとか肉体関係があるとかだと楽ですが、
それ以前の距離関係だと、身動きとれないこともありますよね。
(少なくとも、私のような愚鈍な男はそうでした)
その息子さんの場合は、それかなあ・・・と思ったのですが。

しょっちゅう合うような関係までいけば、あとの進捗度合いは楽だと思うのですけど。
Posted by hiyaase at 2015年12月27日 20:39
原発事故のあと妊娠した友人に
「妊婦だから最低限のことは言っておきたい」
と思って食材に関してアドバイスした私。
「不安になるから言わない方がいい」と制した別の友人。

ネットの時代ですから、結局友人自身が色々調べて気をつけて
いたようです。

結果として元気な赤ちゃんが生まれましたが、
「奇形の子が生まれなくてよかった」
と生まれてくるまで不安だったことを彼女は打ち明けていました。
2人とも彼女のことを思っていたのは間違いないのですが...

理系研究職の家族が「東京は安全」と事故のあと言ったから全く
今まで通りに生活している20代の子。

2011年収穫の秋に一緒にご飯を食べていて、初めてきのこが
放射能を集めることを知った同僚。

仕事だからと2011年事故後の関東東北でゴルフをやってしまう
ビジネスマンのみなさま。

事故の年の秋〜冬〜翌年の春にかけて、身の回りの人の常ならざる
体調不良や骨折に被ばくの影響を感じずにはいられなかった私は、
移住を決断しました。

自主移住したあとは、日々を共にしなくなりいっそう以前の仕事や
友人との距離は離れていってしまいます。そうなると、
「また原発やばいみたいだよ」
「子供が小さいうちだけでも疎開したら?」
とでも言おうものなら
「移住できるんだったらとっくにしてる!」
「○○はいいよね、移住できて(怒)」
というやり取りになり、不毛でした。

体調不良も日常をストップさせるほどでなければ
「仕事が忙しいから」
「最近の気候のせい」
「ウイルスが強くなった」
など放射能汚染以外の理由をたくさん見つけて話す方が多いのです。

私の場合は東京に住んでいましたので、人口の多い「都会」から
離れると仕事が成り立たない人や、都会でしかできない仕事をして
いる人が放射能汚染問題から自分自身を切り離してしまっている
ケースが多いです。人も仕事も娯楽も多い場所にいると、そこに
いることの利点を挙げればそれを優先できるのだと思います。

移住先の若い人もどんどん首都圏に進学・就職していきます。

自分の家族を含め、事故直後の危機感を完全に喪失してしまった
人も多い2015年冬。避難したものの定住できなかったり危機感
が薄れて汚染地に戻りエートスになる人。その心持ちと反比例する
ように聞こえてくる急な訃報や入院などの知らせ。

「いやなことは聞きたくない」「一億総お花畑」
で国や東電に原発事故の総括もさせずに戦争経済に引っ張られて
行く今の日本社会に、ただただ戦慄を覚えています。

Posted by ベクレーヌ八千代 at 2015年12月30日 05:34
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