双葉病院事件から見えるもの 公務員だって命が惜しい 県庁の情報かく乱が目立つ: ずくなしの冷や水

2015年09月28日

双葉病院事件から見えるもの 公務員だって命が惜しい 県庁の情報かく乱が目立つ

情報ソース

@ ずばり一言 忘れてはいけない事実
毎日新聞 4月26日(火)2時35分配信
「福島第1原発 苦渋の90人放置 南西4キロの双葉病院」の記事が掲載されている。

A 福井新聞報道 急性放射能障害 F1作業員は最短2日で突然死 の意見映像からキャプチャー)


B 絵文録ことのは
福島・双葉病院「患者置き去り」報道の悪意。医師・看護師は患者を見捨てたりしていなかった(追記あり)

C デジタルマガジン
双葉病院は患者を置き去りにしていなかった。勤務医「警察に強制退避させられた」 #jishin
双葉病院の医師が、ある掲示板(m3)で当時の状況を報告した全文が掲載されている。

C 健康百科
"双葉病院の患者置き去り"誤報はなぜ起きたのか
「災害時の混乱」では済まされない


D 週刊通販生活
読み物:フクシマの首長【第2回】大熊町 渡辺利綱町長(1)
大熊町長のインタビュー、住民と役場職員の避難時期が分かる。

E 行政社会論集第 25 巻第4号
福島原発事故における大熊町および富岡町の避難と情報
佐々木康文氏
情報伝達に関する詳しい研究

F ツイート
※ 風車 ‏@ootakimaru1964 氏の2015/9/27のツイート
@tokaiamada  ふく一の爆発時に、公務員と家族のみに避難準備指示をした田村市です。一般市民は完全に無視したところです。
@tokaiamada 福島県田村市 夜間、休日、祝日の災害、火災には対応しません。就業一分前に災害を通報しても、只今就業時間外の自動音声。夜間、休日、祝日の当直も廃止。耐震補強した大越小学校、滝根の小学校が統合新築するので取り壊して新築。隣町には新築後廃校の小学校がゴロゴロ。

※ Akira Tsuboi ‏@1876to1945 氏の2015/9/25のツイート
ー「逃げないで”隠れてる”ひとがいた。わたしみたいに、”いるよ”って正々堂々やってるんじゃなくて、隠れてたのね。(自分:なぜ?)いや、それはもう、。そのまま居たかったんでしょ。なんか心理的にそういうのもあるみたいなんですよ。ある社長さんなんかは『おめえら騒ぎ過ぎんだッ』なんてー
ー「言ってマスクもしないでそこに居ましたからね一番高い時に逃げないで。うちの後ろのおばあちゃんなんかもテレビ使ってたんですよ。それでもいるんですよ。いるのは分かってるんですよ。気配で感じますから。”なのに”隠れてるんですよ、わたしがいったら。そうやって出てこないひともー

・・・・・

筆者が知った新しい事実 黒字は引用部。青字と強調は筆者。

@から
 震災翌日の3月12日、原発の10キロ圏内に避難指示が出された。病院と施設の自力歩行できる患者ら209人と多くの職員が避難したが、寝たきりの患者らはできない。鈴木市郎院長によると同日、県へ救助を要請した。
この救助要請に対する県庁のアクションはなかったようだ。バスの配車は、双葉病院の職員が防護服を着た誘導者に対して誘導がないことを問いただしてから行われている。

14日早朝。被ばくの有無を調べるスクリーニング検査の会場となっている福島県南相馬市の保健福祉事務所に官邸からファクスが届いた。「要救助者リスト」の中に双葉病院の名があった。
 ほどなく、陸上自衛隊が救出した同病院の患者ら約130人がバスで到着。
この第2陣は、大熊町→南相馬市でスクリーニング→F1近くを迂回→いわき光洋高校到着は約6時間後。大半が寝たきりや認知症の高齢者

「原発近くのオフサイトセンターでは陸自の幹部が焦っていた。救出担当部隊から「双葉病院にはまだお年寄りがいる」と連絡があったのに、行政の職員は「県警から避難は完了したと聞いている」の一点張りだったからだ。15日午前に病院に行くと、院内各所に寝たきりの患者がおり、異臭に包まれていた。
この行政の職員が県庁の職員か役場の職員か不明だが、「県警」とあるから県庁職員だろう。

 4月6日、県警は双葉病院で患者4人の遺体を発見した。
これらの方々は、2011/3/15の第3陣避難の時点ですでに絶命しておられたのではないか。自衛隊が見落としたとは考えられない。

大熊町の担当者も「病院側と連絡が取れず、県や自衛隊とも情報共有できなかった。入院患者は想定外だった」と話す。

Bから
2011/3/12午前、大熊町役場まで双葉病院スタッフが患者を搬送したが10分後には双葉病院に戻された(理由は不明)。
昼休み:外出した双葉病院スタッフが、防護服を着た誘導者に対して「なぜ双葉病院は誘導しないのか」ときいたところ、「いやもう誘導したはずです」と回答。そこで初めて双葉病院の患者が避難していないことが判明した。そこで急遽バスが派遣されることとなった。
防護服を着た誘導者がどこの職員か不明だが、大熊町の職員だろう。

Cから
第2陣の救出が行われたのは、14日午前6時半。(その後は)双葉病院にはまだ95人の患者が残っており、鈴木院長のほか、ドーヴィル双葉の施設長と事務課長、途中加わった医師や看護助手らが患者の看護に当たっていた。地元の双葉署から警察官も数人、自衛隊の輸送支援隊長1人も来て待機していた。そこへ2度目の水素爆発が起きた。直後、待機していた自衛隊の隊長は「指示を仰ぎに行く」という理由で事務課長の自家用車を借り、そのまま雲隠れした。

その(3/14)夜10時過ぎ、院長らスタッフは警察から緊急避難を指示され、事情も分からないまま警察車両に押し込まれた。原発の状況を受けての20キロ圏への移動であり、そのまま自衛隊と合流するまで山中で1泊するよう指示される。しかし、自衛隊とはすれ違いになった。翌15日午後になって残る患者が救出されたと聞いた院長らは、いわき市の系列病院へと移動した。

 自衛隊が双葉病院に到着したときに医師がいなかったこと、患者の死亡が相次いだことを受けて、災害対策本部は鈴木院長らが患者を置いて先に逃げ、そのために患者が多数死亡したかのような報道発表を作成してメディアに配った。
「災害対策本部」とは、県庁の災害対策本部だろう。

 事実経過だけでも間違った内容であり、取材を受けた鈴木院長が県に抗議したが、県は「病院の管理体制を調査する」と火に油を注ぐ方向の訂正を出す。3月18日の各紙朝刊には、院長らを批判する記事が掲載された。その後、記事訂正を出したのは時事通信社1社だけだったという。
死亡者が出たらどこかに批判が集まるように県庁は策謀しているように見える。

Dから
――国からの連絡はあったのでしょうか。
渡辺  原子力災害対策特別措置法の10条、15条により、「ベントをする準備がある」という報告はありました。また、「万一に備えてバスを向かわせます」という連絡があり、茨城交通から約60台のバスが大熊町に来ました。自衛隊の搬送車も来ましたが、「念のため」ということでした。「大きな事故にはつながらない」という先入観があったので「明日は消防団の人に来てもらって炊き出しをしよう」と準備をしていたんです。
 非常用の発電装置でテレビは見ていたので津波の状況は入ってきました。しかし、原発に関する情報はなかった。当時の枝野幸男官房長官もテレビで「冷静に対応するように」と発言していました。
筆者は、大熊町長の認識は、原発立地町村の首長でありながら甘すぎるし、知識が不足していると思う。

――実際に全町民の避難を意識したのはいつ頃でしょうか。
渡辺  発電所の状況が一番緊迫したのは3月12日の朝6時前頃です。当時首相補佐官だった細野豪志さんから「町長、今、菅総理から避難指示が出た。協力してくれ」という電話があったんです。役場の2階は災害対策本部になっていましたが、電話を受けても、「屋内退避でいいんでないのか」「本当に指示が出たのか」なんて話していたほどです。ところが駐在所の警察官が「避難指示が出ました!」と役場に来たことで「炊き出しどころじゃない。非常事態だ」とわかったんです。警察は地元の町村よりも早く状況を把握しているんだと思いました。
筆者は、大熊町にも情報は入っており、状況判断が甘かっただけだと考える。

――3月12日の朝、どこに一次避難をされたのですか。
渡辺  体育館にいる人たちを優先的にバスで田村方面に送りました。その後は行政区ごとに公民館に集まってもらい、バスを振り向けて田村方面に向かいました。第一陣が出発したのが午前8時で、午後2時頃にはほとんどの町民がバスに乗りました。私も受け入れ先自治体に要請するため、議長、教育長、担当課長と5人でバスに乗り、1時過ぎに町から出ました。役場には10人の職員を残しましたが、正直、私も町を離れるときに、2〜3日避難すれば戻れるという感覚だったんです。
体育館にいた人とは、津波の被災者と2km圏内の住民。町長は2011/3/12午後1時過ぎに役場を出ている。第一陣の出発が午前8時

――原子力災害の訓練はしていたはずですが、その経験は生かされなかったのでしょうか。
渡辺  毎年、国、県、東京電力、地元が参加して訓練をしていましたが、原子力発電所の中で放射能漏れがあったという程度で、全町避難という規模の事故は想定していません。そもそもオフサイトセンターが原発から5キロ圏内に設置されていたために全く機能しなかった。すべてが想定外でした。
 ただ、震災当時は町民の避難を再優先したので、3月12日午後3時半頃に1号機の水素爆発が起きた時には、ほとんどの町民がバスに乗って第一次避難場所にいたか、バスでの避難途中でした。最後まで残っていた職員は「これは危険だ」と外に出てボカンという音を聞いた。不幸中の幸いですが、結果的に町民の被ばくは少なく抑えられたという思いはあります。
大熊町の最後の職員が避難したのは、2011/3/12午後4時頃と見られる。「昼休みに外出した双葉病院スタッフが、防護服を着た誘導者に対して「なぜ双葉病院は誘導しないのか」ときいたところ、「いやもう誘導したはずです」と回答」があり、その後にバスを手配しているから、双葉病院の第一陣避難の際には、大熊町役場の職員はいなかったか、いてもごくわずかだったと見られる。

Fから
田村市はF1の真西、風が変われば放射性物質が飛んでくることは自明の理だ。田村市が、「公務員と家族のみに避難準備指示をした」というのはありうると思う。一方で避難者を受け入れながら。

F1事故後、近傍町村から避難しないで隠れていた人が少なからずいたらしい。大熊町では被曝遺体が発見されている。被曝で亡くなった方は少なくなかったはずだと思う。
 
さて、この記事を読み通す人がどれだけいるだろうかと思いつつ書いてきたが、最後に感想を書いて終わる。

A 事故直後に警察が死亡者が出ないよう住民に避難を急かしたこと、自衛隊がF1の事態の悪化で撤退したりしたことが、住民避難の促進に大きな効果があった。

B 福島県庁は、まったく機能していなかったように見える。情報かく乱に熱心だったようだが。

C 病院の「入院患者や入所者は施設で対応してもらう」のが行政の基本方針となっている。原発から5km、10kmの場所に寝たきりの病人などを収容する病院を運営すること自体が間違いではないか。

D F1周辺市町村は、自治体職員が避難を急いだ。大熊町は、地震発生から24時間と少しで職員がいなくなっている。

E 原発の過酷事故の際に、行政が救援してくれると考えるのは大間違い。一般住民でも危険を知っている人は、さっさと逃げた。

F 自衛隊は、救援活動をよくやったと思う。自衛隊員に健康障害が出ないことを祈る。


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posted by ZUKUNASHI at 14:29| Comment(0) | 福島原発事故
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