2011/3/27福島県警の大熊町地内被爆遺体確認地点: ずくなしの冷や水

2015年09月02日

2011/3/27福島県警の大熊町地内被爆遺体確認地点

2011/3/27時点、福島県警公表写真。


上の写真と新聞報道のテキストを手がかりにして遺体確認場所を探し出した。
Google Earthから Street View 撮影日不明


F1の南部ではなく、西部だった。F1の2号機原子炉建屋を起点にすると直線距離5.675km。最寄のMPの2015年09月02日 20時10分現在の線量率5.658μSv/h。(夫沢二区地区集会所 9.364μSv/h、山田農村広場 8.527μSv/h)

2011/3/27 通行人が遺体に気付き、警察に通報。
2011/3/27、県警機動隊員などがフルアーマーに装備を固めて出動。遺体(男性)は駐車場に仰向けで倒れていた。体表面の放射能10万cpm超で、遺体を持ち帰った際の霊安室の汚染、関係職員の被曝などを恐れ、回収を断念。
なお、遺体発見場所の環境放射能も極めて高かったはずだが、言及されていない。

2011/3/12、F1の1号機爆発発生で、原発から20キロ圏に避難指示
2011/3/15、大熊町にある双葉病院(双葉厚生病院は双葉町)が自衛隊の救援を得て最後の90名を避難させたのが午前10時〜正午。大熊町は一般住民の避難は、比較的速やかに行われたとされている。
2011/3/22から、F1から20km圏内は立ち入り禁止。
遺体を発見した人が、いかなる用務でこの場所を通りかかったか不明。

2011/03/30 21:41 付けの 【共同通信】は、「遺体は地震や津波発生直後から、原発事故による放射線を浴び続けていたとみられる」との見方を伝えている。

2011年05月20日付けの河北新報ニュースは、「2011/4/1、機動隊員や検視官、放射線計測班らが再び大熊町の現場に入った。外気から遮断して安置していたため、遺体の放射線量は下がり、除染の必要はなくなっていた。南相馬市に搬送。外傷はなく、病死と診断された」、また「県警や警視庁が、南相馬市の南部や楢葉町など原発10〜20キロ圏で、本格的な捜索を始めたのは4月7日のことだ。大熊町や浪江町請戸など10キロ圏内の捜索の開始は14日まで遅れた」とも。

大熊町大野のF1事故直後の空間線量率の推移。このMPは通称オフサイトセンターにあり、F1の2号機原子炉建屋を起点にして直線距離4.93km。


双葉町山田(山田農村広場)F1事故直後の空間線量率の推移。遺体収容箇所から北東直線距離2.83km。


わずか数km、徒歩で20分から30分離れた場所でも、空間線量率の上がり方はまったく異なる。大熊町大野の最高線量率は3/15の11時に0.39ミリシーベルトであるのに、双葉町山田のピークは3/16の0時1.02ミリシーベルト。山田より北にある双葉町上羽鳥では3/12の15時に1.59ミリシーベルトを記録。

遺体収容箇所の最寄MPのF1事故直後の空間線量率の推移が把握できないが、体表面の汚染10万CPM超とのことだから、3/12のF1-1号機爆発直後に南相馬市の病院に逃げ込んできた人のうち特に汚染度合いが強い人に相当する。

2011/03/30付け共同通信が「遺体は地震や津波発生直後から、原発事故による放射線を浴び続けていたとみられる」との見方を伝えているが、筆者は浴びた放射線より吸い込んだ放射性物質が致命的効果をもたらしたと考える。

仮に空間線量率が0.39ミリシーベルトのまま10時間続いたとしても3.9ミリシーベルトにしかならず、その外部被曝だけで即死に近い死に方をするとは考えがたい。

倒れていた方は、共同利用施設の管理に気を配っておられたのではなかろうか。見回りをしてその後に逃げようとしていたが、見回りの最中に濃厚汚染の空気を吸い、体調異変を起こし倒れ、助けもないまま亡くなったのではないかと推察している。

放射性物質は、倒れていた方の上にも、舗装の上にも降り注いだわけで、倒れていた方の体表面の放射能が特に高かったことは、衣類等に放射性物質が付着していたことに加え、吸入した放射性物質も相当あったのではないかとの思いがぬぐいがたい。

福島第一原発で、就労2日目で突然死された方もおられる。2011/5/14だ。強い吸気被曝は、即効性がある。福島県警が3/27に確認したご遺体は、急性放射能障害による死者だと筆者は考える。
posted by ZUKUNASHI at 21:00| Comment(0) | 福島原発事故
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