2018/1/18、「現実は厳しいけど生きていたい」さんから寄せられた投稿を掲載する。引用開始。
突然失礼します。311以降引きこもりになってます。上越市の30代前半です。とりとめもない話ですが僕の経験談を役立ててください。そう思って書きます。頭が良くないので読みにくい文章です。
メールアドレスもダミーです。大変申し訳ありません。自宅で履歴があると家族に勘ぐられてしまうので漫画喫茶から書いています。
最近坐骨神経痛が流行っているみたいです。ウィルス性ではないので流行るというより出てきちゃったんでしょうか。もう7年ですね。
母親が産地を全く気にしないので僕も何かしら症状が出ちゃうんでしょうか・・・実は出てます。最初は西に逃げようと思いましたが貯金30万円です。産地を気にするようにと言ってもばかにして放射脳、放射能のことを気にして神経質になる人を放射線恐怖症(ラジオフォビア:Radiophobia)というようですが家族からそう言われてます、精神障碍者、きちがい、散々な言われようでした。
初めは避難して西で再就職しようと思いましたが「自分だけ助かればいいのか、この地域で自分の使命を果たせ」などと言われ何度も見捨てようと思いましたがここまで僕を育ててくれた家族を見捨てられませんでした・・・。
母親が先月人間ドッグに行ってきたのですが検査異常なし。その2日あとに坐骨神経痛になり杖を突いて歩くようになりました。まだ60手前です。立って動くと足が痺れるようなので料理や家事を引きこもりの僕がやるようになり一か月。症状は改善しません。
母はスナック菓子。煎餅。安い関東・東北野菜。魚。国産肉。納豆なんでも食べていました。料理にも出ますが「疑わしきは食べず」の精神で家族の中で唯一口にしない僕はますますきちがい扱い。坐骨神経痛のことも「放射性物質が原因でしょ」と家族全員に話しても最早言葉は届かない・・・。
今日、買い物に出かけたスーパーで近所の60半ばの人たちが集まり世間話をしていました。「坐骨神経痛になった○○さんが右足痺れて動けなくて〜」という話が耳に入りました。骨折とともに腰を痛めたり神経痛になるようです。
近所の和食料理屋の大将がヘルニアになりました。来てますね。
糖尿病・ガン家系ですが祖母は指が動かしにくくなり、また糖尿病、父親は糖尿病、母は坐骨神経痛、弟は糖尿病、妹はアトピー再発でステロイドを塗る日々。僕は最近筋肉がぴくぴくする時があります。足、肩、腕、心臓にも来てるだろうな・・・。出汁が原因でしょうか。
逃げて生きていたいと思うのと同時に家族がこうなら動けないのかなとも思ってます。父親は糖尿病で治療が必要でも病院や医者が嫌いで治療に通わず毎日ビール、ウィスキー、ウォッカを飲んでいるのでこれから先家族がどうなるかわかりません。一家全滅でしょうか・・・。
愚痴になりました・・・。すみません。避難を考えている人は僕みたいにならないように反面教師にしてください・・・。
お返事できませんが読んでくださりありがとうございました。
・・・引用終わり・・・
生きていたいさん こんにちは
まじめな方ですね。管理人もコメントしますが、まず読者の声を募ります。
焦点はいくつかありますね。
@ 生きていたいさんの被ばく回避努力がどれだけ奏功するか。
A 生きていたいさんが本当に「引きこもり」なのか。
B 自分だけ生きていられればいいのかという家族の言葉にどう対応すべきか。
C この先、家族の面倒を見るという方向で考えておられるようですが、それについてどう考えるか。
投稿者は、上越市にお住いの30代前半の男性。上越市は、昔の高田と直江津です。この地域は、2011/3/15に越後山脈の長野寄りからプルームが入り、妙高山の周りを回って富山に入ったと見られます。一定の吸気被曝はありうるでしょうが、セシウムの降下はそれほど多くはなかったと見られます。
ただ、西風の強い冬季に若狭湾、能登半島の原発から放射性物質が放出されるとこの辺の線量率が上がることがありますし、柏崎刈羽の放出した放射性物質が南下してこの辺に届くこともあります。
では、投稿、コメントをお待ちします。シビアなご意見歓迎。
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louisx2さんから。久しぶりですね。早速の応答ありがとうございます。
久しぶりに投稿させていただきます。上越市(旧・高田)在住のlouisx2です。
生きていたい様、同じ土地に問題意識のある方がいて嬉しいです。
ずくなし様も書いておられましたが、上越市は微妙な位置だと思います。
東北・関東、新潟の福島・群馬県境に較べれば汚染は少ないとは思われますが。。。
上越市・長野市で福一から250kmですから、もし未来に「東日本封鎖」となったとしても、ギリギリ封鎖を免れて、新・日本国と汚染地帯の境になってしまう。緩衝地帯にされてしまう。新・日本国での一番の汚染地帯になってしまうんじゃないかと恐れています。
志賀・柏崎刈羽からも100km無い。福井の原発銀座も遠くない。おもらしは常にありますし、実際に事故が起これば終わりです。
生きていたい様は20代後半から引きこもりということでしょうか?
内部被爆を避けていたというなら賢明ですが、生活はどうされていたのでしょうか?
生活費を親に頼っているのであれば、「移住」は確かに難しいのではないでしょうか。
本気で西日本や北海道への移住を目指し、仕事を探せば、まだ30代前半、仕事はなんとかなると思います。
とりあえず地元で働いて移住資金を作りましょう。マスク必携で。
ご両親はまだ50代なんですね。「親がなんとかなったら」と考えていると、動けるときは延々先です。本気で西への移住を考えているのであれば、ずくなし様への投稿をきっかけにしてほしいなあとは思います。
まだ機が熟さず、上越市に留まるのであれば、生きていたい様が台所を掌握しましょう。
スーパーには北関東産の野菜が並んでいますが、私は西日本産>上越産>長野産>県内産(下越・魚沼産は])で選んでいます。
肉・魚は食べません。
水は○ルスの純水でも良いと思います。
気を悪くさせたかもしれませんが、私のような先の無いオバサンには、若い人を生かすのが唯一残された仕事です。
生きていたい様のような若い人たちには、まだ新しい日本人を産み育てる力と機会があるのですから。
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ベビー級りとますさんから こんばんは、ほんとに久しぶりですね。ありがとうございます。
どうもお久しぶりです。
被曝で癌二回やってリンパ節取られて免疫力低くて、毎日の食も天気もロシアンルーレットでそれでもなかなかしぶといベビー級りとます中高年ですm(_ _)m。
この方の家族さん…自分だけ助かればいいのか云々と口にするあたり、放射能の害をわかっていながら認めたくない、行動できない、だけど置いていかれるのは嫌だ、一緒にもとの世界にいるかのように現実逃避でぬるま湯で暮らしたい、仲良く道連れにしてやる…と。
イラッと、そう思っちゃってしまったんですが、気のせいですかね。
やがて一緒に茹で蛙になって、動けなくなって死んだら、世話も何も…。
まだ間に合う、手遅れな病状には見えないし、放射能以前のヤバそうな生活習慣の親御さん、何だか精神的諦め退廃ぶりが一番問題かと…。
すいません。私、口が悪いって言われます。
でもぶっちゃけ、さっさと置いて逃げたほうが薬になるぜって言わせて下さい。
議論や話し合いよりこの家族さん達には効果的な気がします。病気あっても、まだ若い家族だし、残り三人いれば、夢から醒めて行動できるエネルギーはまだありそうに見えます。
そして三十代男子、住み込みや寮でも、人とそんなに会話や面倒くさい人間関係少ない仕事はありますし。しかも料理家事のスキルありは大きい。
思いきったほうが家族全員変われると思うんですけどね。
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とみさんから こんばんは、ありがとうございます。
住み込みで仕事なんていくらでもあるよ。
面接行ってみたら、とりあえず。
あと履歴書はばか正直に書かなくても。
上場企業以外は調べられないよ。
逃げたいと思うなら、食べ物の汚染もあるし、逃げたらいんじゃない?
どっちにしろ、親からは離れたらいいよ。・・・・・
Sさんから こんばんは、ありがとうございます。
どうか生き抜いてください。自分を大切にすることは、とても大事で素敵なことです。
第二次世界大戦の集団自決の話を聞いたことはあるでしょう?
発電所が爆発する前までのあなたは、どう感じていたでしょうか?
どうしてそんなことが起きたのか、なぜ皆が従ったのか、まったく想像も理解もできなかったはずです。そして、今、どのようにお感じになりますか?
「君は逃げろ、生きろ」そう言ってくれる親や上司を期待してはいけません。
ちょっとピントがずれているのですが、あなたの投稿を読ませていただき、なぜか以下”廣枝音右衛門氏の慰霊祭”の記事を思い出しました。
http://p.booklog.jp/book/100620/page/2729375 家族という関係にがんじがらめで、自由に感じたり考えたり、自分のことを客観視することが難しくなっていらっしゃるように思います。
思い切って数日でも、今の場所を離れてみてはいかがですか?
世界へ出かけることが難しいのでしたら、歴史を紐解いて見て下さい。さまざまな人が困難な局面で、どのように脱出していったか。 どうぞ自分の命を、心を、身体を大切にしてくださいね。
あなたは一人ではありません。このブログに仲間はたくさんいるではありませんか。
えらそうなことを書いて申し訳ありません。
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SYさんから こんばんは、ありがとうございます。
典型的な毒親ですね。我が家も、親が生きていれば同じような状況だったと思います。親が元気なばっかりに苦労するとは、悲しいことです。
家出ができるなら、それが一番手っ取り早いです。まあ30で家出というのかどうか分かりませんがそれが嫌なら、とりあえず仕事に就いて、一人暮らしを始めることをお勧めします。行政の引きこもり支援を活用しましょう。
被爆回避が引きこもりからの脱出に繋がるのなら、それはそれでいいのではないでしょうか。仕事に就くことは、基本的に反対はされないでしょう。通勤が大変であることなどを理由に一人暮らしを始める方向に持って行きましょう。一人暮らしなら、食事についての問題は回避できますし、移住の準備も可能です。
理屈は後からいくらでも付けられます。
仕事ができなければ、将来食っていけないし、親の介護など面倒を見ることもできないと脅しましょう。建前重視の正面突破です。自分だけと言うのなら、自分たちはどうなのと切り返しましょう。食わせてもらっているくせにと言うのなら、だったら仕事に就くでいいと思います。
実際には相当揺さぶりをかけられるでしょうが、そこは頑張りどころです。
親の理屈で通すなら、食わせてやるからずっとここにいてくれなのでしょうが、嫌なら出て行けと言わせるのもアリだと思います。
コツは、うやむやにせずに一歩ずつでも前進することです。引きこもりの支援機関を間に挟むのがいいと思います。使える支援策もいろいろあるはずです。
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N K M さんから こんばんは、ありがとうございます。
私も親から、自分だけ助かればいいのか、と言われました。
私は無理心中する気はありません。
2011年以来、人間は2種類に分かれたのだと思います。
自分だけ助かればいいのかと言う人と、言わない人に。・・・・・
よんたさんから おはようございます、ありがとうございます。
人生は冒険だし、実験の場でもあります。私自身、ずくなしさんのちょっと後輩くらいの年齢ですが、大阪から沖縄に避難移住しています。一般の人は、え? 大阪から避難? という感覚だと思いますが、自分の体験から仕事をする中での被曝被害のため決断しました。少し働いてお金を貯め、移住を果たしています。未だに生活設計の過程ですが、全く後悔していません。
お話を読んで感じたのですが、充分放射性物質の危険性についてご理解されているようです。でも、ご家族との関係に引き寄せられ、決断が鈍るという状況ですね。私も、「自分だけ良ければいいのか。」と言われました。既に書いておられる方がいますが、自分だけ良ければいい、という踏み絵を苦衷の思いを込めながらも踏める人しか生き残れないと思います。
たかが1世紀にも満たない人生、どうせなら自分の思った通りに生きるという冒険をされてはいかがでしょうか? このままだと一家全滅に付き合わないといけない、という所まで分かっておられるなら、孤独の環境を覚悟し、苦闘も受け入れ、人生実験に進まれることをお奨めします。
行政はだいぶアベによって腐敗していますが、自治体によってはまだ充分機能している所もあります。ちなみに沖縄の生活保護行政は他県に比べてまだマシだと感じています。私も自助グループとしての生活と健康を守る会、でしたっけ、一般には生健会と呼ばれる団体に月会費500円で加入しています。情報ももらってます。いざというときは、住居補助だけでも受けられる制度とか聞いてみるつもりです。
引きこもりだとおっしゃってますが、友達、知り合いをご自分から飛び込んで作ってみる、という決意をなさることもお奨めします。何なら私が知り合いにならしてもらってもかまいません。メールアドレスはずくなしさんがご存じなので、聞いてください。
どこに行っても苦難は付きまといます。沖縄にも諸問題があります。でも、放射能でジワジワ、あるいは突然に命を奪われる、という要素は少ないです。吸気被曝はかなり少ないと思います。(そうでもないよ、という人もおられるかとは思いますが)食品の選択に注意し、生健会にも入り、色々話を聞き、情報を集め、住み込みの仕事なども探してみるとか、いくらでも前進の方法はあります。
こちらで知り合った方に、青森から一人で避難してこられた方がいます。いろんな行き詰まりがあり、原発事故の後、ここにいては危ない、ということでやってこられました。この方の場合、ほとんどお金の無い状況で来られました。自活を目指されましたが、様々なトラブルを経て生活保護を申請し、現在受給中です。厳しい経済生活ですが、無事生き延びておられます。言わばサバイバー。(でも高級マンション並みの新築公団住宅が当たり、住環境はバッチリ、これは羨ましい・・・)私の友人です。
そうそう、この友人の話では、宗教関係の団体で、一時的に無料で宿泊したり食事の提供を受けたりする施設もあるそうです。例えば生活保護申請をした後、受給決定住居確保ができるまで利用する、ということができるということです。彼もそうしたとのこと。ちなみに保護課でもヘンなのがいて、水際作戦として誰も彼も追い返すということもあるそうです。人によるということですね。生活保護申請の前段階で、ワンストップの無料住居確保の方法もあるそうです。
家族も他人です。人間は孤独なものです。孤独とまず友達になってください。
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ぷうさんから おはようございます、ありがとうございます。
いや、この方の投稿も、それに対する皆さんの答えも、私にとっては「痛い(>_<)」です。というのも、ある意味、全部、経験しているから。そして、心引き裂かれるような決断、心が砕かれるような経験を経て、今の暮らしがありますが、それでも過去の決断を肯定しきれない自分が残っています。
ただ、振り返って見たときに思い当たるのは、最初のきっかけは、まさに30代のプチ家出だったことです。いや、そんな可愛いものではなくて、それまでの自分の人生を周りから全否定されるような出来事があって、怒りにまかせてチャリンコを漕いでいたら、気づいた時には、隣の隣の県に来ていて、二日ほど夜の防波堤で飛び込むかどうか迷った末、漫画喫茶で2泊して、自宅に戻ったのでした。
いずれにしても、普段、巻き込まれている環境から離れて、自分を振り返る機会が持てたのがよかったです。あれがなければ、自分で自分の人生を変えることはなかったでしょうね。その家出をきっかけに、職を変え、家を引越し、それまでの人間関係を断ち切って、新生活を始めることになりました。最初の半年は心身ともに地獄でしたけど。
まあ、別に黙って家を出ることはなくて、2、3泊、一人旅をしてくるとかなんとか言って、家から物理的に離れた上で、今後のことを考えてみたらいいのではないか? と思います。
その結果として、やはり、家を出ようということであれば、皆さんからのアドバイスがあるように、特にネットにアクセスできるのであれば、住み込みで働けるところや、給料は出ないけれど、研修名目で寝起きする部屋と食事を提供してもらえる農場とか、あるいは引きこもりの人向けの滞在施設とかも探せると思うので、そういうところで2週間くらい集団生活をしてみて、手応えがあれば、さらに期間を伸ばしていってみる?! みたいなやり方もできるかもしれません。
まあ、どんな形であれ、いつかは家を出て独立するか、あるいは親の面倒を見る側になり家をまとめる立場になるか? なので、自立のタイミングが早くなるかどうかだけの問題だと思います。そして、30代ということであれば、そのタイミングは早ければ早いほどいいでしょうね。
歳を食ってから自立するというのは、とても大変ですが、真面目に思いやりをもって働いていれば、拾う神ありです。先の苦労が目に見えるので、なんとも言えませんが、結局、その苦労こそが自信を深めて、自立へ導いてくれることになります。
ここまで書いて、ふと思いましたが、これってすべての日本人が、いま直面している課題じゃないのかな? 風評被害、食べて応援、放射能拡散を国是とする国から自立するのか? それとも、国の言うことにしたがって、緩慢に被曝死に向かうのか?
最高学府と呼ばれる東京大学の学食で、南相馬産の米を安全アピールのために使用するそうで、日本の教育と学問の権威も地に堕ちたな! と思いましたが、そんな国と無理心中しますか? と問われているんでしょうね。そして、その洗脳のなかにいる人たちとは、こらからますます話が通じなくなりそうです。
まあ、相手さんの状況が詳しくはわからないので、的確なアドバイスはできませんが、少しでも役に立ったら幸いです。
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くららんさんから こんにちは、ありがとうございます。
こんにちは。。
なんだか、みな似たようなことを家族から言われているなあ〜と!!
私も夫を置いて沖縄避難を決断したときに(もう避難ではなく、完璧に移住になってますけど・・)、実の妹(結婚して夫も子供もいる)から「自分だけ助かりたいのか!」といわれました。
そのときの答えは「自分だけ助かりたいのではなく、死にたくないだけ・・」といった覚えがあります。
この先、この狂気の国と化しつつあるJAPANにいてもいいのか?と考えると、数年後には海外に猫たち連れて移住するという決断を最近したところです。。
もうアラフィフで、若くはないですけど。。
狂気の中にいると正常であることが狂気と見られてしまうので、せめて老後は正常な人に囲まれてすごしたいという「ささやかな希望」からの決断です。
この方はまだ若いですし、多少無鉄砲なことをしても許されると思います。
どうか「正常な感覚」を保てているうちに移住の決断をしてほしいと思います。
人生は一回きりです。
死ぬときに後悔のない生き方をしたほうがいいと思います。
そういう考え方をすると苦労も楽しみながらすることができるのではないかな?
アラフィフのおばちゃんもこれからも苦労の連続かもしれないですが、楽しんで苦労していきたいと思ってます。
がんばってほしいと思いました。。
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海猫さんから こんばんは、ありがとうございます。
こんばんは! わたしも一言。
あれからもうすぐ7年です。とっくに各人の選択は終わっています。もう説得して考えを変えさせることはほぼ不可能だと思います。こんなにネット上に情報が溢れているのに?と思ってしまいますが、結局自分の選択を肯定してくれる都合の良い情報を集めているだけなのです。つい最近も性懲りもなく身内を説得しかけて手痛い反撃に会いました。ほとんど気違い扱いされましたよ。もう説得は諦めましょう。不言実行で生き延びる算段をするのが一番です。
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横浜にてさんから こんばんは、ありがとうございます。
「生きていたい」さん
若い世代、しかももう成人している人が現実を捉えているのですからもう躊躇することなく、生き残る道を進んで下さい。
気にしない派と同じ家に住むのは無理だと思います。
玄関の外で服を叩きもしない家族が帰ってきたら、それだけで被曝するのです。
咳をしてむせても「気のせい」で済まされてしまいます。
年末年始に両親、親戚、家族が何の躊躇もなく寿司やら肉やら、群馬県で製造されているアイスクリームやらを喜んで食べているのを見ると、「この人達といたら生き残れない」と確信しました。
両親は好きなものを食べて死ねれば本望でしょうし、子どもは戦争に行ってよその国の大事なお子さん達を殺すより愚かな自分の始末を自分でつけるほうが害はないでしょう。
7年経って信じたくない人は、もうさほど長くないのではないでしょうか?
避難するとしても自分一人になると思っています。
語学は最近真剣に始めました。
子どもには今からでも気づいてほしいという望みは捨てないようにしたいですが、説得できないからといって、こちらが罪悪感を持つ必要はないと思います。
神様が振り分けてくれたのかもしれません。
どうしたら生き残れるか?もう確証もないのですから、その現実に向き合える人は僅かなのです。
現実を受け入れられる人たちで協力しあって生き残っていきましょう。
私も家族から離れる方法を模索します。